第二節「どこかで聞いたようなモノ」
金と銀が踊る。
それに茶色と黒が混ざって、彩りが増えていく。
誰かが何かを言った。それを誰が言ったかわからない。声色も、顔も思い出せない。けれども何を言ったかだけは思い出せる。
“ねぇねぇ、私たちこれが終わったら首晒される?あ、それはエクエクだけか!”
“え、エクセプの頭取れるの!?こ、困るよ”
“まずは、負ける前提なのやめんか?それからヴナンも信じたらあかんよ”
“謀反か?謀反か?殺るか?殺っちゃうか?”
“まぁ、俺たちはよくてその場で殺される、もしくは見せしめで殺されるでしょう。誰から殺されるか、賭けをしますか?”
“死んだら賭けも何もないってわからないのかなぁこの人”
“負けたら考えようよ。なんでこんなハッピーに後ろ向きなこと考えてる?勝てない勝負には乗らないよ?今から逃げるよ?”
“まぁまぁ、これもジョークだよ。ブラックのね。悉く彼方さんには死んで貰えばいいよ”
“何をだべっている。ほら、収拾がつかなくなるからヴィヴィ、まとめろ”
そんな横暴な。
と言った記憶がある。それから笑って全員にゲンコツ落として、それから、そうだ。エクさんがちゃんと締めてくれたのだ。
そういえば、なんで彼らの名前は思い出せるのに、顔も声色も思い出せないのだろう。なんで、自分はそんなことも忘れてしまったのだろう。
確かに大切な仲間たちなのに、それなのになぜ忘れてしまっているのだろう?
「…っ!!!?」
ヴィヴィは飛び上がるように目を醒ました。
それと同時に頭の中にある記憶を掘り返していく。ない、ない、どこにも、それがない。
「ヴォワは、天真爛漫で…」
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない。
「エトワールは、そう、短気で」
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない。
「ヴナンは、幼くて、まだ分別もつかなくて…」
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない。
「リーヴルは、歩く、図書館で」
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない。
「エスポワールは後輩で、憎めないやつで」
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない。
「オラージュは、完璧主義者で」
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない。
「トネールは補佐としても優秀で」
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない。
「トルナードは戦闘が好きなくせに、面倒くさがり屋で」
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない。
「アンテルは時々変なこと言うけどいいやつで」
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない。
ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない。
「エクさんは、エクさんは、俺が全てを賭けた人」
それなのに、今のヴィヴィの記憶には顔も声色も残っていなかった。
あるのは過去になんて言われたか、なんと言う言葉をもらったか、それ以外の記憶は不明瞭で、容姿も何もかもヴィヴィの記憶の中には一切残っていない。
「あ…ああああああああああああああああああああああ!!!!!」
頭を振り乱して叫んだ。
大切なものを失った焦燥感と飢餓感が気持ち悪さという感情に変換される。胸を掻き乱しても、髪を強く引っ張っても、どれだけ自傷行為を繰り返しても現実には戻れない。
知らない匂いがする。
知らないベッド、知らない部屋、やけに煌びやかな装飾品で飾られた空間にすら気がつかないまま、ヴィヴィは感情的に自分にかかった布団を投げ出して、ベッドサイドテーブルに置かれた水差しとガラスのコップを力任せに落として、ほとんど掠れた声で「 」と言葉もない何かを発した。
もう大人なのに、それなのに溢れる涙をどうすることもできない。
こんな姿を仲間には見せれない。
けど、この未知なる苦痛を逃すには、ヴィヴィ個人ではどうすることもできなかった。呼吸が苦しい、息ができない。人生の全てが今この瞬間、奪われたような、壊されたような、そんな感覚がヴィヴィを殺した。
不穏な物音を聞いてか、人が小走りする足音と同時に開く音。
部屋の惨状を見て、あの日、ヴィヴィの手を掴んだ少女が軽く悲鳴を上げた。
それからベッドの上で憔悴しきっているヴィヴィを見て、ようやく状況を把握したのか、すぐさまそのベッドに近寄り「大丈夫ですか!?」と声をかける。
それに対して、ヴィヴィは何も言わなかった。
虚ろな瞳を、くすんだ瞳孔だけを動かしてそれから一切の躊躇いもなく、少女の襟元を掴んで、まるで流れる動作でベッドに引き込み、そして華奢な少女の上に跨った。
サーベルを向けられた時と同様に、少女の体がびくりと跳ねる。
柔軟性のあるヴィヴィの体術に対応できないまま、気がついた時には少女の首には無骨なヴィヴィの両手が添えられていた。
それはまさしく、多くの乙女が焦がれるような、所謂床ドンではなく、凶暴化した軍人による、殺害態勢でしかなかった。
近くにサーベルはない?そんなことヴィヴィにとっては至極どうでもいいことだ。そもそもヴィヴィは仲間内に比べればそこまで剣術と言うものが得意ではない。本当に、それなりの技術しかないのだ。
硬直した少女をいいことに、ヴィヴィはその両手にじわじわと力をかけていった。
それに気がついた少女は一瞬にして顔を青く変えて、抵抗するようにヴィヴィの両腕を掴む。しかし、訓練もされていないような少女の力では軍人のヴィヴィに勝てるはずもなく、びくともしない腕に少女は絶望する。
「お、落ち着いて、そう、落ち着いてくださいませ、勇者様、あの、私たちには、認識の差が、きっと、あると思うんです」
力で抵抗できないのであれば、少女は言葉で諭すことに決めた。
言葉を使うのは得意だった。少女の職務上、それは義務と言っても過言ではない。人を落ち着かせて状況を説明するのだって得意だった。だからこうして勇者であるヴィヴィに次女でもないのにつけられたのだ。
誤算があったとすれば、少女は諭すことは得意だが、それは聞く体制を持っている人間に限るといった特性を理解していなかったこと。
手負いの獣の前で、人間の言葉なぞ、あってないようなものだったのだ。
「そんなもの、どうでもいいんだよ」
もうここがどこだろうが、何に自分が巻き込まれたのか、そんなものどうでもよかった。ヴィヴィは記憶の欠損にそれほどショックを受けていたのかも知れない、もしかしたら、どうして?と言う純粋な疑問ばかりがヴィヴィを支配していたのかもしれない。
タネも仕掛けも、もう本当にどうでもいい。
“ヴィヴィ、期待しててね”
「なぁ、これはお前たちの妙な奇術か?」
ただの記憶喪失であればしょうがない、と思えたかもしれない。
“なぁなぁ、これ、これなんていうの?”
