第六節「サバイバル・ロッタリー」
二人の王族がそこにはいた。
片方はストレスからか細く白くなった髪と髭を生やし、自信がなさそうな青い瞳をゆらゆらと落ち着きがなく彷徨わせている。
身につける衣服は深緑色のウプランドに、肩から羽織った深紅のマント。肩、腕、足に申し訳程度に鎧をつけた姿。頭部には黄金に輝く冠が載せられていた。
正直なところ、着るよりも着られている感が否めない王に一瞬眉間に皺を寄せる。
そしてもう片方、王妃と見られる女性は同じく深緑色のシンプルなドレスに飾るように胸元にはダイヤのネックレスが輝く、加えて袖やブラウス、腰回りにスカートの花飾りやレースがある。
流れるように整えられた金髪は後ろでまとめられ、王とはまた違った形状の王冠が乗せられていた。
失礼な話だが王よりも王妃の方が威厳がありそうなイメージを感じる。
権力はまだしも、実質的なトップは王妃の方か、それにしてもヴィヴィを見る翡翠色の瞳はまるで人を見下すような目をしていた。
王妃としてのプライドか、はたまた異世界人に対する差別的な思考があるのか、推し量ることはできないがどちらにしろ“よく口を滑らして”くれそうだとヴィヴィは思考を回した。
「勇者よ。なにゆえ我らにこの場を作らせた。ここは玉座の間。礼儀も知らぬものに呼び出される筋合いはない」
つまり、王妃はヴィヴィに跪けと言っているのだ。
その間、王は何かを言うことはない。基本的に受け身な様子を一瞥してからヴィヴィは毅然とした態度でそれを拒否した。
「私はこの場へ拉致された身、加えて私は神聖ローブ帝国における宰相の地位を持つもの、そう言われて跪くことは祖国を背負うものとして安易に行えません」
「なるほど、この世界にない土地を持ってくるのか。その言葉が真実であったとしても、ここは貴様にとっては異邦の地、その地位はあってないようなものであることを理解していないのか」
「であるのならば、私は尚更跪くことはできません。あくまでも拉致され、意にそわぬ『勇者』への拝命要求に対して明確な拒絶の意思を表明し、その被害者として加害国に対し私ができる礼儀はありません」
「ほう、我が国を訴えるか」
「私にその任を背負う義務も義理もございません。さらに、付け加えるのであれば、私の身体に対してなにかしらの加害、あるいは工作を施されている事実に気がついていないとお思いでしょうか」
「それは聖痕と記憶を霞ませた処置についてか?」
ヴィヴィはその言葉に確信を持った。
バレない程度に深く息を吸って吐く、それには安心と加えて警戒が入っている。
記憶に対して言及していなかったのに、言わずとも吐いてくれて助かったと心の中で呟く。
「国家の最高権力者が他者の精神及び肉体に危害を加えてまで、行動制限を課す姿勢は到底敬う必要があるとは思えない、秩序を持った清廉な王族の行いとは思えません」
「ほう、それは我らを無秩序の国の王族だと?」
空気が一瞬にしてピリつく。
王の肩は静かに揺れ、王妃は少しだけ眉を顰める。
「いえ、まずはその不適切な処置を元に戻し、私を本来あるべき場所へ送還することを要求します。もちろん、清廉な王族であるあなた方であれば私の意見は通ると思っております」
ヴィヴィは更に笑顔を浮かべた。
威嚇の意味を込めた言葉と笑顔、これでどう動くか、この条件を呑まないのであれば自分たちからこの国は野蛮な国だと宣言するようなものだ。玉座の間に誰もいないならまだしも、近衛兵がいる中でそれを言うのはリスクがある。
礼儀を求めるような相手だ。ヴィヴィのこの言葉がどれほど重いか理解したはずだ。
だが、ヴィヴィの予想に反して王妃は堂々と言った。
「勇者よ、なにか勘違いしているようだ。これは人類の未来を賭けた『正義』の行いです。そして勇者であったとしても我ら王族に無礼を働くことは許されざることだ。個人的なことを申すのであれば、立ち去るといい」
「人類のためであれば、他世界の人間をどうこうしていいということでしょうか」
「我らの世界が陥落すれば、次は貴様の世界に牙を向けられる可能性もある。噂では魔王は異世界とこの世界を繋ぐ魔法を持っていると聞く」
「そうであればその時はその時、国軍を持ってして抵抗させていただくのみです」
「貴様はそれでいいと思っているが、貴様の仕える王はどうだ?仲間は?国民は?聞いたところ魔法もない世界であるのだろう、抵抗など一時的にしかできない。ならば、憂う未来のためにも貴様の祖国のためにも立ち上がる必要があるのではないか?」
「お言葉ですが」
ヴィヴィの声は低くなる。
地の底を這うような声色に王は肩を跳ねさせた。
「私の同僚及び仕える皇帝は、たったそれだけの理由で異邦の地に向かえなど言わないでしょう。国民たちも同様、死ぬのであれば自分たちの世界で、祖国のために死にたいと思うことでしょう」
