第五章「四大精霊という名の暴力」
四大精霊との契約によって人々は属性を知り、その属性を使えるようになる。
その契約をするのが本日の講義だった。
半実技として存在するこれは必修科目となっていて、どんな身分どんな地位であっても等しくこれには強制参加である。
これに出ないのであれば問答無用で退学、経歴に傷をつけ貴族社会から淘汰されるレベルのことなのだが。
もちろん、ヴィヴィはそれに参加しないつもりであった。
だが、こうしてオリヴィエに連行されているヴィヴィには拒否権がない。
そもそも上級生であるオリヴィエが受ける必要はないのだが、聞く分には特に問題がないため、教員は見て見ぬふりをした。
両手でヴィヴィの左手を抱きしめるように拘束するオリヴィエに、ヴィヴィは大変面倒くさそうにため息を吐く。
「そんなことしなくても、逃げはしないですよ」
「信用なりません」
見事な即答に、ヴィヴィは更に面倒くさそうにため息を吐く。
「本日の講義は絶対参加!それに勇者であるあなたも自身の属性を知るためには必要な講義でしょう!」
「別に…」
そこでヴィヴィは口籠った。
正直なところヴィヴィは魔法に関して否定的だ。
それを使えるビジョンが見えなければ、使うことに対して忌避感を感じてしまう。だから、属性の判明なんて心底どうでもよかった。
「今度こそちゃんと講義、聞くのよ!」
オリヴィエはこの講義によってヴィヴィが少しでも魔法に対して関心、あるいは講義に対する関心を得られることを期待していた。
そうすれば、もしかしたら学友になっちゃったり。
その胸にあるのはこの学園に入学してから抱いていた欲望。
もうオリヴィエにはこの勇者しか自分と同等になれる人物がいないと思っていたからこそ、切なる思いでそうなるように願った。
引っ張るように講義室のやや後方にある席にヴィヴィを無理やり座らせる。
もう抵抗も面倒くさいというような表情で、ヴィヴィはそれに流されつつ懐から例の旅日記を出した。
「…日記好きなの?」
講義の時間もまだある。
無言の空間に耐えられず、オリヴィエはそういった。
「そうだな」
「いつもどんなこと書いてるの?食事とか?」
「そうだな」
適当なヴィヴィの答えにオリヴィエは少しだけ不機嫌になりながら口を尖らせた。
「ねぇ、本当に聞いてるの?」
「そうだな」
「さっきから『そうだな』しか言ってないじゃない!」
「そうだな」
いよいよ自分があしらわれていることに気がついたオリヴィエは口角を引き攣らせた。
「女神様のお使いだとは到底思えないわ!」
ちょっとした発破だった。
それで怒って会話が進むならなんとかなる。勇者としての自覚も推し量れると思っていた。
けれどそれはヴィヴィにとっての地雷だった。
「勇者勇者って、勝手に決めたことでしょう」
「な、それでも女神様の伝令者である自覚があって!?」
「その女神の使いとか、伝令とかなんですか。会った事もなければ、そうなろうとも思ったこともないですけど?」
冷めた黒曜石がオリヴィエを見る。
「伝令者は伝令者よ!昔は勇者ではなくて、天使と呼ばれていた女神様の眷属!」
「だから」
ヴィヴィは怒気を含んだ声でオリヴィエにそういう。
大した関係を築いているわけではないが、それでもオリヴィエにはヴィヴィの不快というような感情が伝わる。
それは伝承の勇者や天使といった存在とは、かけ離れたような態度だった。
「誰が頼んだっていってんだよ」
砕けた言葉は決してオリヴィエに心を許したわけではないことは明らか。
漏れた怒りが行き場もなく、言葉に滲み出たのだろう。
それ以上はオリヴィエに弁解することもなく、ヴィヴィはまた旅日記に目を落とした。
配られた教科書など一切開かず、しゃんとした姿勢で何かを書き込むヴィヴィにオリヴィエは何もいえなかった。
「それでは、講義を始めます」
地獄のような空気の中、救いの言葉が教員の口から出た。
教員は五十前半程度の男性、特徴的なローブ、その中はワイシャツに灰色のズボン、脹脛までの編み込みブーツを鳴らし、気の弱そうな顔でメガネの奥にある黄色の瞳は忙しなく視線を動かしていた。
