第四節「魔法と云う未知」
小腹が空いて食堂に向かった頃、ヴィヴィは眉間に皺を寄せて入り口に立つオリヴィエをげんなりみていた。
ここまで必要以上に出会えば流石のヴィヴィも彼女の顔を覚えてしまった。また小言かと思ったものの、もしかしたら自分とは関係ないかもしれないと考えて、朝と同じようにその横を通り過ぎようとした。
がしり。
しかし、オリヴィエの狙いは最初からヴィヴィだった。
まるで朝の再来だ。
違いといえば朝よりも確かにヴィヴィを掴む手は強かった。
「はぁ。一応、聞いときますが、何のようで?」
「またあなた講義をサボったの!?」
「ええ、まぁ、そうですね」
「少しは行動を改めるとかないわけ!!?」
オリヴィエは苛立ちを抑えないままヴィヴィを糾弾するように叫んだ。
この学園はオリヴィエのいっときの夢のような場所だ。地位、身分その他諸々関係なく、オリヴィエは好きなように振る舞えるし、頑張れば学友だって恋人だって手に入れられる。
オリヴィエにとって儚い夢の場所。
一生手に入れることはできないと思った全てを、手に入れられるチャンスがある場所で、決して目の前の男のように、そんなオリヴィエの夢を崩すような存在を見なかったことにできなかった。
ここは夢の楽園だ。
だからこそ、神聖な場所であり、尊き場所であらなければならない。オリヴィエの望んだ関係性を今尚、作ることはできていなくとも、だからと言って、オリヴィエの夢を真っ正面から否定させられるなんてたまったものではない。
最後の砦だったんだ。
オリヴィエにとって学友も、恋人も、親友も作れなかったとしても、心安らげる居場所であることは確かだった。その最後の夢さえ、今目の前の男に否定されている。
オリヴィエにとっての夢を馬鹿にするような存在が目の前にいる。
それがどうしても耐えられなかった。
だからオリヴィエは必要に非日常を与えてきたヴィヴィを日常に押し込もうとした。
抱いた期待を裏切るのなら、せめても日常だけは返して欲しかったのだ。
まぁそんなこと、ヴィヴィが察せるわけもない。
女心でさえ察することができない男が、人の事情を汲み取れるわけもなく、こうしてガソリンばっかりかけているのだ。
「今度こそ、あなたを講義に連行します」
「嫌です。私にはやるべきことがある」
「それは講義に参加しない理由になるとでも?」
「優先順位ですよ。自分の中で決めた優先順位に従っているだけです」
それでは。
そう言って去ろうとするヴィヴィにオリヴィエは口角を上げた。
まさか朝のようなヘマをするほどオリヴィエは馬鹿ではない。去ろうとするヴィヴィの腕を両手でガシッと掴み、嫌そうにするヴィヴィに悪い顔をした。
「いいんですか?ここで振り払えば、少なくとも教員の目につきますよ?かたや成績優秀者の素行のいい学生。かたや勇者の肩書きをいいことにサボっている不良学生。ここで暴行もどきをすれば、あなたの嫌う面倒臭いことが起こりますよ?」
オリヴィエはただのか弱い女の子ではない。
自分の夢を守るためなら、なんだってする。なりふり構うのはもうやめた。さっさと日常に戻るため、勇者の話題でざわめく環境をなんとかするため…。
そして、オリヴィエの描いた理想を叶えるために、夢に抱いた勇者という責任感を持った男にするため、オリヴィエはこの超絶面倒臭いという顔をするヴィヴィを立派に育てると決めたのだ。
ということで現在、ヴィヴィは慣れぬ制服を着て、隣にいるオリヴィエに監視されながら木製の机に向かっていた。
教室は部屋全体は広々としており、階段上になって後ろの席ほど高くなっている。
所謂、階段教室と呼ばれるそこでは学生たちが何か書き込む音と、ページの音、それから教師の声が聞こえている。
妙に小奇麗な教科書を捲りながら、懐から出した毛皮の日記帳を取り出してそれを教科書と見比べてヴィヴィは全く講義を聞いてないように見えた。
