番犬の記憶
その牙は、何かを守るため
姫さんの家について、尚もあたし達は、暫くの間無言だった。
あたしもヴャクトに言いたい事があるのに
皆が皆、重い空気を纏って黙り込んでしまっていた。
「こんな紅茶しかないけれど」
姫さんが高そうなティーカップをそんなあたし達の前に置いてくれる。
「すまないな。頂くよ」
ヴャクトが静かに呟き、それを口にする。
雨宮白と名乗ったガキは、そういう事かと。何処か納得したような面でティーカップと姫さんを見ていた。
「うーんと、皆が何か言いたがってるのはわかってるんだけど、とりあえず私からでいいかな?」
重い空気を掻き消すように。優しく微笑んで姫さんが言い出し、白を見て、言葉を紡いだ。
「直接の面識は無いんだけど、戸野って名前で白もある程度は察してると思う。私は雨宮と対を成す名家、戸野一族の次期当主だよ」
「うん。私をこの街に捨てた雨宮の意図も理解出来た」
二人の会話に、雨宮ってその雨宮だったのかと。あたしは少し驚いていた。
「血生臭い話の絶えないって言う、あの雨宮だったんだなお前……」
暴力の世界で生きてきたから、あたしもその噂は耳にした事がある。
逆らう奴は殺す。そうやって地位を築き上げてきた一族。
世間でもあまり良い目では見られていない一族。
それこそ、姫さんの一族とは正反対だと思ったもんだ。
「昔、雨宮の家に招かれた時、私は貴女と蒼を見てるの。雨宮の穢れた土壌に咲くとても綺麗な花だなって、そして白と蒼ならいつか雨宮を立て直せるんじゃないかって。そう、信じてたの」
「そう言って貰えるのは嬉しいけど、私は穢れた血だから」
「悲しいことを言わないで。穢れているのはあの一族の方よ」
その姫さんの言葉に、違いないと。静かに話を聞いていたヴャクトが呟いていた。
「白が穢れてなどいない事は全員が理解している。それに穢れているような人間に、ラーナやアズマは手を差し伸べたりなどしない。
夏妃が私の事務所に姿を見せたのだって、私が雨宮の差し金と、そんな勘違いをしていたからだ」
「えぇ。もしも雨宮が貴女達を危険な目に遭わせようなんて。そんな動きを見せたら……私が、私達の一族が全力で守るって決めたから。白と蒼が作った世界を壊させなんて、絶対にしないから」
姫さんが単独で探偵事務所に行った話は聞いていたけど
そんな理由があったんだなと。そして姫さんらしいなと。そんな事を感じる。
感情を現すのがあまり得意ではないんだろう。白は姫さんとヴャクトの言葉に
小さな声で、ありがとうと。そう言っていた。
「ったく。穢れた血だかなんだか知らねぇけど、そんなのガキの背負うもんじゃねぇだろが」
呆れてあたしが言うと本当にその通りだと。夏妃とヴャクトが頷いていた。
「そんじゃ、あたしもそのついでに言わせて貰うけどよ……ヴャクト。お前、あの時のヤツだろ」
以前あたしに『あの子達は強さを間違えない』と
そんな事を抜かしてきたヤツだとは初めて会った時から見抜いてた。
だからあたしはその話に一つ口を挟む。
「まさか覚えていたとはな」
あたしの言葉を聞いて、ヴャクトが小さく微笑んでいた。
「あたしに気配を隠して近付ける人間なんて多くねぇからな。それに似たような立場なんて事も言ってたし。それでアンタとラーナに何かしらの繋がりがあるって事くらい、あたしでも理解出来る」
ラーナが倒れた時、皆が慌てる中で妙に冷静だったコイツとリーノ。
「あたしは回りくどい言い方なんて苦手だし、出来ねぇから直球で聞かせてもらう。アンタとリーノ、それにラーナは……」
「姉妹。それは私も、この数ヶ月の付き合いで理解した。ラーナに隠す程の理由も、なんとなく。だから、ラーナには何も伝えてない」
あたしの言葉に白が続けていた。
やっぱり、予想通りだったみたいだ。
「なんとなく白には気付かれているだろうと思ってはいたのだが、まさか殆ど付き合いの無い涼子にまで気付かれていたとはな」