相変わらず真面目に聞く気がないヴィヴィとそれに対して何か言いたいのにも関わらず、凄まれた影響で何もいえないオリヴィエ。
下の教壇から見たら異彩に見えただろう。
しかし、そんなこと指摘する暇もない。教員は視線を少し動かしてから、本題に戻るように自分が抱えた教科書に視線を落とした。
「私は魔法の実技を担当するケルスです。本日はみなさんの属性を判別し、それぞれの属性に対応する四大精霊と契約をしてもらいます。この契約を持って、晴れて皆様は属性魔法を使うことができます!」
その教員_ケルスの言葉に教室がざわめく。
「ちなみに私は水よ」
取り敢えずというようにオリヴィエはヴィヴィにそういう。
彼は相変わらず「そうですか」といってオリヴィエをあしらった。
「この四大精霊の特性を説明します。まず、一番有名な特性ですね。彼らは術者の一番見たいものの幻影を見せます。彼らにとってこの現象は術者とのより良い関係を結ぶ為の言わば握手のようなものです」
そこでピクリとヴィヴィの指が動いた。
これを好奇心と受け取ったオリヴィエは気を良くして、更に補足するように続ける。
「四大精霊は女神様が世界を創った時に生まれた自然を司る精霊。魂を持っていませんが、人間の愛から魂を得られるとされます。そのため、人間に友好的と言われているのですよ」
「友好的…ね」
ヴィヴィはその言葉に不信感を感じた。
一番見たいものを見せるというが、それは言わば心を暴くという行為である。
好意的に見え、この世界では当然のように思われているが、そんなこと水球からきたヴィヴィには関係ないこと。
今から寮に帰れないかな。
ヴィヴィの心にそんな考えが生まれる。
だが、この隣にいる存在のせいでそれはできないだろう。どう足掻いてもヴィヴィに選択肢はない。
この世界に来てからはそうだ。
ずっとヴィヴィには選択する権利がなかった。
「ものは試しです。それでは勇者さん、お先にどうぞ」
そういうケルスは、ヴィヴィの冷ややかな視線を送られてビクリと肩を跳ねさせた。
それに気がついていないオリヴィエは肘でヴィヴィの脇腹をつつき「呼ばれているわ」という。
「…」
苛立ちを隠せないまま立ち上がったヴィヴィに、周囲の視線が刺さる。
特に緊張やら、期待に対する重積やらそういったものを感じていないのか、階段を降りるその足取りに迷いも期待もなかった。
教壇の上に立つ。
一言も口にせずただじっとケルスを見た。
「あ…すぐに準備しますね!」
そういうとケルスは懐から先に丸い赤い宝石を嵌めた銀色の棒を取り出した。
それをクルッと回すように動かせば、教壇に煌めきが生まれる。それはまるでダイヤモンドダスト。
中心部に向かって強烈な光を生んだと思えば、そこから宙に浮く鏡が生まれる。
それは金で装飾されたアンティークな鏡だった。
一見して普通の鏡にも見える。
けれどもその鏡に背景は映るものの、ヴィヴィ自身が映らない。
胃が吐き気を訴えるものの、ヴィヴィはそれらをねじ伏せてその鏡を見た。
「ゆっくりと、目を閉じ、それから一呼吸してから目を開けてください」
ヴィヴィはそれに従うように目を閉じる。
ふぅーと軽く息を吐き、重い瞼をゆっくりとこじ開け、そして目を見開いた。
動揺に黒曜石が揺れる中、別の意味で教室はざわめきが巻き起こっていた。
「属性は一人につき一つじゃないのか?」「あれほど明瞭に望むものを形作れるなんて」「流石、勇者様ね」「いつもはサボってるのに、才能かよ結局」「なぁ、俺たちこれからあれをやるんだよな?」「あれが勇者か」
そこには、ヴィヴィの神様と人生を共にする伴侶の姿があった。
二人の顔は相変わらず見えない。その瞳の色も、髪の色も、表情だって見えない。けれど見覚えのある服に身を包んでいた。
エクセプシオネルの幻覚は品の良さと高潔さを感じさせる佇まい。
ファーのついた烏羽色のコートを肩にかけ、白地に金の刺繍がされた軍服を着て、黒いグローブのような手袋をはめる。
磨きのかかった茶色の革靴を履いており、今にもヴィヴィの背を叩き、共に行こうと言い出しそうな雰囲気を出す。
