第二節「不相応な生徒」
「…ここは、アルテス・リベラレス学園。貴族であっても一握りしか通うことのできない魔法学園です」
顔を下に向けたオリヴィエがグッと拳に力を入れてから、血が滲むほど強く唇を噛んだ。
そこから、顔をあげてヴィヴィを見る。仄暗い黒曜石をこれでもかと睨み、激しく怒鳴った。
「あなたが勇者だろうが関係ない!あなたにはこの学園にいる資格などない!!頼んでないとまでいうのなら、荷物を持って勝手に神殿にでも戻ったら良いでしょう!?」
伯爵家のオリヴィエにとって、友人とはこの学園の中でしか手に入れられない貴重なものだった。
外に出れば、伯爵家の娘として振る舞わなければならないし、気軽に友達になろうと言っても、そうそうなれるものではないから。
だからこの学園には夢を持っていたのだ。
たとえ未来で自分が好きになった人ではない人と結婚することになったとしても、それでも平等を謳ったこの学園では自由に、地位に囚われずに、オリヴィエが夢見た生活を送れると。
自身が公爵家の名前を出したことなどすっかり忘れて、オリヴィエは自身の抱いた夢を悉く砕いた男に向かって更に吠えようとする。
けれどもそれは淡白に動揺も焦燥も持たないヴィヴィに遮られた。
「じゃあ、そうします。ありがとうございます。さようなら」
口早にそういうとオリヴィエの隣を通り過ぎ、ヴィヴィは野次馬たちをかき分け食堂へと入っていく。
呆然と立ち尽くすオリヴィエの心は挫折しそうだった。
もう勇者への期待を置き去りにして、全てを忘れてあの平坦な日常に戻る。そんな選択肢がオリヴィエの前に立ちはだかったのだ。
ヴィヴィにとってこの世界で必要なのは、帰るための必要最低限のことだった。
ご飯を食べる、本を読む、寝る、ご飯を食べる、本を読む、寝る。
それらの繰り返し、それ以上の変化を求めていないし、何かこの世界でしたいことや、やりたいことなんてものは全く持っていない。帰るためのこと以外には興味も関心も一切なかった。
そして、ここが最大のヴィヴィの欠点なのだが、ヴィヴィは興味を持った事柄や重要なこと以外の記憶力はドベであった。
今日つっかかってきた女の子が昨日つっかかってきた女の子であることも、その女の子の名前がオリヴィエであることも、まったく記憶にはない。今興味があるのは手で持って帰れそうなものを探す。
自分がいた学園であれば共有皿を囲んで取り分ける方式であったが、どうやらこの世界は並べられた料理を自分で取り分けて食べるらしい。
なんだこれ。
ヴィヴィは初めて遭遇する新しい形式に一度眉を顰めて、それからこれの方が楽かと認識を改める。
皆が皆、皿を持ち歩く中、ヴィヴィは手ぶらでパンのカテゴリーがある場所に進んだ。そして見覚えのあるバゲットを三個ほど手に入れる。それから、時代背景には全く似合わない、なぜそこにあるかもよくわからない包装紙に丸め込まれたチョコを複数個。
支給されたズボン…ではなく、この世界に来た時に履いていたズボンにチョコを突っ込んだ。
シャツや上着は流石に目立つため支給品である学生服を着ているが、ズボンだけは前の世界からの持ち込みのものを履いている。
故郷へのつながり…というわけではなく、神聖ローブ帝国での生活の影響でいつもの服でないとソワソワするのだ。
それに、とヴィヴィは瞳だけ動かしてここにいる生徒の姿を見る。
ヴィヴィのいた年代と約500年前くらいの様式であるからか、なんというかヴィヴィにとってそれは古めかしいというか、味わいのある服というか、心の中でオブラートには包んでいるが、結局のところ時代遅…。
そんな理由でヴィヴィは小さな抵抗ではあるがそれを履いていた。
とりあえず取るものだけはとった。あとは部屋に帰るだけ。
引くような目を向ける人々もあちこちで「野蛮ね」と呟く他生徒も気にもとめないでグングン進んでいく。まだ廊下で置き去りになり固まるオリヴィエを変な人がいるなぁ、くらいの感想を持って当然のように避けて部屋へと向かう。
「待ちなさい!!」
はっと我に返ってそう口にしたオリヴィエの声なんて、まさか自分に向いているとは思ってもおらず、一切スピードを落とすことなく曲がり角を曲がった。
始まりはなんだったか。
特別何かあったとか、そういうのではなかったことだけは覚えている。
雪解けの時期だったはずだ。
信頼できる近衛を二人ほどつけて民衆に混ざるように市街地を歩いていた。
盛り上がる露店や駆け回る子どもたち、噴水に腰をかける老夫婦と雪解けを楽しむ恋人たち。
それらをみながら、なんとなく目的もなく歩く。
何か困っていることはないか、必要な制度は?取り締まりの強化や治安維持のための会議は必要か?そんなことを考えながら、ローブ王国の今後のことを考えていた時だった。
“お前!!ああ、そうだ似合わない伊達メガネをしているお前だ!”
