第四節「異世界」
「そういえばここには図書館があったりしますか?」
自分の声をかき消すようにヴィヴィはにっこりと笑って自然に話題を逸らした。
そうすればルルは一瞬ポカーンとしてから、当然だと胸を張るように「ありますよ!」と言う。
もしかしたら彼女の中の方程式的にはヴィヴィが女神教について興味を持ってくれたなんて考えがあったのかもしれないが、ヴィヴィ的にはこのわけのわからない状況と地図による情報で祖国に帰れないかという切望からの提案なのだが、理解されようとされまいと図書館に行けるという状況を手に入れられたのだから、ヴィヴィはダンマリを決め込んだ。
ヴィヴィにわからないことは沢山ある。
どうやって自分を攫ってきたのか、ここはどこなのか、そしてなぜ記憶が欠損しているのか、
特に最後の問題は一番重要と言っても過言ではなかった。
手品や奇術だとはヴィヴィは本気で思っていない。ヴィヴィはリアリストだ。過去の魔女狩りの文献や魔法などの歴史が、政治的な問題と絡み合った結果の産物であると知っている。
おそらく現在、ヴィヴィが直面している問題もそう言うものだろう。
正直なところ覇権国家である神聖ローブ帝国に正面切って喧嘩を売るなんて馬鹿な国はないと思っていた。いや、宗教的な結びつきが強いところではあり得なくもない話だが、こうしているうちに身代金やら不平等条約のキーになっていたら本当に申し訳ない。
捕虜のような気持ちになりながらも、冷静に更に思考を続ける。
(記憶に干渉できると言うことは、それなりの科学力を持った国。いや、最近確立されている医学に長けた国か?)
一度は正気を失っても何もされず生かされている現状に余裕を見出して思考に沈む。
(そもそも俺を誘拐した理由は?外交問題上、外に出ることが多いアンテルならまだしも、基本的に執務室で書類を捌くために外出の少ない俺を狙った理由は?)
いっぺんに起きた物事に処理しきれなかった問題が更にヴィヴィの前に立ちはだかる。
(そうだ、俺は誘拐前後、別に外に出ていたりしてない。むしろ、比較的安全と思われる執務室にいたんだ)
フーダニット(誰が犯人で)、ハウダニット(どうやって実行して)、ホワイダニット(なぜ犯行に及んで)、ホワットダニット(何が起きたのか)その全てが謎に包まれている。
(可能性として一番高いのは内部犯。だけど、別に誰かが訪ねてきたわけでもないし、訪ねてきていたとしても直近はアンテルだ)
“なぁなぁ、馬鹿と煙は高いところが好きらしいんだけど、みてみて、屋上でトルナードがバク転してる”
いや絶対ありえない。
徹夜して疲れて幻覚見えてたアンテルにそんなことできたら、今までのスパイたちが浮かばれないだろう。それに革命軍時代、彼のおかげで命拾いしたことが何度あったか。
あれが裏切るとしたら、結婚詐欺に引っかかった結果闇堕ちして頭飛んでる時だけだろう。
そういえば、アンテルは一週間ほど前にシャンプーとブリーチ間違えて見事な金髪になっていたが、会った時は直ってたな。では、執務室に来たアンテルはアンテルではなかった?
