姫の為、風は靡く
小さな一歩。それは大事な一歩。
「相っ変わらず汗臭え所だな」
姫さんの憧れの女の子とやらの正体を知って。
あたしは意を決してそのジムに顔を出した。
ジムの奥。サンドバッグを叩いているのはあたしのトラウマ従姉妹
これ以上強くなって、コイツはどこを目指してるんだ。
そんな事を思い、頭を抱える
「おーいクソアズマ。あたしの声忘れちまったかー?」
あたしが声をかけると、一度、思い切りサンドバッグが揺れて
「あたしにボコボコにされて逃げたバカ涼子だろ。覚えてるよ」
……だあぁ! だから苦手なんだ。コイツは!
ピキッと、額に青筋が立つが、正直コイツにはケンカで勝てる気がしない。
それにそもそも今日はケンカを売りにした訳じゃない。
「思い出させるんじゃねぇよ……」
冷静になれ。あたし。
「で、そんな涼子がわざわざあたしを訪ねてくるなんて、なんの用だ?」
汗を拭いながら、近付いてくる。
思わず身構えるあたしを見て、アズマは可笑しそうに笑った。
「相変わらず、良くない噂ばっか聞くけど、まさかあたしに喧嘩売りに来たわけじゃないよな?」
以前はあたしの顔を見る度にそっちから喧嘩を吹っかけてきたくせに。と。そんな事を心の中で思う。
まぁ、鍛えてやるなんて抜かしたあたしが悪いのは自覚してるけど。
暫く見ないうちに、その辺は成長していたみたいだ。
「あたしもそこそこ強くなったとは思うけど……なっ!」
そう言って、さっきアズマが叩いてたサンドバッグを力任せに思い切り殴り付けてみるが、揺れ幅はアズマの半分程度だった。
「やっぱりクソアズマには敵わなそうだわ」
改めて、力の差を思い知って苦笑いしてしまう。
元々の基礎として空手を習ってたようなヤツだ。
それにプラスしてあたしの喧嘩術。
更には未だにジムに通って鍛え続けてるコイツと
たまにケンカを売られて買う程度のあたしでは実力の差は開くばかりだろう。
「相変わらずのバカ涼子。サンドバッグは素手で殴るもんじゃないよ……。ほら、手の皮剥けちゃってるじゃん。手当するから待ってて」
アズマはそんなあたしの行動に少し苦笑いして。
あたしの手を取り、拳の皮が剥けていたのを確認して、走ってゆく。
あぁ、そう言えばアズマ、グローブしてたわ。なんて今更思い出した。
しかし、あたし如きの、しかもこの程度の怪我でそんな心配するようなヤツだっただろうか。
小さな変化に、不思議な違和感を覚えて。
救急箱を取りに行ったアズマを待ちながら
「流石に借りは返さなきゃなんか気持ちわりぃ」
そう呟き、自販機でドリンクを二つ購入しておいた。
「どうもー! こんにちはー!」
背後から、元気そうなガキの声。
こんな汗臭いジムにガキなんて珍しいと、振り返る。
「……って、うわあああ!!!」
一目では男と間違えるようなそのガキは
あたしの顔を見て、目を丸くして叫んでいた。
「あ? なんだ?」
「な、殴り込みとはいい度胸じゃないですかっ! アズマ姉さん程じゃないけど、私だってソコソコ強いですよ! 時間稼ぎくらいならしてみせますっ!」
ガキが、あたしに向かって臨戦態勢とばかりに、構えていた。
「おいおい、あたしはガキをイジメる趣味はねぇよ……」
そのガキの構えは、あたしが昔喧嘩を教えた時に覚えたアズマの構えと似ていた。
それにアズマ姉さんと言う呼び方。
見た目こそは全然違うが、なんとなく昔のアズマの面影を感じるガキ。
「貴女がラーナさんに危害を加えようとしているのは知ってます! 問答無用っ!」
「あ? 今、ラーナって言ったか?」
ラーナと言う言葉に思わず油断してしまい、気づいた時には綺麗な回し蹴りが飛んできていた。
だけど、所詮はガキの技。半歩下がって軽く避けてやる。
アズマに鍛えられてるとか抜かしていたが、どうやらまだまだ半人前だ。
その後に繰り出される攻撃の数々も、殆どがあたしがアズマに教えたもの。
ときおり恐らくアズマ自身が練り上げてきたような見知らぬ攻撃も混ざってはいたが、それもギリギリの所で避けられる。
