第七節「遠い星より愛した君へ」
██色の髪が窓からさす太陽の光を受けて煌めいた。
████の花弁をこれでもかと集めたような██の瞳に、陶器のような白い肌。
ネイビー色のドレスを身に纏って、袖にあしらわれた金の刺繍が入ったベルスリーブは、彼女の動きと合わせて揺れていた。
シンプルであり、しかし高貴さを出すそのドレスを買ったのはヴィヴィだった。
彼女の瞳の色に合わせるように、特に特別な日でもなかったはずなのに、ヴィヴィは彼女に似合うという理由だけでそれを買ってきて、ひどく彼女を驚かせたのを覚えている。
彼女曰く“それほど気が効くとは思わなかった”、“女心を生涯わかることなく終えると思っていた”、“こんなサプライズがあるとは思わなかった”。
言いたい放題だった。
まぁそれほど自分が器用でないことはヴィヴィだって知っていた。だからこそ妻であるドゥース・ア・ランプルールには日々、“だからモテないのよ”と言われていたのだ。
そのくらい日常的なことになるとヴィヴィは彼女を呆れさせるほどにノンデリカシーを発揮していたのだ。
だからこそか、彼女はヴィヴィが初めて自発的に買ったそのドレスをよく愛用していた。
神聖ローブ帝国帝都のパレ・マニフィック王宮の一室。
そこがヴィヴィの帰る場所であり、職場でもあった。
乳白色の壁、暖炉が備えられ、ベッドルームとドレッシングルームへと繋がるブラウン色の扉があり、中にはソファーとアンティークなテーブル、ドゥースが欲しいと強請った流行りの画家の絵が壁に飾られ、ライトグリーンのカーテンが窓を彩る。
それらを照らすように輝く頭上のシャンデリアはクリスタルガラスで作られており、床は暖かみのある木目調になっている。
ヴィヴィはそこに帰ると自然と気が緩んだ。
迎えてくれるドゥースに「ただいま」と声をかけるのが日常で、顔も声色も思い出せないのに確かにドゥースは至極柔らかな声でいつもヴィヴィを迎えてくれた。
ドゥースとの出会いは政略結婚の取り決めの時だった。
貴族のそして伯爵家として、ヴィヴィはそれに異論反論はなかったし、ドゥースもそれに対して何か不平不満を抱えることはなかった。政治的なものが自分の行動全てに絡んでくることを理解していたし、理解できないほどの馬鹿ではなかったのだ。
だから、ヴィヴィは革命のときドゥースも殺そうと思っていた。
両親も弟も腐敗した政権に対して疑問はおろか、自分たちの暮らしが守られるのであればどうでもいいというスタンスを取ったから、ヴィヴィとは違う感性を持ちそれが遅かれ早かれ蟠りを生み、深い亀裂を作ると悟ったからヴィヴィは、革命後の今までとは様変わりした暮らしを見る前に、幸せな暮らしを抱いたまま殺すことに決めた。
そして、その思考は関係者含めて殺した方がいいとヴィヴィは答えを出した。
だから仕えていた侍女も執事も全員取りこぼしがないように殺した。
革命への支障が出るから、自身が家族を殺したことで何か不穏なものを嗅ぎつける輩が出てくると考えた末に、ヴィヴィは躊躇もなく今まで愛した、そして愛された人々全てを殺したのだ。
憎しみがあったわけではない、苛立ちがあったわけではない、むしろちゃんと慈愛を持ってたし、尊敬もしていた。
お互いにリスペクトを持ち、良き関係を築いていたという自覚もある。申し訳なさはあった、でも罪悪感は持たなかった。持つべきことでもないし、持ったところで意味もないと知っていたから。
自分の恵まれた環境、人間関係、富と名声。
その全てを投げ打って、命まで差し出して、それでも成し遂げたいことがあったからそれでも成し遂げたいことがあったから、全てはそれだけのためにした。
そして、その現場を見たドゥースも例外なくヴィヴィは殺そうと思っていた。
けれどドゥースは悲鳴をあげることもなく、怯えて逃げ出すことも、命乞いをすることもなかった。代わりに悲しげに眉を顰めてから、日常の延長で声をかけるようにヴィヴィに問うた。
“なぜ殺したのですか”
それにヴィヴィは答えた。
別に人殺しに楽しさを見出す人間ではなかったから。まるで天気を伝えるように簡単に言った。
「必要だったからだ」
“どうして必要だったのですか”
「これからやることに邪魔になる可能性があったからだ」
“本当にそれだけなのですか?”
今思えば、ドゥースも大概イカれていたのだと思う。
出なければたった今人を殺したばかりの男にこうも続けざまに質問なんてできないだろうから。
「ここで死んだ方がマシだと思ったからだ」
“そんなこと、本人でもないのに決めつけるのはどうかと思いますよ”
そう言ってからいつもの調子でドゥースは“だからモテないんですよ”という。
「じゃあ、貴族の暮らしを失って平民に成り下がっても後悔せず生きれると思うのか?あれが」
“無理でしょうね”
間髪入れずにドゥースが答える。
今までの少しだけ悲しそうに揺れていた瞳はスンッと表情をなくして、彼女は真顔でそう言ってのけた。
“ですが私は違います。旦那様。私はあの日からあなたと地の底に堕ちようとも共にいることを選びました”
「政略結婚なのにか?」
“政略結婚だからです”
ドゥースはドレスの裾が赤く染まるのも厭わず一歩前に出た。
理解できない生き物を前にしたように首を傾げるヴィヴィに胸を張って言った。
“私はあなたの妻です。妻としての誇りも、意地もあります。親が選んだものであっても私は最後は自分であなたを選びました。それに”
ドゥースは更に一歩前に出た。
“私はあなたが愛してくれているくらいに私もあなたを愛しているのです!そんなこともわからないのですか!”