『_月_日。天気は曇天。季節は代わり映えなし、食べたパンは二つ、歩は進まず』
教科書を見て書いているような内容ではない。
完全に旅行気分な書物にそれを盗み見てたオリヴィエはあり得ないものを見るようにヴィヴィを見た。
「あなた正気?」
小声でそういうオリヴィエに、ヴィヴィは視線も向けず更に旅行気分の日記を書き続ける。
「そうですが何か?」
「講義ボイコットから、講義に来ても内容聞くのをボイコットするつもり?!」
「来させられたの間違えです」
「どうせ来てるならそれなりに聞きなさいよ」
「聞いてますよ。ちゃんと書き込んでるでしょう」
「旅日記をね!」
やや大きくなりすぎた声にオリヴィエは口に手を抑える。
自分でも声量に驚いたのか、その肩はピョンと飛んでいた。
「もう、まともに聞きなさいよ。勇者でしょう」
「勇者と講義になんの関係が?」
「これから旅に出るんだから、一般魔法とか色々知っておくべきだわ!」
「知っておく、ねぇ」
ヴィヴィはそう言ってやっと視線を講義をする先生の方に向けた。
中年くらいの女性が、細い白い手で指揮棒のようなものを持っている。理性的なブルーの瞳は黒板と生徒に交互に向けられている。
磨かれた革靴が静かな教室にコツコツと音を響かせ、胸元で青い宝石が煌めいていた。
「それでは勇者殿、魔法の属性について説明してください」
今までボイコットをしていたせいか、目をつけられていたらしい。
周りの同情的な雰囲気を感じながらヴィヴィは教科書に目を向けることもなく立ち上がり、どこか興味もなさそうな黒曜石の瞳に教員を映した。
「属性は全部で四種類あります。火、風、水、土、それらは個人によって適性があり、一般的と言われる魔法を除き、基本的には適正がある属性の魔法しか使えません。一般的魔法とは、無属性とも呼ばれていますが魔法使いの全てが使えるので前述の四種類には含まれることはありません」
滑らかに流れる今日通りの模範的な回答に教室は感嘆に包まれた。
ヴィヴィは答え終われば、特に何かリアクションを取ることもなく着席した。
驚きの目を向けたのは何も周囲の生徒だけではない、勇者とは別世界から来た女神の使者であり、そのためこの世界の常識を知らないという情報を知る教員は、ヴィヴィのことを面白げに見つめた。
一方、ヴィヴィはというと、驚くオリヴィエに特に気にしたような様子はなく、旅日記に手をつけた。
基礎的な知識はすでに召喚魔法を調べるために最初に習得していた。
召喚魔法という応用を覚えるには基礎をまず固める必要がある。ゆえにヴィヴィは何度もこの基礎を覚えた。それこそ脳に刻まれるほどに、鬱陶しいほどに、何度も何度も反復した。
だからこそ、ヴィヴィはこの学園の講義に価値を見出していなかった。
必要なことは教材で済ませ、実際に使えない魔法に関しても理論を解明して一人半年間、ずっと孤独に戦っていたのだ。
普遍的な知識を学習する場所は召喚魔法だけを追求するヴィヴィには向いていなかったのだ。
「あなた」
「だから、必要ないといいました」
日記を捲りながら、ヴィヴィはそういった。
「でもそれは講義を受けない理由にはならないわ」
「それを決めるのは私です」
「あなたは今、学生なのよ?」
抗議するようにオリヴィエがそういえば、やっぱりヴィヴィは視線も向けず淡々と同じことを言う。
それは絶対的なヴィヴィの中での決定された意思なんだろう。それを感じても、それを許容できるかはオリヴィエの気持ちの問題だった。
「学生になったつもりはありません」
明確な拒絶にオリヴィエは更に怒りを蓄積する。
相変わらずヴィヴィは教科書を見て、ぺラペラと適当にめくって文字を目で追う。それから旅日記に目を移してそこからため息を吐いた。
__どこにも新しい知識はない。
旅日記と偽装した暗号日記を見ながら、無駄に消費される時間にヴィヴィは憎しみを向けた。
ヴィヴィの初の登校は嵐のような静けさを生みながら、波乱を感じさせた。