コレをアズマが使ってきたらと思うと、中々に冷や汗モノな技だったが。
「な、中々やりますね……」
「そりゃどうも」
ガキの言葉に、小さくため息を吐いて応える。
「悪い! 救急箱見つからなくて手間取っ……て、なんで凛と喧嘩してんだ!」
そこに、アズマが走って戻ってきて、そんな叫びを上げていた。
「アズマ姉さん! この人は危険な人です! 申し訳無いですが、今回ばかりはこうするしかないんです!」
「あたしはこのガキにいきなり因縁吹っかけられただけで、手ぇ出してねぇからな」
喋りながらも飛んでくる拳や蹴りを避けながら、あたしも言い返す。
あたし達の言葉を聞いて、凛と名乗るそのガキが怪我一つないのも理解したようで
そもそもアズマの目の前でもあたしは避けるだけだったから、ある程度は信じてもらえたのだろう。
アズマは大きなため息を吐いていた。
「凛じゃ勝てる相手じゃないのはわかっただろ。あまり無茶すんな」
そう言ってアズマが宥めると、凛と呼ばれたガキはあたしへの攻撃を止め、しょんぼりと項垂れていた。
「ううぅ、まだまだ無力ですぅ」
その年齢でそこまで綺麗に攻撃を繋げられるのは
アズマに鍛えられているとは言っても中々の才能だとは思う。
喧嘩を吹っ掛けてくる度胸だって大したもんだ。
なんとなく、落ち込むガキに対してそんな事を思う。
「涼子はとりあえず手当て!」
その言葉に、あたしはアズマに向かって怪我をした手を差し出してやる。
「バカ涼子、凛にまで因縁吹っかけられるってどういう事なのさ」
手慣れた手付きで、あたしの手に包帯を巻き終えると、包帯の上からベシンと叩かれた。
「いってぇなクソアズマ! 知らねぇよ! こんなガキ見たこともねぇ!」
思わず手を抑えて、勘違いしているアズマに向かって叫ぶ。
「ったく……やっぱりコイツと関わるとロクなことがねぇ……」
今度はこっちがため息を吐いてしまう。
「え、えっと……アズマ姉さんの知り合いなんですか?」
そんなあたし達のやり取りを見て、ようやく凛とかいうガキは警戒を解いたようだ。
流れる汗を手で拭いながら、そんな事を聞いてきた。
「樋木涼子。コイツの従姉妹だよ。それにしても、いきなりあたしに喧嘩売るなんて、いい度胸してるじゃねぇか。見込みあるヤツだなお前。凛だっけか」
ポイッと、アズマに渡す予定だったドリンクをそのガキに向かって投げてやる。
「わっ、とと。」
「それ、やるよ」
受け取って戸惑っている凛に、そう言って小さく笑ってやる。
「涼子、なんか少し変わった?」
そんなあたしの様子を見て、少しアズマが目を丸くしていた。
……まぁあたしも姫さんと出会って、多少なりともマトモな道を歩もうとは心に決めている。
無駄な喧嘩や、必要以上に相手を痛め付けるような事もしなくなった。
姫さんがあたしを認めてくれたから。
あの家柄があたしを認めてくれたから。
だから、姫さんの隣に立っていても恥ずかしくない程度の人間にはなろうとしている所だ。
姫さんの為にわざわざこんな事までしてるのだって
らしくないと言われたら、らしくないとは思う。
「うっせ」
そんな小っ恥ずかしい事、アズマにだけは絶対に言えないから、そう返してやる。
「あ、ありがとうございます。そこまで悪い人では無いんですね。いきなり攻撃しちゃって、なんだかすみません」
ペコリと、飲み物を両手に凛があたしに向かって頭を下げていた。
全く。変に素直な所とか、本当に昔のアズマを思い出しちまうようなガキだ。
「気にしてねぇよ。それより、本題だ。凛も知り合いみてぇだけど、アズマ。お前の親友に会いたいってヤツがいる」
随分と遠回りしてしまったが、あたしは本題を切り出す。
「お、お礼参りとか言ってたあの人ですか!?」
凛がまたハッとしたように、あたしに疑いの目を向けてきていた。
そこで、なんとなくわかった。
多分あたし達の会話を凛は何処かで聞いていたんだと。
