第三節「異物に居場所なし」
「…、…っ」
夢を見ていた。かつての記憶、忘れられない自分の人生の分岐点。
ふと、誰かの気配をヴィヴィは感じた。
それは寝台の隣、シンプルな椅子に座るエクセプシオネルの姿。
エクセプシオネルはヴィヴィが起きたことに気が付いていないのか、それとも気がついてあえてそのままなのかは知らないが、黙々と手元の本を読んでいた。
ぺらり。
古臭い本の匂いと共に、ページを捲る音が聞こえる。
驚きに固まるヴィヴィに体制を変えずにエクセプシオネルは訊ねた。
“諦めるか?”
その言葉に今見えているエクセプシオネルが自分が生み出した幻覚であることに気がつく。
それに安堵と苦しさが混じった感情が生じた。
こんなよくわからない世界にエクセプシオネルが巻き込まれていないことを安堵し、孤独に耐えることができない自分への苦さがヴィヴィに突きつけられたのだ。
エクセプシオネルは寝台の近くにあるテーブルに本を置いた。
その背表紙には「Que la chance soit avec toi」と書いてあり、風に吹かれて捲られるページには文字が一切書かれていなかった。瞬時にヴィヴィは悟る。
あらゆる限界を自分は越えたのだと。
そのせいでこんな幻覚まで見ているのだと、笑いたくなった。こんな滑稽な自分のことを嘲笑して、窓から身を投げた方が気分がいいかもしれない、なんてことも考えた。
“諦めるのか?”
だがその考えは再び脳に浮かび上がったエクセプシオネルに止められた。
“問おう、我が右腕。神聖ローブ帝国宰相にして元革命軍副団長デヴヴマン・ア・ランプルール”
声色も表情も見えなかった。
それなのに、やけに耳に残るような言葉だった。
“諦めるのか”
これは幻覚だ。ヴィヴィが欲しい言葉があって、きっとそれを見せているだけの三文芝居に過ぎない。
この匂いだって部屋にある古本の匂いだし、ページを捲る音だって風に吹かれてその辺の本が鳴らした音かもしれない。
でも、それでもいいかなと思った。
今はその幻覚に溺れても許される気がした。
「諦めませんよ。諦めることなんてできません」
そう口にすれば、エクセプシオネルの幻覚が大きく肩を揺らした。
それから満足そうに。
“ああ、それでいい”
と言葉を残してエクセプシオネルの幻覚は砂のように消え去った。
朝が来る。
望んでもいないのに世界は平等に朝の訪れを告げる。
名も知らない鳥の鳴き声が聞こえ、ヴィヴィはベッドから立ち上がった。
ヴィヴィに無駄に時間を消費する暇はない。
今日も今日とて図書館から拝借した本を暗号を入れて写していく。
学園から出ろと言われたのだから、その言葉に甘えて全部書き切った後に神殿に移ろうと決めていた。そこにも図書館があるかもしれない。
ヴィヴィは召喚魔法を熟知して、帰るという目標があるのだ。
一分一秒だって無駄にはできない。
それに、たとえ幻覚であろうがエクセプシオネルに誓ってしまったのだ。「諦めない」と。
なら、もっと頑張らないといけない。
好都合なことにヴィヴィは書類仕事が得意だ。
あと十冊。
それを写し終えたらすぐにでもこの学園から退学できるように努力しよう。由緒正しい学園であれば尚更こんな不良学生は嫌だろう。
そう思い、誰も起きていないだろう時間にせっせと写し書いていく。そして皆が登校する時間にはヴィヴィは学園にあった全ての召喚魔術に対する書物の写書きを終えていた。
「と、いうことでこの学園を退学したいのですが」
早朝。
学園が開いた瞬間に登校してきたヴィヴィは直談判するために学園長室でそういった。
最初、ヴィヴィが入ってきたことに驚いた学園長ではあったものの、ヴィヴィが勉学に向いていないこと、集団での行動をしてこなかったこと、加えて魔法なんてものを知らない世界からやって来た身であるため実技や座学に追いつけないこと、真っ赤な嘘がたくさんある話を聞いて、学園長は考える間も無く「それはできません」と答えた。
「それはどうしてか、聞いてもよろしいでしょうか?」
「一番はフォーヴ殿が勇者であるからです」
「勇者であれば素行が悪くてもよろしいと?」
「拡大解釈ですぞフォーヴ殿」
黒のとんがり帽子、青のローブ、一見してシンプルに見えるも見るものが見れば高価なものだとわかる服に身を包んだ初老の男が、困ったように白髭を撫でる。
「勇者であれば、のちに魔王を倒す運命があります。無知のままでは…流石に老婆心に応えますからね」
「なるほど、ある一定の教養を見せれば学園を退学できると」
「ほほう、そんなに我が学園はフォーヴ殿にとって不愉快でありましたでしょうか?」
「不愉快とは違います。そもそも、他の生徒と目的が違います。それでは周囲を不快にし、この学園に不和をもたらすことでしょう」
「ですがフォーヴ殿。この学園であなたは共に魔王を討伐するためのパーティーメンバーを揃えなければなりません。それが学園のしきたりですので」
「ぱーてぃーめん…?」
「さよう。パーティーメンバーです。神殿または王宮では聞いたことはありませんか?」
「少なくともそう言った話は私の元には来ていません」
「もしかしたら、向こうで用意しようとしていたのかもしれませんね」
「ならば、尚更いる意味はありますか?」
「だからこそですよ!」
ここ一番の大声を出して学園長はいう。
