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誓いのキスは手の甲に  作者: 濃厚圧縮珈琲


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7

 それからしばらくの間、俺は流されるままに日々を過ごしていた。


 大学生活は相変わらず代わり映えしない、同じ事の繰り返し。


 講義を受けて。

 レポートを書いて。

 昼になれば三人で学食へ向かう。


 何も変わらない。

 何も変わっていないはずなのに。


 

 自分でも知らぬ所で、俺の世界だけが少しずつ変わってしまっていた。




*   *   *




「ねぇ春樹」


「ん?」


「この後暇?」


 昼休み。


 学食で昼飯を食べながら、美咲がそう聞いてくる。


「三限休講になったから」


「あー。そんな事言ってたねぇ」


「駅前で新しいパンケーキ屋できたんだって! いこ?」


「俺の奢りか?」


「そうでーす♪」


「はぁ~……仕方ないなぁ」


「やたーっ! 悠斗は次講義だもんね」


「そうなんだよぉ~! くぅー、いいな春樹。俺の分まで楽しんでくれよ……?」


「はいはい。任された」


 

 ふと美咲へと視線を向けると、幸せそうに笑みを零していた。

 

 いつもそうだ、甘い物の話になると目を輝かせる。

 それに、面白い事があるとすぐ飛び付く。


 昔と変わらない。


 そのはずなのに、何気ない仕草一つ一つが妙に胸に残る。


「春樹、聞いてる?」


「ああ」


「絶対聞いてない」


 美咲が頬を膨らませる。


 それが可笑しくて少し笑う。


「というか美咲、がっつりご飯食べてるけどパンケーキ入るのか?」


「確かに」


 疑念の目を向ける俺と悠斗の視線に、美咲は胸を張って応えた。


「甘い物は別腹だから!」


「その身体のどこに入るんだよ!」



 そんな他愛もない会話。

 その時間が、以前よりずっと愛おしく感じた。



*   *   *



 ある日の帰り道。


 三人でいつも通り駅へ向かって歩いていた時だった。



 ガタン。


 ――不意に右手の力が抜けた。


「あ……あれ?」


 持っていた鞄が落ち、中身が飛び出てしまう。


「春樹?」


「どうした?」


 二人が振り返る。


「いや、ちょっと手が滑っちゃって」


 そう言って笑いながら飛び出た中身を詰め込んで鞄を拾い上げる。


 

 さすがに少しだけ気になっていた。

 最近こういう事が増えている。


 物を落とす。

 躓く。

 手に力が入りにくい時がある。


 疲れているだけだと思っていた。

 けれど……流石に回数が増えすぎていた。


*   *   *



「神谷さん?」


「はい」


 大学近くの整形外科。

 診察室へ呼ばれ、椅子へ座る。

 医師はカルテを見ながら首を傾げていた。


「近々で怪我をされたとかは?」


「いえ、ありません」


「握力も少し落ちてるみたいですね」


「そうなんですか?」


「ご自覚はないと?」


「全然」


 医師は少し考え込み、すぐにパソコンに向き直り何かを打ち込み始めた。


「一応紹介状書くので、大きい病院で詳しく見てもらってください」



 その言葉に少しだけ不安を覚えたが、それでもまだこの時は大した事じゃないと思っていた。

 

 精密検査で金がかかる。


 バイトどうしよう。


 少し疲れが溜まっているだけだろう。



 そんな考えが浮かんでは消えて行った。




*   *   *




 検査は思ったより長引いた。


 血液検査にMRI。神経の検査。

 更にはよく分からない機械を身体に付けられたりもした。



「念のためですから」




 念のため。


 ……大丈夫。心配いらない。

 

 俺も深く考えないようにしていた。



 だが。



 最後の検査から数日後。病院から電話が掛かってきた。


『神谷春樹さんでしょうか?』


「はい」


『次回の診察なんですが』


 ――妙な胸騒ぎがした。


『可能であれば』



『ご家族の方と一緒に来院していただけますか?』




 心臓がどくりと大きく鳴った。




『神谷さん?』


「……あ、はい」


 返事をする事しかできなかった。

 電話が切れ、部屋の中が静かになる。


 俺はスマホを握ったまま動けなかった。


 俺の身体、何かがおかしいんだ。



 嫌な予感だけが、胸の奥で静かに膨らんでいた。


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