それは何年も隠してきた話だと。
そう前置きをして、ヴャクトは話をした。
あの日。ラーナがアズマを庇って頭に大きな怪我をした日。
その日以降、ラーナの記憶からヴャクトだけが抜け落ちてしまっていると。
無理に思い出させようとするのは大きな負担になってしまうから、他人と言う形で新たに面識を得たのだと。
「白や蒼。それに夏妃や涼子の姿を見て、ラーナは何処かで私の事を思い出しそうになったのだろう。
私との記憶を思い出しそうになる度、ラーナは酷い頭痛に見舞われてしまうと。そんな話を事前にリーノが伝えてくれたよ」
「ラーナが倒れた理由は、それなのね」
悲しそうに、姫さんが呟いていた。
ラーナと出会い、あの独特な雰囲気にあたしの毒気まで抜かれてしまったものだから
姫さんが憧れる理由が納得出来るくらい不思議な魅力のあるヤツだとは思っていた。
そんな雰囲気を、笑顔の魔法なんて、蒼が言っていたが……。
その魔法の代償なんて。そんな事は考えたくない。
あたしにしては珍しく、その理不尽には怒りを覚えていた。
「アズマを……いや、ラーナにそんな事したヤツは、何処のどいつなんだ?」
誰も悪くない。何も悪くない。
リーノはそんなことを言っていた。
確かに。その通りだとは思う。そんな事を言えるアイツは大したヤツだと思う。
それでも、何年も前の話だろうと
そんな事になってしまった元凶のソイツへの怒りは隠せない。
あんなに優しいヤツに、そんなに悲しい嘘と過去があっちゃいけない。
「それが、どんなに調べても素性がわからんのだ。あの日から何度も調べた。未だに調べている。件のイジメられていた少女に話を聞こうともしたが、その少女は既に事故で亡くなっていた。いや、恐らく……」
「消されたんでしょうね。そして、そんな力を持つ一族は、限られている」
「その少女の事故を調べたら、随分と不自然な点も多くてな……調べて行くうちに雨宮の使いと名乗るモノにこれ以上踏み込むな。なんて脅されたものだから、わかりやすかったよ」
唐突に物騒な話に飛んでしまい、思わずあたしの口からは何も紡ぐことは出来なかった。
……なるほど。
二人が雨宮を必要以上に警戒する理由がわかった。
「ごめんなさい。私の一族がこの街でそんな事をしてたなんて……私の一族のせいでそんな事になっていたなんて」
そんな事までは知らなかったと。
話を聞いていた白が俯いてしまっていた。
「白、違うの。多分奴らの狙いは私達の一族。その頃には私がこの街に存在しなかったのは、想定外だったのだろうけれど……だから元凶を辿れば、それは私達の一族が撒いた種」
姫さんまでも、そんな風に責任を感じてしまっている。
……ったく。
自分を責める二人にアズマの姿を重ねてしまい、小さくため息を漏らす。
「白も姫さんも……なんだ。ついでにアズマの野郎もだけど、リーノが言ってたみてぇに誰も悪くねぇだろ。悪いのはソイツだけだ」
「私も同感だよ。亡くなってしまった少女にもっと早くコンタクトが取れていたのなら、その少女を救う事も出来たかも知れん。だが、そんな後悔はいくらしたって、戻ってこない」
あたしに続いて
少し悔しそうな声色のヴャクトの言葉。
一番怒りを感じているはずのコイツの口から、そんな事を言われては何も言い返せないみたいで
多少はその言葉で肩の荷も下りたんだろう。ごめんと、二人が頭を下げていた。
「ラーナが私の記憶を失ってしまった事を気に病む必要はない。それがラーナの負担にならないのなら、私は他人と言う関係でも一向に構わない。
私はアズマとラーナの綺麗な友情とあの世界を守りたくて、この道を選んだのだ。だがな……」
淹れてもらった紅茶を一口飲み、自分を落ち着かせるようにと。小さく息を吐きヴャクトは続けた。