「それでは、貴様は女神様の意見に逆らうと」
「私はリンピタ教の信者でございます。例えこの場所が異邦の地であっても、その教えに反き、デウス神以外に信仰を向けることはできません」
「女神様の祝福を得ているにも関わらず、それを無碍にすると言うことか?」
「祝福?それは個人の行動を害し、記憶を霞ませることを指す言葉でしょうか、それならばそれは本当に祝福と呼んでいいものなのでしょうか?」
宗教を盾に王妃がそう言う。
国家の問題ではなく、女神に対して責任転換をしたのだ。お前が訴えるべきは王国ではなく、女神だと。加えて、あるかもわからない未来に対して国の中枢に関わっているなら解決すべきだとまでいう。
ヴィヴィは心の内で(蛮族の国の王族め)と舌打ちした。
「異世界との記憶はかえって貴様の心を痛めることになる。ゆえ、女神様は離別のため勇者の異世界での記憶を霞ませているのだ」
「離別…?」
言葉の意味が一瞬理解できなかった。
腹の中にある鍋が、グツグツと音を鳴らす。
「そうだ。失ったものを思い出し、帰れぬ故郷を恋しがることに何の意味がある。女神様は貴様の心を苦しみから守ってくださっている。これ以上の祝福はない」
ヴィヴィはエクセプシオネルと出会ってから、彼がいない人生を想像したことがなかった。
同僚とエクセプシオネルを支え、妻と日常を過ごす。それを何度も繰り返して、繰り返して、そして歳をとるものだと思っていた。
瞬間、ヴィヴィの体に駆け巡るように沢山の呪詛が流れる。
『世界で一番大切なところだった』『そこで死ぬと思ってた』『あの人と国のために死ぬと思っていた』『帰りを待つ人がいる』『それでもそう言うのか』『頼んでないのに』『願ってもないのに』『簡単に離別というのか』
「加えて、何度も忠告するが貴様は元の世界で地位が高っかたかもしれないが、今は『勇者』だ。この国の民でもなければ、人類圏に存在する国の国民でもない。貴様は平民以下の『何者でもない存在』だ」
『自分の命よりも大切なものがあるのに』
「聖痕という印がある、それが証明として貴様の地位を保障しているだけだ。『勇者』だからこの王宮に居れることをゆめゆめ忘れるな」
王妃は更に続ける。
「それに従属しない勇者は不要だ。どうしても背くのであれば、ここで貴様を処分し“新たな勇者”を召喚し直すだけだ」
その言葉に息が詰まるような感覚がした。
声が思わず震える。いや、まさか、そんなはずない。
自分に言い訳を聞かせながら、ヴィヴィは呆然とした様子で口を戦慄かせた。
「誰でもよかった…と?異世界人であれば、誰でも、よかったと?そう言いたいんですか?」
そのようにしか聞こえなかった。
言い方が妙に軽く、責任感が希薄な言い方に嫌な予感がした。それが肯定されてしまえば心が挫ける気がした。だから、違うと、そういう返答が欲しかった。
しかし現実は酷だった。
「そうだ」
カッと頭に血が昇る。
地面をしっかりと踏みしめていなければ、膝から崩れ落ちそうだった。
宰相という仮面が剥がれる。
どうすればいいかわからなかったから、誰かを憎まないと生きていけない気がしてきたから。沸く怒りを、失意を、憎しみを消化するには、納得できなかったから。
「であるならば、そうであるのならば!そんな適当な一人に任せるような討伐なんてせず、国軍を動かせばいい!たった一人で何ができる!そして俺を殺せばまた勇者召喚ができると言ったな!?だったら、俺を帰らせろ、そのくらいの義務はお前たちにもあるだろう!!人の権利を侵害したお前たちにはその罪を清算させる責任がある!!」
矢継ぎ早にヴィヴィはそう叫ぶ。
その目は充血しており、その顔は憎しみに歪んでいた。地位という仮面を脱いだ先にはただの一人の人間がいた。その人間が苦しそうに、そう嘆くように言葉を吐いていた。
それを見かねたのか、今まで沈黙を貫いていた気弱そうな王が口を開く。
それを咎めるように見る王妃に一度肩を跳ねさせ怯みそうだったが、それでもヴィヴィを哀れに思ったのか王妃よりも数倍優しい口調でヴィヴィを諭すようにいう。
「不可逆なんだ。呼ぶことはできても、返すことはできない」
それは死刑宣告にも等しいものだった。
「それに勇者が世界に一人でもいれば、他に勇者を召喚することはできない…」
王はチラチラと王妃の顔を伺いながら話を続けていく。
「それに、その聖痕がある限り貴殿は魔王討伐する運命が課されるんだ。全ては女神様のご意思、我らにはどうすることもできない」
「運命なら、受け入れろと?」
「運命とは最初からそうなることが決まっている道筋だ。だからこそ、勇者は魔王を討伐しにいかなければならない。これは因果なんだ」
因果であるなら受け入れろと?
