翠の姉妹
白い雨で動く時間
「今日は雨か」
もうすっかり慣れてしまった探偵業と一人の生活。
窓越しから、空を眺めて小さく呟き、なんだか自分でその独り言が可笑しくて
フッと笑ってしまう。
「このクセだけは直らんものだな」
いつも私が小さな独り言を言うと、子犬のように反応しては
馬鹿みたいな事を言ってきた妹を思い出す。
もう、妹の記憶に私は居ないというのに。
全く、変な所で女々しい奴め。小さくため息を吐いてしまう。
失ったわけでもなんでもない。
あの娘の生活は何も変わってなどいない。
私が他人だというたった一つの嘘だけが、そこにあるだけ。
ラーナの一部の記憶が抜け落ちてしまっている。
そんな事、ラーナにもアズマにも言える筈がない。
その事を知れば、ラーナは私の事を思い出そうと、必死に気を使ってしまうくらい優しい娘だと、私は知っている。
その事を知れば、アズマは今以上に自分の無力さを痛感して、無茶な事をし始める責任感の強い娘だと、私は知っている。
見た目も性格も全然違う二人が、小さな頃から親友としてお互いの強さを認め、尊敬し合っている。
そんな綺麗な友情を、そんな綺麗な日常を、私は守ろうと決めたのだ。
そこに後悔などはない。
「雨は嫌いです。感傷的なヴャクト姉さんを見てしまうから」
不意に、背後から声をかけられた。
「そうか? 私は嫌いではないがな。あの日の誓いを思い出させてくれる」
フッと笑って、振り返る。
濡れた傘を手に、リーノが俯いていた。
音もなく自分の家のような感覚で、事務所に姿を現しては
私にラーナの現状を報告してくれる、もう一人の妹。
あの日、この子が私の代わりに医師に激昂してくれたから、私は冷静な判断が出来た。
私が家を出てからラーナと二人の暮らしを始め
未だにずっと私と共に秘密を守ってくれている優しい妹だ。
そのせいか、随分と見た目の年齢以上に精神的に大人になってしまった、もう一人の被害者でもある。
私にだけは未だに甘えてくるのが妙に可愛くて、ポンポンと頭を撫でてやる。
子供扱いされるのがイヤなのか、少し頬を膨らませて
それでも、どんなに背伸びをしたってまだ中学生なのだ。
普段張ってる気を抜くように、リーノは目を瞑って、私に撫でられるのを拒否しなかった。
「……あの日も、雨でしたから」
リーノが寂しそうに呟く。
……それは事故の日の事ではない。
私がリャグーシカの家を出た日の事だろう。
ラーナが退院する前。ラーナを混乱させない為にと、
私とリーノは全てのアルバムから私の写真を抜いて、燃やした。
私の賞状やラーナが描いてくれた家族の絵。
私があの家に存在していた記憶を全て無くす為に、随分とバタバタしたものだ。
それくらい、ラーナと私を結び付ける記憶を持ったモノが多すぎて。
本当に家族を大事にしてくれている娘だと私は苦笑いしてしまったものだが。
……私の記憶を一つ消し去る度、一つ燃やす度、悲しそうな表情でリーノは何も言わず私に抱きついて来た。
あらかた片付けて
「これが、最後だな」
私がそう言って自分の髪留めを外そうとした時
「それは、ダメです」
リーノにそれを止められた。
ラーナらしい、優しくて、何処かいたずら心のある記憶の欠片を持つ髪留め。
「その記憶は……失くしたくないです」
そんなリーノの言葉と共に。ポツポツと降り出した雨は、まるでリーノの涙のような気がしたのを覚えている。
普段、わがままをあまり言わないリーノの言葉に
私は諦めたように笑い、その記憶の欠片を燃やすのをやめた。
「どうして、ヴャクト姉さんだけ……」
強い怒りと悲しみの混ざる呟き。
「責めるな。誰も悪くない。何も悪くない」
決してラーナやアズマを恨むなと。あの二人は間違ったことなどしていないと。
