第六節「望郷の念に駆られる」
ありふれた日常の夢を見る。
そこは王宮の中でも一番小さな部屋。簡素なその場所は、教壇のようなものに加えて、その正面にシンプルな机と椅子が置いてある。
華美な部屋でないのはそもそも部外者を入れる場所ではないから、加えて、この部屋の主がそう望んだからだった。
“はい、はーい!死ぬってなぁに?”
最年少のヴナンが純粋無垢な言葉が飛んだ。
ヴナンは座らされた椅子をガタガタと横揺れさせ、忙しなく動きながら、ピンっと伸ばした手を振る。
それに息を詰まらせた後、彼の教育を任されているリーヴルはなんでもないように聞いた。
“では、ヴナン。君はどう思うんや?”
“どう?んー、よくわからない!多分、みんな嫌がるから、とっても嫌なことだと思う!”
彼らの授業を教壇の端っこでヒヤヒヤと見ながら、ヴィヴィは眉間を揉んだ。
我が国、神聖ローブ帝国は革命によって生まれ変わった要因もあって、その幹部たちは色々と個性豊かだった。
その中でもヴナンは特殊な経歴から、死生観すらわかっていない。
加えてある理由により、身長も脳の発達もある一定のラインから成長できなくなっている。だからといって、記憶力がないわけではない。
だからこうして、定期的にヴナンはリーヴルから倫理観や道徳心、通常受けられるだろう勉学から、上級貴族しか受けられないだろう教養まで教わっていた。
基本的にはリーヴルが主導で教え、その中でわからないものを聞く、そういった構造で授業は進んでいるが、時々こうして途中で気になったことをヴナンはリーヴルに聞くのだ。
そして大体、そういう時はヴナンは特大の爆弾を投げる。
“ヴィヴィはわかる?”
「ああ、わかるな」
“天才だね!”
「あー、そういうのじゃなくってだなぁ」
そう言葉に迷ったヴィヴィにリーヴルは確か静かにするように、と唇の前で人差し指を立てたのだ。
“ヴナン。君は敵を倒すとき、倒した敵はどうなると思っとるの?”
“えー、それ関係ある?”
“ちょっとした寄り道みたいなもんや”
リーヴルの言葉に少し不機嫌気味に、そして当然のことを言うように口にする。
“倒れる”
“うんうん、それから?”
“山になる!”
「それはお前が殺しすぎるからだろう…」
呆れにも似たヴィヴィの言葉に、ヴナンは確か小首を傾げた。
まるでそれが悪いことではないと、いやそもそも、それがどういった状況なのかも理解していないのだろう。
ヴナンの中には味方以外の人を倒して、それで山を築けば喜ばれると思っているのだ。
無邪気な悪。
ヴナンはエクセプシオネルに拾われる前にはそう呼ばれていた。その名前の通り、ヴナンは無邪気に人を無差別に殺す。
言われた通りにすれば喜ばれると思ったから、たったそれだけの動機でヴナンは人を殺せてしまうのだ。
“山になった人たちは、どうなると思っとるの?”
“うーん、しばらくして立ち上がって、帰る?”
“かえる、ってのはどこに?”
そういうと身を乗り出すようにヴナンは机を大きく叩いてから、焦ったように“そんなのもわからないの!”と言っていた。
そしてリーヴルが初めて知らないという態度を取ったことを思い出して、途端に偉そうに胸を張る。
ついでに腕を組んだヴナンは鼻を鳴らすように息を吐いて、それから優越感たっぷりにいった。
“そんなのお家に決まってるじゃん!そんなことも知らないの?”
「ああ…」
いや、嫌な予感はしていた。
というか、そうだろうなとは思っていた。けれど、ここまで致命的だとは想像してなかったし、そうでなければよかったと心のどこかで懇願していた。
だが結果はどうだろう。
口をまごつかせた後、続きを喋ろうとしたヴィヴィの言葉をリーヴルは手を翳して塞ぐ。
余計なことは言うな、というよりもどちらかと言えば、まだいけない、と諌めるような行動だった。
“倒れた人が起き上がったんところ見たことはある?”