『しょうがない』で今までの人生を投げ打てというのか、今までの全てを、努力も、描いた夢も、かけがえのない絆を、全て『運命』だとか『因果』とか『しょうがない』とかで片付けろと?
両手にはめられた枷がなかったら、間違いなくヴィヴィは国王に対して殴っていただろう。ついでに王妃も殴って、泣いて赦しを乞うても死ぬまで殴り続けただろう。
ぎゅっと拳を握りしめる。
血が滲むほど強く握りしめて、奥歯を噛み締める。
ヴィヴィは納得なんてできていない。
けれどそんなことは目の前の二人には関係なかった。彼らの中にある天秤は人類の存亡のみ、それで一人犠牲が出ようと、それが自国民でもこの世界の人間ではなくっても関係ない。これからも勇者として
世界の問題を一個人に、しかも関係すら全くない異邦人に任せる。
そこに国家としての責任も、プライドもないのだ。
ヴィヴィはそもそも土俵が違ったのだ。
ヴィヴィの物差しは元の世界である水球の基準だったから。異世界であるこの場所ではそもそもの国の価値観すら違った。
たった一人に国家の責任を背負わせることへの忌避感や一人に依存してしまうことの危険性など、この世界には存在しなかった。
なぜなら、この世界には人類の敵がいるから。
定期的に復活する魔王という存在がいるからこそ、国家の負債を背負わすことも無関係者に対する対応も全て美化されるのだ。
根本的にこの世界とヴィヴィは噛み合っていなかったのだ。
「我らにも勇者召喚を複数するほどの余力はない。貴殿には申し訳ないが、諦めてこれからも勇者として努力してほしい」
最初から強い不快感を持っていた。
そして何の躊躇いもなく『諦めて』と口にした瞬間、その不快感は嫌悪感に変わっていく。
王のその言葉を皮切りに近衛兵が動き、ヴィヴィを容赦なく抑え、連行する。その近衛兵もどこか同情気味で、枷でろくな抵抗もできないヴィヴィから目を背けて努めて義務的に仕事を遂行した。
そしてそれは国王も同じ、ヴィヴィの主張に思うところがあったのだろう、気まずそうに眉を動かした。
「これでは、奴隷と何ら変わりがないじゃないか!!」
最後の抵抗としてそう叫んだ。ヴィヴィにはそれしかできなかったからだ。
やっと、やっとこれからだと思っていたのに、戦後処理を終えたらエクセプシオネルの夢の続きを共に駆け抜けようとしていた矢先に、
それなのに、それなのに、そう思っていたのに。
けれどもそれは叶わなかった。その夢を見る権利を、立場を、機会を、その全てを突然剥奪されたのだ。
ヴィヴィはたまたま選ばれただけだった。
何かしらの条件があったわけでもなく、たまたまこの世界とは別の世界にいて、そしてたまたま勇者召喚というものに巻き込まれ、無作為で選ばれただけの、勇者という名の奴隷だった。
頭が悲鳴をあげる。理解を拒む感覚と、それから苦痛に濁る声が響く。
最初に出てきた名前はやはり忠義を誓う相手だった。
(陛下、陛下、エクセプシオネル陛下、えく、さん)
その後には言葉が詰まって続きを言えなかった。
だからか今度は別の名前が出た。一番近くにいて、心を明け渡した人の名前だった。
(ドゥース、ドゥース、ドゥース!!)
それでも核心的な言葉は出せなかった。それが無意味であるということも知っていたし、それにその言葉を口にするには憚れた。
今まで宰相として生きてきたからか自分の弱みを出すことに抵抗があった。
できるのであれば、弱い自分を隠していたかったのだ。
だから、
誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か
誰か手を、手を引いて。
戻された部屋の中、暗がりで失意に呑まれたヴィヴィは助けてという言葉の代わりにそう思うことしかできなかった。