紡ぐ言葉が見当たらなくて俯いたままのリーノに強く、何度も言い聞かせた。
リーノに言い聞かせる反面で、私は一つだけ、嘘をついていることを申し訳なく思う。
何も悪くない。それは事実だ。アズマの正義感は正しい。
ラーナの、咄嗟の判断だって普通の人では真似の出来ないくらい正しい行動だ。
しかし、誰も悪くない。
ここには一つ例外の人間が存在する。
鈍器なんてモノで人を殴ればどうなるか……そんな事、普通の人間なら容易に想像がつく。
それにラーナの怪我の具合や、アズマの慌てよう。
見知らぬ、名も知らぬその犯人の行為からは、ただの脅しでもなんでもなく。明らかな殺意を感じ取れた。
いくらイジメっ子という根本からのクズとは言え、その一線を簡単に越えられる馬鹿がこの街の何処かに存在している。
その悪意が、この街にある。
……ここは私が調べる所だ。リーノには言う必要も無い。
そんなドス黒い殺意にも似た怒りを秘めるのは、私だけで充分だった。
……それから、数年。本当にこの子は真っ直ぐ立派に育ってくれた。
「それで、今日はどうした? ラーナに何かあったか?」
撫でるのをやめ、少し濡れてしまっていたリーノにタオルを投げ渡し、座るようにと促しながら
私は問いかける。
まぁ、何事が無くても、私の事を放っておけないのか、定期的に顔は出してくれるのだが……。
「お姉ちゃんはいつも通りです。良くも、悪くも」
少しだけ、棘のある言い方でリーノはくしゃくしゃとタオルで髪を拭った。
長いような短いような流れる時間。
ラーナが未だ私の記憶を取り戻すような素振りが無い事が少し不満なのだろう。
「良くも、悪くも。か」
そんなリーノの気遣いと、未だにそういう感情的な面を見れるのが少し嬉しくて、クスリと笑ってしまう。
「責めるな。誰も悪くない。何も悪くない。ヴャクト姉さんの言葉、私だってちゃんと理解はしてますよ……」
だけど、納得が行かない。その怒りや悲しみのやり場が無くて、頭を抱えているのだろう。
感情をぶつけるかのように、濡れたタオルを私に投げ付けてきた。
「よっと。ナイスパス」
ヒョイッと。
それをいとも簡単に受け取ると、リーノは不服そうな表情を浮かべる。
「もう……完璧過ぎる姉とポンコツ過ぎる姉の妹になった私の気分になって欲しいモノです」
ため息をついて、リーノは今日はそれだけじゃないと続けた。
「実は、ラーナお姉ちゃんに新しい友達ができたのです」
そう言って、一枚の写真を差し出す。
アズマの傍ら。写るのは、真っ白な髪と赤い瞳の、綺麗な少女だった。
年齢は、リーノよりも少し上。そしてラーナやアズマよりも少し下と言った所だろうか。
「ふむ、アルビノ体質と言うモノだな」
そう言うモノに偏見など持たないし、ラーナが友達と言ってリーノに自慢してるのなら、悪い子ではないだろう。
何が不満なのかと、リーノを見てみる。
「あ、いえ、別に不満とかじゃなくて……その、この人、見覚えありませんか?」
私が聞く前に察する勘の良さは、相変わらず流石だと思う。
そういう意味で伝えたのではないと、リーノは語る。
「……そうか。雨宮の血筋か」
リーノの言葉に、改めてその娘の写真を眺めて、私もすぐにソレを理解した。
あまり良い噂の聞かない、有名な財閥。雨宮一族。
以前、探偵業のトラブルでこの一族とは少しだけ因縁があった。
目と髪の色で最初は気付かなかったが
確かによく見れば少女のその顔立ちは、雨宮の血を感じさせる。
「やっぱり、そうですよね。実はさっきラーナお姉ちゃん、その白さんって方と遊びに行くって出掛けて……」
少し不安げに、リーノが呟く。
たまに私の書類の整理などを手伝ってくれているから、リーノも雨宮の件を知っていたのだろう。
