第一節 国際軍事法違反
男が一人、バルコニーから地上を見下ろしていた。
濡羽色の髪が風に揺られる。黒色の瞳には若干の疲労が見え、憂鬱に外に向けられた。
本日は晴天なり。
今頃、城下町は活気に満ちているだろう。男は半目で部屋の中へと視線を向ける。大量に積まれた書類たちを見てから、深くため息をつき、流れる動作でタバコに火をつけた。
ここは神聖ローブ帝国。
ローブ民族たちが団結して古き国王を打倒して、新しく迎えられた皇帝がおわす国。北西に位置するこの国は初めての革命国家として、諸外国から良い意味でも悪い意味でも目立っている。
そしてこの男_デヴヴマン・ア・ランプルール、通称ヴィヴィはこの国の二番目に偉い宰相であった。
二番目に偉いからか、もしくはヴィヴィの元の階級が伯爵だったからか、まるで山のように増えていく書類はヴィヴィを苦しませた。
別に書類仕事が苦手なわけではない。
伯爵家の長男として教育されていた頃から学んだこと。むしろ、得意である。
得意であるが…だからといって好きであるかは別問題だった。
この神聖ローブ帝国を支えるのは勿論、宰相だけではない。もしかしたら他国以上の数の幹部がいる。皇帝、宰相、財務大臣、法務大臣、宮内大臣に大元帥、それから元帥、近衛騎士団団長、監視長官…エトセトラ。
口外できない部署を含めなくてもこの量の多さ。これで個々が大人しい性格であればヴィヴィもそれほど苦労しなかっただろう。性別不明のやつもいれば、そもそも字が書けない幹部もいる。
革命によって選ばれたメンバーたちだからこそ、前例のない問題が山積みになるのだ。
その皺寄せがヴィヴィの元に来る。勿論、全てが全てとは言わない。
ヴィヴィ以外にも貴族出身のものはいるし、教えたがり屋なものだっている。…いるが、それだけではカバーできないものがウヨウヨあるのだ。
こうしてヴィヴィを悩ませるくらいにはそれはもう沢山。
「ふぅ…これ吸い終わったら、うん、ちゃんとやるかぁ」
決心のような、諦めのような声が響く。
その口の動きと連動するように灰色の煙が外気と溶け合って消えていった。
「うんうん、ちゃんと、ちゃんとやる。だからあともう少しだけ休憩しよ」
自分の言葉に眉を顰めた。
「そもそも、そう、そもそも、『取り敢えず宰相に任せとけばいいか〜』みたいな空気が悪いんだ」
一度文句を言葉にすれば、更に呪詛が漏れ出る。
「もう一旦なんでも良いから、他の幹部の机もこんな感じになって仕舞えばいい。もしくは大量の仕事が入り込めば俺の苦しさは伝わるだろう」
そこまで吐いて、ヴィヴィはバルコニーから見える上の階の部屋に意識を向けた。
ここから何かが見えるわけではない。
けれどそこに皇帝がいることをヴィヴィは知っていた。そして何よりも書類と格闘しているだろう姿を想像して、咥えていたタバコを人差し指と中指で持ち、煙を吐きながら苦笑いする。
ここで腐っていても仕方がない。
我らが崇拝すべき皇帝がプライドが許せないからといって、書類仕事を完璧にこなすといっていたことを思い出す。
一度集中したら中々自分ではやめられない皇帝のために、さっさとキリがいいところまで書類を完成させて、休憩を促そう。そのためにも、こうして現実逃避をしている暇はない。
部屋に入りながら机の上にある灰皿にタバコを押し付ける。
やはり目の前にする書類の山はやる気を削がせるけれど、先ほどのモチベーションよりはマシになった。やはり目的があることはいいことだ。それが自身の主君に対することだと尚更。
そこまで思ってヴィヴィは書類に目を落とす。
厳しい目線とは反対に、黒色の瞳はどこか楽しそうであった。
結局ヴィヴィの仕事が終わったのは太陽が水平線に落ちていく頃だった。
思いのほか時間がかかってしまったと思いながら、バルコニーへと出て皇帝のいる執務室を見る。朝と変わらずカーテンが揺れる姿から、休憩をしていないことがわかった。
こういう時、皇帝仕事妨害ガールズ(性別不明者+他男性陣)が出張するのだが、生憎その殆どが外交やらなんやらで出払っている状態だ。
キリがいいところといいつつ。
最後までこなしてしまった自分を恨むべきか、多分きっと休んでないだろう皇帝を怒ればいいのか、
究極な二択を前に、ヴィヴィは考え込みつつ着崩したワイシャツを整えて、黒ネクタイをしっかりとつける。ダークネイビーの軍服に腕を通し、略式であるもののしっかりとした身なりを整える。
王宮だからといって、一般兵士がいないわけではない。
皇帝的にはオールオッケーなんて適当なことをほざいていたが、威厳を見せるためにもそれなりの格好をしなければならないのだ。
誰がいったか忘れたが、形から入るというのが大切なのだ。
「さ〜て、ワーカホリックを止めに行きますかぁ」
自分がワーカホリックなのを棚に上げて、ヴィヴィはそういう。
木製でできた床が歪な光を発していることに気がつかないまま、ヴィヴィは一歩足を進めたと同時に、まるで落とし穴にかかったかのような浮遊感を感じ、思わず目をぎゅっとつぶることになった。
強い光に目が焼かれたと思えば、気がつけばどこかもわからない場所にいた。