「用意された仲間よりも、自身で選んだ仲間の方が連携が取れます。それに女神の使いであるあなたが直々に選ぶということは、それだけで何億とも言える価値が生まれるのです」
ウキウキとそういう学園長に嫌そうにヴィヴィは「要は箔付のためか」と小さく呟いた。
「少なくとも、現状の私と共に死線を潜りたいというほどの物好きはいないと思いますが?そんなことに時間をかけるくらいなら、前述通り用意されたメンバーで討伐を行うことが合理的だと思いますが」
「まぁまぁ、物は試しですよ。しばらく学園生活をすれば共に切磋琢磨する仲間ができるかもしれない」
「可能性の話ですよね?」
「騙されたと思って、是非ともこの学園を楽しんでみてください」
それから「ほほほ」と言って全ては誤魔化される。
ヴィヴィはこの時間自体が無駄であることを悟った。
これ以上の情報も有意義な時間も何もないだろう。ただただここで、意思を変えるつもりもない学園長の相手をしているのが馬鹿らしくなる。
ヴィヴィは痛い頭を押さえながら、ギロリと睨んだ。
不平不満ではなく、ただただお前の思い通りになってやるかという宣言である。
「わかりました。この学園には一ヶ月だけは在籍します。ただしその一ヶ月間は私の好きなように振る舞わさせていただきます」
「おお、恐ろしや恐ろしや」
思ってもいなさそうな言葉を聞き流してヴィヴィは学園長室の扉を開きさっさと出て行った。
ヴィヴィには勿論、講義に参加するつもりはない。
一ヶ月間あの華美な部屋で立て篭もりをするつもりだ。
流石に必要最低限の用事では出るかもしれないが、学友とやらの交流やら講義の受講など一切するつもりはない。
学園長室から自室まで長い廊下を歩き、登校する生徒とすれ違うことも気にすることなく、ヴィヴィは歩いた。
そして寮の入り口を見てげんなりとする。
思わず口から呆れたような、面倒くさそうなため息が溢れる。それもそのはず、ヴィヴィの目の先には寮のまえで腕を組み、仁王立ちするオリヴィエの姿があったからだ。
オリヴィエは背中を向けてはいるが、なんとなく剣吞な雰囲気が見受けられる。関わりたくない、でもあそこを通らないと部屋には戻れない。
巻き込まれたくないな、そんなことを思いながらヴィヴィはそそくさとその隣を通りすがろうとした。
したが、ヴィヴィは急にオリヴィエに腕を掴まれた。
まさかそんなことをするなんて思っても見なかったヴィヴィは思わず重心が後方にずれる。
なんとか体幹で持ち直して、ヴィヴィは不満げにオリヴィアを見る。
オリヴィエは肩を怒らせヴィヴィを睨んだ。
「なに寮に戻ろうとしてるのよ、ユウシャサマ」
「忘れ物ですよ。だから離してください」
「嘘よ。そんな簡単な嘘、私が騙されるとでも思っているの?」
「はぁ、もうなんですか。急に」
面倒くさそうにヴィヴィはオリヴィエを見た。
「今日こそ講義に出てもらうわよ!」
「そこまでするほどなんかありましたっけ」
ヴィヴィはお節介を焼くオリヴィエに対して、まるで初めて会った人になぜそこまで言われないといけないのだ、というような表情をする。
しかし、そんな事情を知らないオリヴィエは顔を真っ赤にして怒った。
「あなたに勇者の自覚もなければ!この学園に通う生徒としての自覚がないからよ!」
「それが、なんか問題ありますか?」
そう、ヴィヴィは完全にオリヴィエのことを忘れていたのだ。
そのため彼からすればオリヴィエは急に話しかけてきて、急につっかかってきた少女である。
相手をする必要性を感じなければ、初対面の相手にそれを言われる筋合いさえないと本気で思っていた。
ここに彼の妻であるドゥースがいれば、冷めた目で“だからモテないのよ”と言っていただろう。
「この学園の看板に泥を塗るつもり!?」
その言葉にヴィヴィは一回考えてみた。
看板に泥を塗る。
それは果たして自分には関係あるのだろうか。
それをして困るのは決して自分ではない。
であるのであれば、そんな看板を気にする必要もないだろう。
だってここはヴィヴィの愛した神聖ローブ帝国の機関ではないから。
何回目かのドゥースによる“だからモテないのよ”というセリフが頭によぎる。
「看板に泥を塗ったとこで私に何か不都合が起きるとは思えませんが」
「これは全体の問題よ!今までの卒業生やこれからの後輩たち、そしてこの学園のブランド、その全てにあなたは喧嘩を売っているのよ!!」
「じゃあ、私を退学させてくれなかった学園長に文句を言ってもらっていいですか」
その言葉にオリヴィエは肩を跳ねさせた。
顔にはまるであり得ないというような感情を乗せて、引くような声色を出す。
「あなたまさか昨日のことがあって素直に退学しようとしたの?!」
「はぁ、そうですが」
「正気!!?あの言葉で危機感を持つとかそういう感情はないわけ!!?」
捲し立てるようなオリヴィエの言葉に心底面倒臭そうな顔でヴィヴィは言葉を吐き出す。
「ないですね。どこかで言ったかもしれませんが、好きでここにいるわけではないんですから」
「このっ!!」
苛立つようにそう言ったオリヴィエに威圧するようにヴィヴィは低い声で威嚇する。
「で、離してもらっていいですか?」
オリヴィエが思わず短く悲鳴をあげる。
それに対してヴィヴィは力強く腕を引いてその拘束を解いた。少女の力に加えて相手は叩き上げの軍人。
どちらが勝つかなんて火を見るよりも明らかである。固まるオリヴィエを気にすることもなくヴィヴィはさっさと寮の奥へと消えてしまった。