しかし、雨宮関連の事件は血生臭い話も多いから、なるべくリーノの目に付かないように書類などは隠していた筈なのだが……
全く、私の事を完璧とか言う割に、そう言う所はリーノの方が勘が働いている気がする。
本人に自覚は無いのだろうし、その件に踏み入らせて危険な目になど合わせられないから、リーノには言わないが。
「以前、雨宮の掟でアルビノは穢れた血などと呼ばれているのを耳にした事はあるな」
「なんですかそれ。いつの時代のお話ですか」
私が口にした言葉に、呆れ返ったようにリーノが反発した。
本当に、現代に生きる私達からすれば呆れるような馬鹿馬鹿しい掟だ。
だが、古くから続くような名家に、そのような掟など、いくつも存在するのを私は知っている。
雨宮と対を為す名家だけが、唯一の例外で不思議に思ったものだが。
過去、雨宮の一族が、その穢れた血をどうしていたのか……
流石にその話はリーノには言えないような事だが。
「念には念を入れて悪いことは無いか……これから二人が会うのなら都合も良い。私も周囲を探ってみよう」
私はそう言い、立ち上がると、掛けてあった変装用の帽子を手に取った。
ラーナとはリーノの世話をした探偵として、リーノを通じて面識を作って貰っている。
最初はリーノのその提案を断ったのだが、そこだけは譲りたくないとリーノに押し通されてしまった。
ラーナと似たこの髪の色は、この街では目立ってしまう。
それに流石は私の妹と言ったところで、ラーナは勘が鋭い所もある。
……だから、可能な限り面識を持つのは控えたかったのだが。
ーー全く、妹達には敵わないお姉さんだ。
小さく笑い、表情を引き締める。
これは、そんなラーナに知られぬように動くため。
こんな時のために買っていた帽子だ。
今の世で、そういう事があるとは信じ難いが……
雨宮の一族は油断ならない。
もしかしたら、この白という少女もそんな一族の被害者かも知れない。
それならば、厄介な虫が紛れ込む可能性もゼロとは言い切れない。
それに、何よりも。
ラーナの友達というのなら、そんな環境にあるこの子を放っておくのは私の性に合わない。
「申し訳ないです。私にはそういう問題に立ち向かう勇気がないのです」
怖い顔になってしまっていたのだろうか。
申し訳無さそうにリーノは自分の無力さを嘆き、俯いていた。
「へえぇ? 凛ちゃんの時はずいぶん勇気があった気がするのは、お姉さんだけかなぁ?」
だから私は、そう言っていたずらに笑って見せる。
リーノが、男子にからかわれてる同級生の赤山凛と言う少女を助けた話。
今では親友と呼んでも過言ではないほど、二人は仲が良い。
事あるごとに、凛ちゃんはアホなのです。なんて私に話をするのが、その証明だ。
卑下するほど、リーノは弱くない。
「あ、あれは、だって……!」
「問題の大小なんて関係ないさ。大切なモノを守りたくて動く。私は、それは世界で一番綺麗な話だと思うよ」
そんな自分の正義感が、恥ずかしかったのだろう。
言い淀むリーノに、私は続けて、ひらりと手を振った。
「姉さんがそれを言うのは、ずるいです……」
そんなリーノの言葉を背に、事務所を後にする。
……ずるくてもいいさ。穢れを知らないこの子達が、汚い世界を知る必要なんてない。
私の周囲にある温かい世界を。優しい世界を守るため。
その為に、私は探偵と言う職業を選んだのだ。
妹達が。そしてアズマが築き上げてきた、穢れのない綺麗な友情を踏み躙る人間は、誰であろうと許さない。
外に出てみると、雨は既に上がっていた。
雨上がりのアスファルトの匂いが妙に鼻に残る。
ラーナが遊びに出掛けると言えば、駅の近くのショッピングモールくらいだろう。
私は帽子を深く被り、軽く背伸びをしたあと、ショッピングモールへと向かい、少し駆け足で向かった。