「未だこの街にいるかも知れないその悪意は、決して放ってなどおけないモノだ。勿論、白や蒼を巡る雨宮の一族の件も。同じように私は許す事など出来ない。
そして、そのような世界を知る必要は、あの子達にはない。このような黒い感情を抱くのは、私だけで充分だ」
ヴャクトも相当の手練れだとは思う。
アズマも酒ですら勝てないなんて抜かすくらいに、こいつの強さは感じているみたいだし
探偵なんてしてるくらい、人を見る目や、勘の良さも持っている。
そんなヤツが、未だに尻尾を掴めない存在。
姫さんと言い、アズマと言い、ヴャクトと言い、こうもあたしより腕っぷしの強い連中がどんどん現れると、少し自信が無くなってしまうけど……。
「もしもこの街にそんなクズが居るなら、その手の話は勝手にあたしの耳に届くだろうし、その時は任せろ」
仮にもこの街一番の不良なんて伝説扱いされてるくらいには、腕に自信はあるし
その手の話はその辺の奴らから勝手に流れてくる。
ある程度は力になれるはずだ。
「……私だってラーナの事は憧れるくらい好きだし、白や蒼が傷つくのは見たくないから」
その決意は、姫さんも同じみたいだった。
それに。と続けて姫さんは珍しい言葉を口にしていた。
『あなたは悪い意味で有名過ぎます。どうかお嬢様との付き合いをやめてもらえないでしょうか』
姫さんと出会って数ヶ月が経った頃に、如何にも紳士と言った立ち振る舞いのその男はあたしの前に姿を現した。
その後すぐに姫さんが現れて、付き人が馬鹿な事言っちゃってごめんと。
そうしてあたしは戸野の話を説明された。
それでも納得がいかないと言った付き人に、姫さんはため息を漏らし
私と涼子を本家へ連れて行きなさいと。そんな流れで
あたしは姫さんの素性を知ることになった。
そして、姫さんの親父さんと出会って
『噂などで他人を判断してはならない。私達には必要以上の力がある。
だからこそ、浅はかな考えは持ってはならない。
夏妃の付き人が大変失礼な事をした』
と逆に頭を下げられてこっちが混乱してしまったのは未だに覚えてる。
金持ち一族のクセに随分と立派な人で
そこで、姫さんの持つ強さと、人を惹き付ける魅力にも納得したものだった。
だけど、そんな姫さんから紡がれる言葉は
「雨宮に立ち向かうのなら、雨宮と同等の権力を振りかざして、同等以上の暴力でねじ伏せなければいけない。その為にも私は必要でしょう? 初めて会った時もその説明はした筈よ?」
無闇に力を振りかざしたりしない姫さんらしくない言葉。
だけど、その言葉には、雨宮を一番間近で見てきたであろう白が頷いていた。
「あの一族に、説得は通じない。説得しようとした私の両親は……殺されてる。私だけ運良く生き残った」
毎日のように変な行動を取らないかと見張られていた。
ある日、蒼という女の子に懐かれて、蒼は雨宮の一族でも頭脳だけは優秀だったから
仲良くしてるのがバレてから、どんどんと一族から遠ざけられるようになった。
そして、蒼が中学三年生になった頃には、雨宮を追い出され、一人で好きに生きて行けとこの街に捨てられた。
蒼は事情を知り、雨宮を抜け、そんな私を追い掛けてきた。
そんな話を続けてくれた。
本当に吐き気がするような話で。
思わず白の頭を撫でてしまう、らしくない行動を取るくらいに。
「お前はアズマやラーナと笑ってるほうがよっぽど似合うヤツなんだから、深く考えるんじゃねぇ」
「伝説の不良が、随分と思いやりのある行動を取るものなのだな」
あたしの噂もある程度は把握してるみたいで
あたしの言葉と行動にヴャクトが優しい笑みで、からかうような事を言ってくるもんだから
思わず恥ずかしくなってその手を離してしまう。
「すまないな。白の事情まで探るつもりはなかったのだが」
そうして続けたヴャクトの言葉に
「皆が居たから、私の世界に色が生まれた。それにラーナとヴャクトの関係は私も探ってたから、お互い様」