“ない!そこまで待つ必要ある?リーヴルだって、人が寝てたら起きるまで隣で待つの?”
“せやなぁ、そんなことはせえへんけど、ええか?倒すと、寝るは違うんやで”
“倒すはきょうせいてきでしょ?寝るは自主的”
それがどうしたのかというような発言に、確かリーヴルは優しげに言っていたはずだ。
“あんな、倒すってことは殺すってことや”
“ころす?それって何が違うの?”
純粋なその言葉がヴィヴィの胸に刺さった。
その感覚を今でも思い出す。
“殺すってことは相手は死ぬってことや、ええか?殺したり、殺されたりしたら、人は死ぬんや。死んだら、一生その人には会えへん。永遠のバイバイなんや”
“えいえん、の、バイバイ?”
そこでリーヴルは教壇からおり、ヴナンが座る椅子の近くにゆっくりと膝をつけて、その小さなヴナンの手を握った。
理解が追いつかないというヴナンは、混乱している様子だ。
なんで?どうして?
そういった態度で固まるヴナンは確かこの後、大粒の雨を流したのだ。
“ばいばいなの?”
“うん、バイバイや”
“えいえんってどのくらい?”
“一生や”
“いっしょうってどのくらい?”
“ずっとや、ずっとずっと、もう会えないんよ。お願いしても、頑張っても、もう何をしても会うことはできない。それは君が死んだ後もや、その後もその人は帰ってこないんや”
その時、ヴナンは雷に打たれたような動揺を見せた。
口の中で何度も“一生”というたび、確かヴナンの顔色は暗くなっていっていた気がする。
それから焦ったように、ヴナンはリーヴルを抱きしめた。
唐突なことで、驚いたリーヴルはなんとか倒れないようにヴナンを抱きしめ返す。
そしてその肩口で泣くヴナンを必死に慰めていた。
“ばいばいしたくない”
“そうやなぁ”
“いなくならないで。死なないでぇ”
“勝手に殺すな”
そう言い終わると、ヴナンはこちらに飛びかかってきた。
最速最強で有名なヴナンに勝てるはずもなく、ヴィヴィは頭にへばりついてきたヴナンに体幹を崩され頭を強かに壁にぶつけた。
“ヴィヴィも死なないで!!”
「今死にそう。一旦どこうか」
“ばいばいしない!!”
「一旦どこうか」
荒ぶるヴナンをどう落ち着かせたのかは覚えていない。
けれど、とても時間を喰ったことだけは覚えていた。
勇者とて、学園の美術品を壊そうとすれば怒られるし、なんなら頭を冷やすようにまで言われる。
寮へと軟禁にならなかったのは流石、勇者のネームバリューによるものだろう。取り敢えずヴィヴィは、時間を潰すために外にある椅子に座っていた。
もちろん、隣にはオリヴィエがいる。
オリヴィエはヴィヴィの暴挙に対してどうコメントをするか迷った後、ただ暗い雰囲気を出すヴィヴィの傍にいることを選んだのだ。
ヴィヴィの暴挙の理由はわからない。
オリヴィエが見る限り、ヴィヴィは四大精霊とうまく付き合って行けるように見えたし、彼の突如としての暴力以外に何か別のことが起きたというようには見えなかった。
それなのに四大精霊の二属性と契約できたはずな、ヴィヴィはそれを拒んだのだ。
魔法学園において精霊との契約を破棄するなんて事例はあったことがない。だからこそ、ヴィヴィがどう思い、何を感じ、どうしてそうなったのか、誰も推し量ることができなかった。
だからまずは、オリヴィエはヴィヴィを労わろうとした。
結果的に失敗に終わったのだから、何か気がきく言葉をかけるべきだと思ったのだ。
「その、お疲れ様」
「…」
「大変だったわね」
「…」
「…何か、嫌なことでもあったわけ?」
十分に言葉に気をつけたはずだ。
あの場に連れて行ってしまったという罪悪感もある。そうでなければ、ヴィヴィがこれ程までに落ち込むことはなかっただろう。
まぁ、いつかの問題だった。
精霊との契約は授業において必要不可欠。