いや、あれだけ変なことを言える才能はアンテル以外いないからそれはないだろう。
じゃあ、一体どうして、どうやって、何が目的で、頭の中は最初の問題に逆戻りする。
「ヴ…ん……ヴさん!」
「あ…はい」
名前…と言っても偽名を呼ばれて反応が遅れる。
そんなヴィヴィを置き去りに荘厳な扉を見せる建物の前でルルは興奮気に解説を始めた。
「もう、着きましたよ。ここが王国が誇る最大の図書館。見た目もさることながら、その歴史も古く1000年前から存在する場所です!中には歴代の勇者様が書き残したものもありまして」
「はぁ、そうですか」
「あ、興味ないみたいな言い方ですね!!」
ヴィヴィは思った。
二度ほど本気で殺そうとしたよな。
「それでは中の方に入っていきましょう」
先導していくルルの背中を曖昧な表情で見る。
何をどうして自分を本気で殺しにかかってきた人間にそう振る舞えるのか、薄寒い狂気を感じつつヴィヴィは重圧な扉から見える景色に、
吐き気を感じた。
柱、床、天井に階段、ついでに本棚までもが大理石で作られたそこは、日々の掃除が行き届いているのか埃ひとつもない。
巨大なドーム型の美しい建造物。ただただ圧倒するような空気感を持つそこは、一見して異常が見当たらないただの美しい空間でしかなかったが、ヴィヴィの瞳に映ったのは、美しい壁でも床でも沢山ある書物でもない。
人が何かを振ると同時に、勝手に本が宙を浮き、その人の手元にやってくるという光景だ。
常識ではない、何かの科学力と思いたいもののその考えはことごとく否定される。
浮いた本はまるで意思を持つようにペラペラと空中で捲られ、備え付きのテーブルに座る利用者の手元では踊るようにペンが勝手に動いている。加えて、まるで装飾のように空中に本が沢山浮いていた。
ヴィヴィにはこの現象を説明できる知識はなかった。
代わりにあったのはこの現象が現実において到底不可能であるという知識だけだった。
人は到底理解できない未知を目の前にしてどうなるのだろうか。
信じないと頑なになるのか、それともこんなことが起こるはずがないと、起こり得るはずがないと思うのか。
もしくはそれら全てが降りかかって、キャパオーバーした脳が防衛本能から吐き気を呼びこむのか。
ヴィヴィの場合、後者であった。
人は新しい文明や知識を初めは嫌う者がいる。特にそれは政治家や貴族といった地位の高いものに起こりやすい現象であるとヴィヴィは個人的に思っていた。新しい知識を学ぶことに自分は抵抗はないと信じていた。
だが、今現在起きている、普通じゃない出来事に対してヴィヴィは強い拒絶反応を持っている。
理解したくない、認めたくない、これは悪いもので夢で、少しばかり心のどこかで魔女狩りに対して正当性を感じてしまった。
今まで政治の都合での建前と思っていたそれを、今眼前に突き出され、ヴィヴィはそこに脅威を見出したのだ。
もしかしたら、宰相としては妥当な判断だったかもしれない。
だが一個人の倫理観からは、よくないことを考えてしまったのだ。
「本…は」
排除しなければ。
この異文化を排除しなければ、これを使う全ての人間を弾圧して、それこそ国をあげて魔女狩りを始めないといけないと。
分かってはいる。
目の前に突き出された現実を前に、ヴィヴィは心のどこかでここが現実ではないと理解した。理解させられた。こんな力があるのなら、そこにある文明はきっと大国になっているはずだから。
だが、今までそんな国はなかった。
ならば、ここは、この場所は、この世界は。
「この国の地図と、歴史の本は!」
「え!?あ、はい!今、呼びますね!」
「呼ぶ…」
「はい、私はこれでも女神様に選ばれし巫女ですので大半の魔法は得意なんですよ!えっへん!」
奇妙な、いや、魔法で呼び出された本はふわふわとヴィヴィの手元にやってくる。手枷を窮屈に感じながらも、それをヴィヴィは上から下、右から左と見て、最後にパラパラと捲って見せてそこに何もないことを確認して絶望した。
やっぱり理解が及ばない。
「こちらのページに地図が、こっちはこの国の歴史ですね」
「地図、これが地図?」
「はい、西に位置するのが人類圏で、東に位置するのは魔王が治める魔領域と呼ばれる場所。凶暴な魔物や黙示録の四騎士、七つの大罪と呼ばれる魔王の配下がいる場所です」