「えせ…」
「え?」
けれどこれは悪質だった。ヴィヴィの人生を全て拒絶するような、嘲笑うようなそんな所業。
“なぁ、知っとるか?”
「返せ…」
喉奥から搾り出すように紡がれた声は、地の底よりも低く低く吐き出されていた。
仕事だってなんやかんや上手くいってきて、一区切りしたら飲みに行こうと約束していたのだ。みんな個性豊かで騒がしく仕方なかったけど、うるさくはなかったんだ。
“ヤッホー、ヴィヴィ。調子どう?”
「返せ…返せ!!俺の記憶を、!」
頭から離れなかったはずなのに、こんな奴ら忘れる方が難しいとすら思っていたのに、これから毎日、こいつらに振り回されながら…それでも楽しく生きていけると思っていたのに。
“え、何してるかって?魔法でホットミルク作ってるの、嘘嘘嘘、だからそんな冷めた目で見ないでぇぇぇ”
「俺の人生を、返せよ!!!!」
“そら、何を人事だと思っている。お前も来るんだ、今から誰もが想像もできない世界が待っているのだから、全員でその頂を見るんだ!”
ありったけの憎しみを込めて吐き出された言葉に、少女は返って冷静になった。
やっとヴィヴィが望むものを垣間見たような気がしたから、苦痛に歪められるヴヴの顔を見て、ぽつりと零す。
「泣いているのですね」
涙は見えなかったが、少女にはヴィヴィの心が泣いているように見えたのだ。
それが自分のことのように苦しかった。たった二度ほどしか会っていない、しかもその両方で命を狙われ、現在もすでに王手がかかった状態であるのにも関わらず、少女は勤めてヴィヴィを理解することを選んだ。
選ばれた勇者だからという理由もあるかもしれない。
けれども少女の心を大きく揺るがすのは、彼女の感受性の高い心ゆえの痛みの共有と心配からだった。
「一度、整理しましょう。何度も言いますが、勇者様は混乱しているのです。状況を説明いたします。全て話させていただきます。だから、まずは心を落ち着かせて、それから紅茶も用意しますので一緒に飲みましょう、そうすれば分かり合えると思うのです」
ヴィヴィを刺激しないように少女は抵抗していたうでをおろして、そういう。
髪と影からヴィヴィの表情の変化は窺えなかったが、少しでもこの言葉でヴィヴィの心が救われればと願った。
大いなる女神、創生の神よ。
今はこの哀れな勇者に、安らぎと、癒しを。
少女はそう心から祈った。そしてその祈りは、決してヴィヴィには届かなかった。
少女は目を丸くする。
その瞳に映るのは、無表情のヴィヴィの顔だった。
ヴィヴィの手は少女の首元から一切動かない。動かす気も、止まる気もない様子に少女は酷くショックを受けた。
「もう、しわけ、ございません」
少女は悲痛な声でそういう。
それはこれから少女にだけ許された力を使う前の、ほんのちょっとの懺悔だった。胸の前で手を組み、それから「女神の加護を」と口にした。
また、唐突にヴィヴィの首元が熱くなる。
気がついた時には全身が痙攣するほどの痛みが襲い、ヴィヴィは咄嗟に少女の細く白い首を全力で締めた。
「ぐ…ぅ」
少女は痛みに喘ぐも、けれども決定打に欠けた。
視界がぐるりと一周回る。その時には既に少女の首から自分の手が離れていることに気がつく、またこれだ。ああ、なんて忌々しい。
少女を前に罵ろうとしても言葉は出ずに、代わりに空気が吐き出される。
相互理解なんてそもそもが成り立たなかった。
なり得るための土台が、そもそもできていないのだと、気がつけないまま朝日が登っていくのであった。