もう一方、ドゥースの幻覚はネイビー色のドレスを身に纏って、袖にあしらわれた金の刺繍が入ったベルスリーブ。
編み込まれたブーツは強請られてヴィヴィが買ったものだ。
「流石、勇者さんです。これほどまでに明瞭な幻影。生きている中で一度しか見たことがありません。しかもこれは人ですよね?顔の方は靄がかかっていますが、ここまで精密であるのは言わば才能と言っても間違えないでしょう」
ヴィヴィはしゃべらない。
「これは火の精霊サラマンダーと地の精霊ノームですね」
ヴィヴィは何も言わない。
「まさかこんな光景が見れるとは」
ヴィヴィは何も言わない。
「これは素晴らしいことです」
ヴィヴィは何も言わない。
「勇者としても申し分ない。二つの属性があるということはそれだけのアドバンテージがあるということ!」
ヴィヴィは何も言わない。
「勇者様?」
ヴィヴィは…何もいえなかった。
命を捧げるほどの人だった。
共に人生を歩む人だった。
頼るような、お前ならできるという音色があったことを思い出す。
優しげに、愛おしげに自分の名を呼ぶ声があったことを思い出す。
その声色がどのようであったか、表情すら思い出せないけれど、けれど彼らがどのような感情を込めてヴィヴィを呼んでいたかを知っている。
自分は間違いが起こらなければあそこにいられた。
春のような温かく優しい光、夏のような照らされるような強烈な光、秋のような緩やかな光、冬のような鋭い輝く光。
その中で、生き続けるはずだった。
生きるべきだった。
「エクセプシオネル」
枯れた声で振り絞るようにいう。
「ドゥース」
情けない弱々しい声でそういう。
「エクさん」
確かな声でその名前を呼んだ。
「俺の、俺のドゥース」
柔らかく大切なものを呼ぶように名前をいった。
「俺の神様」
噛み締めるようにそういう。
「俺の星」
縋るようにそういった。
「俺の、俺の…」
その後の言葉は出なかった。
でもやるべきことは決まっていた。
ヴィヴィは靴を鳴らして鏡に近づいた。
それを迎えるように手を差し出すエクセプシオネルとドゥースを通り過ぎ、その鏡に向かって拳を打ち付ける。
悲鳴が上がる。
それでもヴィヴィには関係ない。
誰かが止めに入ってヴィヴィの体を抑えようとするが、そんなもの意味もない。
殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る。
止められても、腕を押さえられても、今度は足でそれを壊す。
許さない。
ヴィヴィの心を暴いたのだ。
許せるはずがない。
ヴィヴィの大切を汚した。
許すものか。
ヴィヴィの生きる全てを。
許すことなんてできるか。
決して真似してはいけない。
ヴィヴィの望む彼、彼女じゃない夢を見せて、これが大切なのだろうと突きつけて、彼らが望まないことを、やらないことをやらせたのだ。
ヴィヴィの心の柔らかいところに土足で踏み入って。
それらと共に生きる?それらに力を貸してもらう?それらと友好的な関係を結ぶ?冗談じゃない!冗談じゃない!!
それはヴィヴィの感情だ。
ヴィヴィのものだ。
ヴィヴィが抱えるべき、誰にも見せない宝箱にしまった記憶だ。奪われただけではなく、その記憶を穢すというのか。
ヴィヴィの頭の中は真っ赤になっていく。
頭がおかしくなりそうだった。
いや、もうおかしくなっていたのだ。
見せかけのハリボテで、元の世界に戻ることに縋ってただ生きることしかできなかった惨めな生き物なんだ。
だから壊れているのだから。
これ以上壊れたっていいじゃないか。
体を抑えられる。沢山の人に、それは例えば魔法とかでも、教員でも、男子生徒でも、みんながみんなヴィヴィを抑える。
壊れたヴィヴィを更に壊して。
それを当然のように、そうして。
「あは」
声が思わず漏れ出た。
乾いたその笑い声に気がついた人はいるのか。それくらい小さな声で笑った。
「アハハハハハ、はーぁ」
小さく笑って、ヴィヴィは脱力した。
今はもう、何も見たくなかった。