ヴィヴィは思わず攻撃態勢に移る。
しかし感嘆の声と拍手は敵対行動には見えず、拍子抜けすることになった。
まず浮かんだのは、「意味がわからない」その次に浮かんだのは「ここはどこだ」それから「皇帝陛下は」それら全てが瞬時にヴィヴィの脳内を占領した。
サーベルに手を添えたまま、視線だけを動かして状況の把握に努めた。
まず視界に映ったのは、豪華な玉座だった。
金メッキが施され、背もたれや座面の深紅が高貴な立場にいる人間だと示すように主張している。そこに座るのはどこか自信がなさそうな、五十代くらいの男。その頭にある黄金が嘘でなければ王族だろう。
続いて視線を動かして見たのは、両サイド。
壁一面を彩る深緑のベルベットが張られ、区切られる柱には横顔の狼が描かれた旗が差されている。随分と古めかしい鎧を着た近衛兵が四人、そして自分を取り囲む三人の白を基調としたやたらひらひらとした服を着る男と、眼前にいる彼らよりも煌びやかな銀の刺繍が施された汚れひとつない純白のワンピースに身を包む長い金髪の少女。
自分の立つ場所には深紅の高級品だと思われるカーペットとその下にある大理石。
宰相として一通り王宮を確認したがこんな場所はなかった。
それに玉座に座るべきは、やや猫背の不安そうな男ではない。
冗談では済まされない。もしこれが大掛かりなジョークだと言われたら、それを考えた人間を牢獄に入れ、見せしめに生きたまま焼いてやろうと思ってしまうほどの不敬だ。
「勇者の召喚は無事に終わりました」
まずありえない現象にヴィヴィが警戒をしていれば、目の前の少女が翡翠色の瞳をやや輝かせながら柔らかな笑みを浮かべてそういった。
「勇者…?」
思わず言葉を反復したヴィヴィに少女は優しげな表情をする。
「あなたは女神に愛され、選ばれた、ただ一人の存在、人類を守るべき守護者、尊きお人なのです」
「…何を勘違いしているのかさっぱりだが、私が知っている施設ではないことは確か、違法建築か、まさか他国であるとはいいませんよね?」
違法建築だろう。
どんな手品かは知らないが、ヴィヴィは事実知らない場所にいた。
王宮から国境までは長い。短時間で男一人を運べるとは思わないし、完全に違法宗教かなんかだろう。でなければ、わざわざ宗教を匂わせる言葉や、服を着た物がいる理由がわからない。
いや、なぜか王族がいるのもわからないが。
_革命時の撃ち漏らしか?
だが王宮に詳しい人物から聞いた血族たちは全員殺してある。
であるのであれば可能性として高いのはなりきりか、王族としての覇気を感じないからこの説が有力候補だろう。
ヴィヴィがそう考えると、少女は一度目を丸くした。
「勇者様、突然のことで驚いているかもしれませんが、これは女神様が用意した召喚の儀。であるからして、その、い、ほう?建築などといったことはありません。それに」
「もういい」
まるで話が通じない少女から視線を離して、その奥にいる王族もどきにサーベルを抜いて突きつける。
突然の暴挙に近衛らしき人物たちが慌てるのをよそに、ヴィヴィは冷めた目で淡々と事実を陳列していく。
「これが神聖ローブ帝国内に建てられた違法建築であれば、無許可建築違反、そしてここが他国であるのならば、国際軍事法第一章第一項、国家主権の不可侵に対する侵害、我が祖国への宣戦布告として捉えますよ」
「あ、あの勇者様」
「どんな手品かは知りませんが、これでも神聖ローブ帝国の宰相の身、民草であってもこのような越権行為を許しませんが、あなた方は十分な戦争の火種を作っていること、もちろん理解していますよね?」
「勇者様、落ち着いてください!」
「それから、先ほどから私に勇者、勇者と語りかけていますが、それはあなた方が信仰する宗教において重要な役割を持つ役職の名前でしょうか?」
「え?」
何もわかっていない少女に追い討ちをかけるようにヴィヴィはいう。
「私は神聖ローブ帝国の国教リンピタ教の信者です、申し訳ありませんが他宗教のいざこざに巻き込まないでもらいたい」
そう言い切ると、ヴィヴィは向けた刃先を王族っぽい人間から少女の首に向け直す。
その行動は予測していなかったのか、少女の肩はびくりと跳ね上がった。
「それとも、異教徒として屠られたいか?」
震える少女を見ても、ヴィヴィは一切躊躇した様子を見せなかった。
むしろその瞳は冷え切っており、回答によっては殺すといっても過言ではなさそうな雰囲気を出している。冗談ではもちろんない、ヴィヴィはそれができてしまう。なぜなら、革命軍時代、多くの宗教施設を焼き払い、多くの信徒を殺したからだ。
革命には後ろ盾が必要だった。
それも強固な、ただただ不満だけでは革命という大きな戦争を引き起こすことはできない。そこで当時の革命軍指導者であり、現皇帝は一神教である「リンピタ教」を盾に暴徒化する民衆を纏め上げたのだ。
“重税を課され、飢えようとも、神々は我らを救わなかった!だが、リンピタ教は違った!我らに手を差し伸べ、革命を支援した!我らが信じるべきは、沈黙する神々ではない!我らとともに戦うリンピタ教だ!!”