「お礼参りって、また物騒な言い方だなぁ。悪いけど、そう言う事ならラーナに会わせる前にあたしがぶちのめすよ?」
凛の言葉を鵜呑みにして、アズマまでも静かな怒りを込めた瞳をあたしに向けてくる。
実際、武器を持った姫さんとアズマ。どっちが強いのかは少し見てみたい気はするけど……
「ねーよ。お礼参りじゃなくて、お礼って言ってたの聞き間違えたんだろ。あたしとは全然違うタイプの人間だよ」
呆れて突っ込んでしまう。
これ以上余計な口を挟まれる前に、あたしは言葉を繋げた。
「姫……じゃねぇ。戸野夏妃ってヤツだ。小さい頃にこの街に居たことがあって、その頃にラーナに助けられたとかで、それからずっと憧れてるんだと。礼も言えずに引っ越しちまって、それがずっと心残りだったんだとよ」
わざわざこの街に戻ってくる程に、それは姫さんの大切な記憶らしい。
元々小さな頃は姫さんがいじめられっ子だったとか言われて驚いたのは覚えている。
それくらい、今の姫さんは色々な意味で強いし、あたしとは正反対の意味で有名な人だ。
流石にそこまで説明すると、面倒だから軽い説明だけをする。
だけど、そんな軽い説明だけで、二人は何処か納得したように頷いていた。
「もう、本当人望のあるやつだなぁ……」
……あたしにもその一ミリでも優しさを分けた瞳を向けてみろ。
そんな事を思うくらいに、優しい瞳でアズマが呟いていた。
あたしはラーナを詳しく知らないからなんとも言えないが……
アズマが強くなりたいとか抜かしたのはそいつの怪我が原因だったのは覚えてる。
姫さんもラーナは強くて優しい子とか言ってたし
アズマがそんな事を抜かすくらい大切にしてるヤツ。
直接面識は無いが、アズマと仲良く話している姿は遠くから見た事があるし
最近も姫さんと一緒にその姿を確認している。
どうもあたしにはそんな凄いヤツだとは思えなくて、不思議だけど。
『あの子達は強さを間違えない』
そんな事を見ず知らずの女に唐突に抜かされた記憶が蘇る。
姫さんの強さを知った今なら、その意味がなんとなく理解出来る気がする。
「一応、探偵さんに相談します?」
「うーん……でもソレを伝えるためにわざわざあたしの前まで涼子が姿を見せるレベルだから、少しは信用できるかな……」
ヒソヒソ話してるつもりだろうが、思い切り聞こえてる。
全く、あたしをなんだと思ってるんだ……。
「ほれ、あたしと姫さんの連絡先だ。怪しいと思うなら、アズマも凛も一緒に来ればいいだろ。ラーナと会えりゃ、他の人が居ようと文句言うようなヤツじゃねぇよ」
あたしを疑うのは別にいい。
それくらい悪い噂が流れているのも自覚してる。
だけど、姫さんは疑わないでくれと。
そんな事を思いつつ、連絡先を書いた紙をアズマに無理やり手渡した。
「あぁ、あとドリンク飲みそびれたから、それ、アズマにやる」
ベンチに置きっぱなしにしていたもう一つのドリンクを指さして、呟き
「お前達がラーナってヤツを信用してるように、あたしは姫さん……じゃねぇ。夏妃を信用してる。まぁ、あたしの言葉なんて信じられねぇだろうけど、そう言う事だ」
あたしは言い残し、そのジムを後にした。
「姫さん……?」
少し戸惑ったようなアズマの声が聞こてたが、無視した。
……一応、あたしがやれるだけの事はやっただろう。
なんだかんだで根は優しいアズマの事だ。
ここまで譲歩して、苦手なアズマの所に顔を出してまで頼んだあたしの気持ちを理解してくれる筈だ。
会わせないという結論は出さないと思う。
と、そんな事を考えて
「いや、根は優しいはやっぱり認めねぇわ」
小さく独り言を言ってしまった。
それに探偵がどうとか言ってたから、最悪
姫さんの素性が知れ渡れば、会わせないなんて結論は出ない筈だ。
……だけど、万が一もあるからな。
会わせるという日程がハッキリ決まってから、姫さんには伝えよう。
頼んだ、アズマ。
姫さんは、あたしの唯一の友達なんだ。
がっかりする顔は見たくない。