少しイタズラな、優しい微笑みを見せる白。
その微笑みはクソみたいな世界で生きてきたヤツが見せられるモノじゃなかった。
『その子は本当に凄い子なの!』
ラーナと出会う前。耳が腐るんじゃないかってくらい姫さんから何度も聞かされていた言葉。
少し話をした程度でもその雰囲気は周りを安心させて笑顔にさせるような独特な雰囲気だと思ったが
そんなクソみたいな世界で生きてきたヤツまでもがこんなにも優しい、温かい笑みを浮かべている。
想像以上に凄いヤツなのかも知れない。
……ラーナを二度と傷つけまいと。アズマがあたしなんかを頼る訳だ。
「しかし、そうか。予想以上に厄介だな」
ヴャクトは暫く考えて、口を開いた。あたし達の話を全て纏めて、結論を出したみたいだった。
「白には涼子にも言われたように、今まで通りの生活を送って欲しい。ただ、もしも変な視線を感じたりした時にはすぐに相談してくれ」
「力になれないのは、悔しいけど」
白は如何にも非力そうなヤツだし、仕方ない。
ただ、姫さんの素性をすぐに理解するその目は、多分ヴャクトの言った仕事には向いている。
「ラーナと一緒に居てくれるだけで、充分力になってるんだから。あまり気にしないで」
姫さんが、そんなフォローをしていた。
「アズマとも仲がいいみてぇだしな。あんなバカにラーナとお前みたいな友達が居れば、あたしもソレで余計な事考えなくて済むわ」
ラーナが倒れた時と言い、アイツは冷静さを失うと極端な行動を取りがちだ。
そのブレーキになる気がしたから、あたしも白にそんな事を言う。
あたし達の言葉に、納得したのか、白は小さく頷いた。
「夏妃はご令嬢の立場から雨宮の動向が探れるだろうし、涼子は伝説の不良などと呼ばれる立場で、私以上にそちらの世界の話を耳にする事も多いだろう。……情けないが、雨宮の件は、どうにもお姉さん一人の力では限界がある。どうか力を貸して欲しい」
そんな事をあたし達に向けてヴャクトが言っていた。
あたしだって、姫さんをあまり危険な目には遭わせたくないし
アズマがそっちの世界に堕ちるのは求めていない。
それにラーナ。あの優しいヤツをそんな風にした元凶を許せないその気持ちと白に対する雨宮の仕打ちの酷さ。
その怒りはあたしもさっきから感じている。
「私は元々そのつもりって、最初から言ってるじゃない……」
呆れたように微笑む姫さんの言葉に続く。
「この街で悪さしていいのはあたしだけってのを教えてやんなきゃならねぇしな」
「ごめん涼子。ふざけてないのはわかるんだけど、その言い方はどうなの」
クスリと。姫さんがあたしの言葉に笑っていた。
そんな突っ込みを聞いて、ヴャクトや白も微笑んでいた。
今までのあたしなら、こんな空気耐えられなかったのに。
本当にラーナに毒気を抜かれてしまったような気がする。
「すまない。本当に助かる。それと、これは私達だけの秘密にして貰えないだろうか。リーノもある程度の事情は知っているが、巻き込むような真似はしたくない」
「うん。蒼も同じ」
「それに一番はラーナよね。あの子がこんな事知ったら、一人で雨宮に説得しに行きそう、なんて。簡単に想像できちゃう」
三人が、そんな事を抜かすものだから。
そんな話で、なんとなく。
さっきから自分でも毒気を抜かれたと感じていたから、理解する。
それは……ラーナを中心に作られて、ずっと守られてきた空気なんだと。
姫さんと出会ってから、少しはマトモに生きようと使うのを控えてきた牙。
その牙を姫さん以外の誰かの為に使う事になるとは考えてもいなくて。
らしくないとは思っても、この空気には敵わない。
随分と素直になっちまったもんだと。
そんな事を思ってしまう。
「ただの野犬が、まさか番犬になっちまうなんてな」
小っ恥ずかしくて、それは誰にも言えないから
小さく。聞こえないように呟いてしまっていた。