唐突に腕を掴まれた。
大人の男性。掴まれてはいるが強い痛みはない。
本当にただの引き止めなだけだったため、ヴィヴィは周囲にいた近衛に必要ないと合図を送り、とりあえず困ったように苦笑いを作った。
「急いでいるんで、離してもらっていいですか?」
“では、急いで話さないとだな!”
「いや、あの、そういう意味では…」
“一分、いや三十秒でいい!”
「詐欺…?」
“なぁ、こんな窮屈な生活に飽き飽きしているだろ!しているよな?そうかしているか!”
「な、何も言ってない…」
“早くと言ったのはそちらだろう。そう、本題だ。我が陣営に入らないか?”
「あ、宗教勧誘は間に合ってますのでさようなら」
“違うわ!!!宗教と同じにしてもらっては困るぞ!なに、国をひっくり返そうって話だ”
それを聞いてヴィヴィの目は厳しくなった。
これでもヴィヴィはローブ王国が認める伯爵家の長男。
不穏分子のような発言を見逃すなんてことはできない。近衛に今すぐ合図を送って拘束するか、そう思った時、その思考を止めるような楽しげな言葉が飛んできたのだ。
“我らローブ民族はここで停滞し、落ちぶれることを許すと思うか?いいや、そんなことはありえない。今や大国から地域大国にまで退化したこの土地を、超大国にまで成長させる。そのために俺は全てを投げ打ち、全てを捧げるつもりだ。お前はどうだ?このまま全てを享受して、この国と共に水没するか?”
距離的に近衛には声は届いていないだろう。
そのはずなのに、やけに大きな声に聞こえた経験を覚えている。堂々とした佇まい、それから確固たる意思がそうさせているのか、ヴィヴィよりやや低めの身長のはずの男が大きく見えた。
根拠なんてない。
やる。やるつもりなんだ。
ヴィヴィに本当にそう錯覚させるほどの力強さを男は示した。
そこではっと気がつく。
よく見れば男の服装はボロボロだった。頬は煤で汚れて、身長にあっていないのかズボンの丈は折り畳まれ、シャツの袖も捲ってあった。もちろん、服にも煤やら汚れが目立ち、その有り様でヴィヴィはやっと彼が貧困層であることを知った。
ヴィヴィは素直に驚いた。
今まで自分が騙されていた…といえば語弊があるが、勘違いさせられていたことに、そして今この瞬間まで貧困層だとは思えないほどの演説をした彼に、言葉を失った。
チグハグだ。
チグハグだった。
見た目は社会的弱者、しかし佇まいや喋り方、選ぶ言葉は上流階級でもそうそうみない高潔さと知力を感じる。
“よく、わかりませんが、とりあえず意味がわからないので帰らせてもらいます”
なんとか振り絞ってヴィヴィはそういった。
これ以上は何か良くない気がした。
初めての酒で酔ってしまいそうになった経験を思い出す。それと同じくらい危うげな何かを男から感じてしまったのだ。
それこそが男_次期革命指導者、現神聖ローブ帝国皇帝のエクセプシオネルとの出会いだった。
それからしばらくヴィヴィの頭の中に男の言葉は、響き続けていた。特にその思想に強く賛成したわけではなく、ローブ王国と水没するのかと聞かされた言葉に、ずっと何かが引っかかっていたのだ。
ヴィヴィは所謂、約束された地位にいる。
お金にも住む場所にも困っていないし、むしろ余裕まである。
休日は母のお茶会に参加して、仕事の時は父の補佐を、空いている時間で弟の遊び相手になって、実に充実した日々を過ごしていた。
それに対して不満もなければ不快さも持っていない。そもそも野心がそれほどなく、いつの日かは政略結婚の相手であるドゥースと結婚して、そして子どもを授かり、その子に家庭教師を雇い貴族学園に通わせ、それから、と人生設計を考えているくらいには文句なんてなかった。
それなのに、今になったヴィヴィは男の言葉で揺れ動いているのだ。
“この国と共に水没するか?”