「じ、るい、けん…ま、おう、なな…?」
「勇者様と勇者様に選ばれたメンバーが所謂、勇者パーティーが魔王を倒す場所でもあります。歴代の勇者様がその武勇や英雄譚を作った場所とも言えますね!」
ヴィヴィの手元にある本に描かれた地図は全く知らないものだった。
まだ技術が発展していないため確実性があるかはヴィヴィは知らない。でも、ある程度の大陸や海域は判明している。まだ未開の地はあるかもしれないが、それでもこんな技術を持ち、これほど広い土地を持った国は知らない。
「…神聖ローブ帝国」
「へ?」
「チェースチ共和国、レクス王国、ベッラ王国、ウェネブ王朝…」
そう呟くヴィヴィにルルは訝しげな顔を向ける。
「今いった国に聞き覚えは?」
「えっと」
「聞き覚えは!!?」
突然大声を出したヴィヴィに気圧されながらルルは何度目かの説明を口にした。
「あの、ですから、ここは勇者様がいた世界とは全く別の世界。異世界です。異なる世界なので、その国々の名前は、えっと、知りません」
唖然と立つヴィヴィを前にしてルルは「けれども」といった。
「ニッポンという国は知っていますよ!歴代の勇者様の国ということで有名な名前です」
ヴィヴィは口の中で転がすように「ニッポン」と口にした。
発音的には東洋に位置する楓国に近い。けれど近いだけだ。あの国には一度外交でいったことがある。皇帝と同じ地位の君主がいるということで自分が選ばれたのを覚えている。そしてそこに「ニッポン」と呼ばれる市町村がないことも知っている。
「嘘だ…」
エクさんに出会ったのは、貴族として今のままでいいのか迷っていた頃だった。まだ二十歳を超えて少し程度の時に、平民の癖してどこまでも堂々として声をかけられたのが始まりだった。
「嘘だ、」
妙に堂々としすぎて、安物のスーツが高級品に見えたのを覚えている。
自身の方が身分が高かったのに、気圧され、ちょっとお喋りしないかという雑な誘いを受け、いつの間にか彼が語る話に惹かれていった。
「こんな、こんなこと」
彼の夢を共に追いかけたいと思った。
必死に彼と計画を立て、捨て猫よろしく様々な身分はてには奴隷まで連れてきて、当初は無茶だと思われた革命をみんなの力で果たした。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」
いつまでも、それこそこの命が尽きるまで仲間と共に切磋琢磨して彼の夢を叶えるための日常をずっと過ごしていくと思っていた。
願いが叶うまで、ずっと己の日常が壊れないと信じ切っていた。
「勇者様?」
抵抗も、意思も、何もかも出来ず、無視され、こんな形で失うとは思ってもいなかった。
「魔法ってなんだ、なんなんだよ」
絶望の呟きにルルはただの質問として受け取った。
だから、望んでもないのにルルは高らかに答える。
「魔法は全て女神様の加護から来ています!聖痕を与えられた勇者様にも例外なく、魔法の行使が可能です!ですので落ち着いたら勇者様には魔法学校に通って…」
意味のわからない事象なんて知りたくない。
そういうようにヴィヴィは入り口近くの壁を肘鉄した。手枷がなければ片手で壁を殴っていただろう。遮るようになされたそれにルルは首を傾げてヴィヴィを見る。
そこにあったのは険しく歪められた表情だった。
「蛮族の国め」
小さなヴィヴィの呟きはルルの耳には幸い届かなかった。
「王族に、王族に会わせろ。あいつらには俺に対して説明責任がある」
拒否を許さぬその物言いに、ルルは緊張から体を強張らせた。
けれど「早く」と無慈悲に言われた言葉に従うように急いで踵を返して、走り始める。その際、早口でヴィヴィに向かって「取り急ぎ、報告してきます!」というのを聞いた後、ヴィヴィは図書館の冷んやりとした壁にもたれかけ、ズルズル背中を滑らせながら頽れた。
もう一度、今度は拳を振り上げて床を殴ろうとして、手枷がはまっていた事に気が付きヘナヘナと手元に戻した。怒りをぶつける場所も機会も奪われ、ヴィヴィは自分がどれほど不甲斐ないか、今一度理解させられる。
「異世界って、なんなんだよ…」
ヴィヴィは顔を伏せながら言い、やるせなさから唇を噛み締めた。
ヴィヴィの望む答えを言ってくれる人間は終始現れなかった。