だからといって、罪悪感が拭われることはなかった。
「これ以上、個人情報を暴いて何がしたいんですか?」
だから、そう投げやりに言われた時、オリヴィエはどうすればいいのかわからなくなった。
ヴィヴィは腰掛ける石造の椅子で考え込むように頭を伏せる。その行為は、決して先程のことで項垂れていたからという理由ではなかった。
ただ、失意の中思い出した記憶に対して謝りたかった。
具体的に言えば、必死に自分を抱きしめて泣く子ども_ヴナンに対して謝りたかったのだ。
“ばいばいしたくないよ”
帰るんだ。
ヴィヴィは帰るんだ。けれども、あの言葉が頭によぎる。
“どこにもいかないで、どこにも、いかないで、死なないで”
ヴィヴィは目を閉じた。
そして一呼吸を置く。
そうすれば、少しは冷静になれると思ったから。
「そんなつもりはないわ。ただ、あなたが、あんなことするとは思ってもなくって」
だが、それも、その言葉によって遮られた。
邪魔したつもりはないオリヴィエは、視線を下の方に彷徨わせる。
「もちろん、深く聞くつもりはないわ。でも、その、魔法を使うには…」
「精霊との契約がないとダメと言いたいわけですか」
「身体強化やある程度の魔法は、この後のことを考えれば必要だわ」
「必要、必要って、望んでもないのにそうしろと?」
「…あなたは、勇者なのよ?」
慎重に選んだオリヴィエの言葉はヴィヴィにとって聞き飽きたものだった。
ヴィヴィはそこで長いため息をする。苛立ちと怒りと憎しみを、せめて隣にいるオリヴィエに向けないためにそうした。
それは、あくまで尊重したものではなく、ただただ疲れていたから、面倒を払うためにそうしたのだ。
「あなたは…」
ヴィヴィはそこまでいって言葉を濁した。
この後のことをなんと言えばいいのかわからなかったから、迷うように、けれども吐き捨てるように次の言葉を乱雑に選ぶ。
「あなたたちは、いつもそうですね。勇者だから、勇者なのだから、勇者なのに、一辺倒でそろそろ飽きました。人に期待するだけして、期待から逸れたら非難する。いい世界だ。実に、いい世界ですね」
皮肉を込めたその言葉に、胸を刺されたのはオリヴィエだった。
オリヴィエは学友を求めていた。
親友を求めて、ライバルを求めて、恋をしたいと願っていた。そしてそれは自発的なものではなく、全て周りに期待していたのだ。
自分のレベルまで上がって欲しいと、そういえば、オリヴィエは自分から何かしたことがないことに気がついてしまった。
オリヴィエは言葉が出なかった。
だって、ヴィヴィの言うとおり期待していたからだ。
期待して、勝手に失望して、そしてヴィヴィを自分の期待に沿ったものに押し込もうとしていた。
だから、なんと言えばいいのかわからなかった。
「もう、慰めごっこは飽きましたか?では、私は寮に戻ります」
嫌な言い方だった。
それでもそれを気にした様子もなく、ヴィヴィは立ち上がって歩く。オリヴィエと出会った時のように、ヴィヴィは振り返ることもなかった。
“ヴィヴィ、ばいばいしないでね”
飴が転がるような声でそう言われたのをヴィヴィは覚えている。
自分は死んではいない。
けれども、きっとこの状況はヴナンにとって「ばいばい」に当てはまってしまうのだろう。ヴナンが嫌がって、他のメンバーを困らせて、それからエクセプシオネルを心底困惑させた最年少。
寂しいと人の部屋にノックして、というかノックで叩き起こして、人の顔を見て満足して帰っていく嵐のような少年。
遊ぶのが大好きで、生死観を得てもなお、他のみんなとのバイバイを怖がって、そのためだけにナイフを改めて手に取った、無邪気な悪。
泣いて、ないだろうか。
悲しんで、ないだろうか。
めぐる意識をそのままに、ヴィヴィはやるせない気持ちで廊下を歩いていった。