その言葉に対する答えなんて初めから用意されている。
やなこった、だ。
この国に生まれたからといって愛国心なんてものは持っていない。祖国愛があるから何かあればすぐに立ち上がるなんてことも、逆に王家に忠誠を誓っているから命を捨ててまで働くなんて気持ちもない。
それほどの熱量を持っていなかったし、どちらかといえば淡白な自分がそんな熱意に溢れた人生を送れるとは思っていなかった。
だからもし、男の言うことが本当だったとしてローブ王国が水没するとなったら、ヴィヴィはいの一番に逃げるだろう。
感情的には淡白ではあったが、別にそれが死に対しても適応されるわけではない。
人並みの生存欲求はあるから、それを守るために動くだろう。
だからなんだ。
別にあの時、あの男はヴィヴィが上級階級の人間と知ってて扱っていたわけではないだろう。他の人にも同じことを言っていたかもしれないし、たまたま見つけたヴィヴィに言っただけのはずだ。
そのはずなのに、腐敗した政権に何もしないヴィヴィたち貴族への発破に聞こえたのだ。
本当にそれでいいのかと、このままでいいのかと、腐敗していると知っているのに、目の前にある幸せが壊れないのであればそれでいいのかと。
いつの日か考えたことのある問題を改めて男から突きつけられたような気持ちになった。
その日からお忍びで市街に行くと時々男の演説の言葉が聞こえてきた。
それは最初は聞く人は少なかった。それこそ二、三人程度で、けれどもどこかそれを聞く人は熱心に男を見ていた。
次第に年月が経つと男の演説を聞くためだけに人だかりができた。
これには流石に危機感を持った国王が憲兵を使ってその活動を廃止させようと動いた。男はその日から演説するたびに追いかけられ、しなくても追いかけられ、慌ただしい日々を送っていた。
それから一年後くらいに男はやっとこさ頑張った憲兵に捕まって不敬罪やら煽動罪で裁判もなく投獄されることになった。
流石にこれでは男も何もできないだろう。
それを残念に思う自分に少し驚きながら新聞を開ける日を楽しみにしていた。
そして半年後、男は投獄された刑務所でも演説をし、一部の刑務官と受刑者を虜にして、それに危機感を持った他刑務官の報告によって国外追放が決まった。
そりゃあそうだろうと思いながら、ヴィヴィはそれが掲載された新聞を読みながらコーヒーを飲んだ。
これであのヴィヴィの思考の半分を占める男の存在は消えるだろうと思えば、翌年男はひょっこりといつも演説していた場所にいたのだ。
“こうして俺は帰って来た!”
それに熱狂する民衆を前に、ヴィヴィは自分が口をあんぐりと開けたことを覚えている。
そして男は今度こそ、憲兵だけではなく政治警察にも追いかけ回されることになった。
どこに潜んでいるのか、どこで暮らしているのか、全くわからない男は早々に捕まることもなく、それから二年ほど経ってやっと捕まったらしい。
投獄してもダメ、国外追放してもダメ、であるならば最後に残されたのは処刑だった。
あまりにも国民人気を得てしまったからこそ、可及速やかに処刑する必要があった。
信頼されている上位貴族しか知らない辺境の地でこっそり、そしてさっさと殺してしまおう。
これには流石にヴィヴィは彼はもう助からないなと思った。
だって、男は誰もいない砦の地下にあるかつて使われていた地下牢に詰め込まれたのだ。どれだけ話術が強くとも、人がいなければどうにもできない。処刑が翌日に決まってるんだから、彼の仲間達も助けにはいけないだろう。
天運が尽きたのだ。
ヴィヴィはそう思って、そう思って…。
牢の扉を開けた。
ヴィヴィは伯爵家の長男だ。
祖先が歴代の王たちを支え、その信頼も厚い。普通ならいけない場所であっても顔パスで行けるし、それに手際もいいから厳重に保管された鍵を手に入れるのにはそれほど時間はかからなかった。
ただ時間だけはどうしようもなかった。
だから必死に愛馬を走らせた。
走って、走って、走って、昼夜も問わず休みもせず、ただただ駆けていく。
後先も考えず、振り返りもせず、走って、走って、走って。
それから、馬が通れない場所に着いた時にはなりふり構わず走った。あれほど頑張って走ったのは初めてのことだった。汗だくになり、息を切らしもした。
そんなんだから彼がまだ連れて行かれていないと知ってどれほど安堵したのだろう。
そこまでヴィヴィが動いてしまったのは、たった一つのことだった。
ヴィヴィは男の最後の演説のとき、たまたまそこにいた。
そして連れて行かれる時、大衆に紛れていたはずのヴィヴィをその珍しい⬛︎⬛︎瞳で見たのだ。
それがきっといけなかった。
そんなことがなければヴィヴィは安定した暮らしをそのままに、男が死んだことすら知らずにのうのうと生きていられたのに。
錆びついた牢を開ける。
今日死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれない。
そんな状況なはずなのに、男はまるで玉座に座るように石造のそこに座っていた。相変わらず着ているものも、座っているところもボロボロなのに、その手には壁から伸びた鎖で繋がれた枷が嵌められているのに、それすらも何か高価なアクセサリーに見えるほど、彼は堂々としていた。
“この国に沈まなくてよかったのか?”
楽しそうに笑う男の手枷を外す。
疲れたように手首を回す男に眉を顰めながら確かヴィヴィはこう言ったはずだった。
「そのくらいなら、泥舟に乗ったほうがマシって思っただけっすよ」
それに男は楽しそうに満足したように大笑いして、バシバシとかなり強くヴィヴィの背中を叩いたのだ。
“ようこそ泥舟へ、落ちるところまで共に堕ちようではないか”