革命前の宗教に所属していた敬虔な信者をヴィヴィは殺した。
それも一人二人ではない。数え切れないほど殺した。それに後悔も罪悪感もない。皇帝のためであるのなら、エクセプシオネルが手に入れる玉座のためならば例え死後にどうなろうともいいと、そう思いヴィヴィ自ら進んで行った。
正直なところ、国教だからこそリンピタ教を敬っているように見せているが、別に心の底から信じているわけではない。
これまでも、これからも、ヴィヴィにとっての神は皇帝エクセプシオネルただ一人だった。
「情報を吐いて死ぬか、吐く前に死ぬか、好きな方を選んでください」
そうやってにっこりと笑うヴィヴィに、周囲は威圧され動くことができなかった。
ヴィヴィが優勢に見えた時だった。
それは突然起きた。なんの前触れも、予兆もなく、突如として熱のような激痛がヴィヴィの首元から体全体へと駆け走る。
それに反応もできないまま、ヴィヴィは己が深紅のカーペットの上に倒れていることに気がついた。加えて、握っていたサーベルが虚しくコツンと音を立てて離れた場所に落ちるのがスローモーションで見えた。
痛い、痛い、痛い。
痛みに慣れている軍人といえど、唐突な身に覚えのない痛みには対応しきれなかった。銃を打ったような乾いた音は聞こえなかった。鯉口を切る音も、自分に近づく気配すらなかった。
であるのならば、この痛みはいったい?
「お、落ち着いて息を吸ってください勇者様!」
先ほどまで脅していた少女がヴィヴィに近づいてその背中を撫でようとする。
その行為がどうであれ、ヴィヴィには許容できなかった。何もわからないところで無謀に背中を明け渡すことなんて出来なくって、ヴィヴィは痛む体に鞭を打って少女の手を振り払った。
それにショックを受けた様子の少女なんて気にならない。
ヴィヴィは自分の中で暴れる痛みを逃すために、無理に体を持ち上げようとする。
「それは、女神様からの祝福、勇者であることを証明する聖痕です」
脂汗を額から流すヴィヴィに、少しだけ距離を置いて正座する少女がそういった。
「しゅく、ふ、く?」
「はい、本来魔法を使えない異世界人である勇者様が、適応できるように与えられるもので、加えて勇者である証明をするための聖痕です」
「ま、ほ…う?」
痛い、頭がおかしくなる。
更に痛みはます。まるでそれは咎めるように、異教徒であるヴィヴィを許さないというように、痛みは意識すればするほど、まるで熱狂をあげるように体を蝕む。
「今は痛いかもしれませんが、それもこの世界に順応するための必要なことなんです」
「誰、が。たの、んだ!」
「…手を握らせてください。そうすれば少しは痛みが紛れるかもしれません。最初は私も驚いてしまったけど!勇者様が混乱しているのにお傍で支えられなかった私のミスです」
「なんの、はな…」
「だから手を、こうすると安心できるのですよ」
そう、少女は笑う。
魔法とはなんだ、魔女狩りのあれか?でもあれは政府の策略だったはず。ならば神話を盲信しているのか、それに先ほどから向けられる感情が気に入らなかった。
何かを間違ってしまった人に対する、諭すような声も感情も。
拒絶するだけの体力は残っていなかった。
控えめに差し出された手が、まずヴィヴィの指先に触れ、離れる。そして何もしてこないことを許しと思ったのか、一度引かれた手は今度こそ確かにヴィヴィの手を握った。
両手からもたらされる熱が体温を分かち合うようにヴィヴィの体に流れる。
痛みは一向に引かない、それに救いを見出すこともない。ヴィヴィにはそれを受けることが嫌がらせにしか感じられない。
それなのに、そのはずなのに、
“行くぞヴィヴィ!!なに、俺がお前を暇になんかしてやらないぞ!まだまだ、俺たちには見なければならない世界がある!!”
あの日、無理矢理引っ張られた光景が頭によぎる。
愉快であることも隠さない様子でそう言われたのを覚えている。
そして自分がそれに仕方無いと、満更でもないのに苦笑いを浮かべたことも、結局、引っ張られるどころか、自らその背中を追ったことも。
昨日のように覚えている。
「く、そ…がぁ」
ヴィヴィの目の前には、誰もいない。
慕う人も、肩を並べた仲間も、同じ夢を見た同志も、笑い合った同僚も何もない。
何もかもがない。
こんなにも辛いのに、こんなにも苦しいのに、こんなにも、こんなにも、こんなにも…。
それなのに、どうして世界は回っているんだ。