続く様にもう一度ドゥースはヴィヴィに“だからモテないんですよ”という。
ドゥースには確信があった。ヴィヴィは自分のことを愛してくれていると、不器用ながら、ドゥースが欲しいと言ったものを買ってくれるし、仕事があってもドゥースが来たら時間を空けてくれる。それに手紙を出せばヴィヴィはすぐにドゥースに返事を書いてくれた。
それがあまりにも早くって、ドゥースはおかしな人だと笑ったことさえある。
だからドゥースはヴィヴィが自分をこれでもかと愛してくれていることを知っていた。
不器用ながら伝えようとしてくれたから、誠意を持って接してくれたから。
“舐めないでください、何度も言いますが私はあなたの妻です。どこに行こうがついていきますし、妻と認めたなら引きずってでも私を離さないようにしてください”
それは熱烈な愛の告白でもあった。
ヴィヴィはそれにたじろいた。サーベルを持っているヴィヴィの方が圧倒的に脅威であるはずなのに、完全にヴィヴィは劣勢だった。
彼女の愛を理解できていなかったのが敗因だ。
そしてどうすることもできないで棒立ちになるヴィヴィに更に詰め寄ってドゥースは返り血に汚れたヴィヴィの頬をつねった。
可愛さなんてものはない。
全ての力を振り絞った本気の一撃であったことを覚えている。
“そもそも派手に動くくらいなら私に一言あってもよろしいでしょう!!”
もうどうすることもできなくって焦るヴィヴィを置いてけぼりにドゥースは血に染まった見るに耐えないホールを見渡そうとした。
そこでヴィヴィは焦ってサーベルを床に落として、白かった手袋を外してドゥースの目を覆った。これを見るべき人ではないと思ったから、その美しい瞳でじっくりと見て欲しくなかったから。
今更ではあるが、アドレナリンの効果をなくしてやっと冷静になったヴィヴィは彼女の視界を守ることを優先した。
だから、それが答えだった。
“ほら、あなたはあなたが思う以上に私のことを愛しているのですよ。さっさと認めてください”
そう言って自慢げに開いている片手を絡めっ取ったドゥースの無邪気な笑顔を覚えていた。春のような笑顔を、ヴィヴィは大切に抱えていたはずなのに、それなのにヴィヴィは全て思い出せないでいた。
愛した妻だ。そして、自分が選んだ大切な愛する人だ。
それなのに。
装飾だけが豪華な貴賓室という名の牢の中で、ヴィヴィはベッドに腰かけて顔を伏せていた。手を膝の上で握りしめ、怒りとやるせなさと故郷への恋しさを堪える。
それでも、止まるばかりか溢れる思いに、ヴィヴィは奥歯を噛み締めることしかできなかった。
どうしようもないとき、大変なとき、辛いとき、そんなとき今までの自分はどうしていただろうか。
縋るべき仲間の顔も声色も思い出せない。忠義を誓った皇帝もいない。自分を選んでくれた妻も隣にいない。
女神様の祝福という名の呪いのせいで、ヴィヴィはどうすればいいかわからなかった。
“ひどい顔ね。どうしたの?”
堪えるばかりしかできなかったヴィヴィにそう語りかけるのは過去の記憶だった。
いつだったかはわからない、思い出すこともできない顔と声色だけを置いて、語りかけられた言葉だけがヴィヴィの胸中に浮かぶ。
妻の、ドゥースの言葉だった。
ちょうど思い出していたからか、それとも単にこの状況に引っ張られたからか、定かではないけれど、もうそれさえどうでもよかった。
“ねぇ、ヴィヴィ。私のヴィヴィ”
そうヴィヴィの名前を呼ぶとき、決まってドゥースは優しい声色で転がすようにいうのだ。
“私だけに見せてちょうだい。あなたが情けなく泣いていても、私だけは笑ったりしないから”
朗らかにヴィヴィにそう言ってくれたのを覚えている。
その声は確かちょっと嬉しそうに、ヴィヴィを甘やかすように、そうやって紡がれていたのをヴィヴィは知っている。
革命のときだって負ければ死ぬことよりも大変な目にあうかもしれないと言って遠ざけようとしたヴィヴィを押し除け、武器商人の家柄を全力で使い革命を手伝ってくれた。
彼女の助けがあったからこそ、革命軍は武器に困ることなく王宮を占領できたのだ。
ドゥース。
ドゥース。
ドゥース。
俺のドゥース。
その名前も過去にもらった言葉もかけがえのない思い出も、それら全てが今を生きるヴィヴィを支えてくれている。
帰らなければ、そう、帰らないといけない。
あの王宮にあの部屋に、彼女が待ちそして守ってくれている、あの世界で一番安心できる妻の側に。
彼女の影が、その後ろ姿が瞼の裏に思い浮かぶ。
日の差す方に向かう後ろ姿が、凛としたその背が、自信が溢れるその立ち姿が、一瞬だけ脳裏に浮かんで、ヴィヴィは背中からベッドに倒れた。
「ああ、くそ、やっぱり、お前は一等綺麗だよ」
たった後ろ姿ひとつ、一瞬で過ぎ去った自身の妻の影をヴィヴィは噛み締めるようにそう言った。顔も声色も覚えていないのに、それでもヴィヴィはドゥースを綺麗だとそう表現したのだ。




