24
悠斗を呼び出したのは、決意してから数日後だった。
大学帰りだと美咲もいる為、一度家に帰ってから、自宅の近くの公園に行こうと彼を呼んだのだ。
「悪いな、ここまで車いす押してもらって」
「なーに、気にすんなって。ここでいいか?」
「ああ。助かる」
車椅子になった俺は、もうブランコには座れない。
悠斗がブランコに腰掛けて、俺はその隣に車椅子を止めてもらった。
あの夜と同じようで、少しだけ違う構図だった。
「で? 話って?」
悠斗はいつもの調子で軽く、明るく訊いてくれる。
手持ち無沙汰なのか、錆びたブランコを音を立てて漕ぎ始めた。
飄々としているが、その目はどこか身構えているように見えた。
……長い付き合いだ。
それに、あいつも何かを感じ取っていたのかもしれない。
俺は深く息を吸って、意を決して口を開いた。
「悠斗」
「ん」
「もし……もしもの話なんだけどさ」
「……うん」
「俺が、本当に動けなくなったら」
「……」
「その時、美咲を、一人にしないでほしい」
悠斗のブランコが止まった。
ぎい、と鎖が軋む。
「……は?」
「美咲を、幸せにしてほしいんだ。俺の代わりに」
悠斗はしばらく黙って俺を見ていた。
その顔から表情が抜け落ちていく。
楽し気に弧を描いていた口元は、横一文字に。
目もスッと細められた。
――そして。
「……何、言ってんだ?」
低い、怒りの籠もった声だった。
* * *
「お前さ」
悠斗がブランコから立ち上がり、俺の正面へと立った。
「自分が何言ってるか、分かってんのか?」
「分かってる」
「分かってねぇよ!」
悠斗が声を荒げた。
「美咲を頼むだ? 幸せにしてやってだ? ……お前、まだ美咲の事好きなんだろ!?」
……ああ。
好きだ。
どうしようもなく、好きだ。
「ああ、好きだよ」
俺は認めた。
あの夜、自分が認めた事を。
今度は、悠斗の前でハッキリ口に出した。
「美咲が好きだ。……お前より、ずっと前から」
「だったら! だったら、なんで、手放すんだよ?」
悠斗の目が潤み、波打ち始める。
ごめんな、と心の中で呟きながら、俺は続けた。
「好きだから、だよ」
「好きだから、手放すんだ」
「……意味、分かんねぇ」
「美咲はさ。俺のそばにいたら夢を諦めるんだ。保育士も、母親になる事も、普通の家庭さえも。全部……俺の為に諦めようとしてる」
「っ……」
「この前、動物園で見ちゃったんだよ。肩車されてる子供を、美咲が目で追ってた。……あいつ、本当は、ああいう未来が欲しいんだよ」
「それは」
反論しようとする悠斗の言葉を遮って続けた。
「でも、俺じゃあげられないんだ」
目を伏せ、自分の足を、手を眺めた。
「車椅子で。これから手も動かなくなる俺じゃ……美咲に、何にもあげられないんだ」
悠斗は、何も、言わなかった。
ただ、強く唇を噛んでいた。
「でも、お前なら」
俺は悠斗を笑顔で見上げた。
「お前なら、美咲に全部あげられる。普通の日々も。……美咲が思い描いていた、普通の幸せな景色も、全部」
「だから、頼む。美咲を幸せにしてやってくれ」
長い長い沈黙があった。
悠斗は俯いたまま、動かなかった。
どれくらい時間が過ぎただろうか、悠斗はようやく、ぽつりとつぶやいた。
「……知ってたよ」
「え?」
「お前が、最近、変だった事」
悠斗はしゃがみ、俺と視線を合わせた。
「なんつーか……仙人みたいでさ。全部、悟ったみたいな顔してたし」
「仙人って……」
「俺、薄々気付いてたんだ。お前が、何かとんでもない事考えてるって」
そして、悠斗は力なく笑った。
「でも、気付かないふりしてた。……だって、認めたくなかったから」
* * *
その後、悠斗はブランコに座り直した。
ぎい、と鎖が鳴る。
「なあ、春樹」
「ん?」
「前も言ったけどさ、俺は美咲が好きだ。ずっと好きだった。今も……当たり前に好きだ」
「……うん」
「お前に託されなくたって。……俺は最初から美咲が好きなんだよ」
その告白は不思議と重くなかった。
もう、知っている事だったから。
「でも、さ」
悠斗が、続ける。
「俺の気持ちとお前の気持ちがどうこう、じゃないんだよ。決めるのは、俺達じゃない」
そこで一度言葉を切って、悠斗は薄暗い空を見上げた。
「決めるのは……美咲だ」
その言葉に……俺はハッとした。
……そうだ。
その通りだった。
俺はまた、やろうとしていた。
美咲の気持ちを、美咲のいない所で、勝手に決めようとしていた。
……あれだけ怒られたのに。
「勝手に、私の気持ちを決めないで」と。
「私の人生は、私が決める」と。
……一度、反省したはずなのに。
「勝手な男達だよな。俺達って」
自嘲気味に悠斗が笑う。
「お前は勝手に身を引こうとして、俺は勝手にその先を期待して……。美咲の気持ち、一度も聞いてねぇのに」
苦笑いしか出なかった。
……本当に、その通りだ。
俺達は、どうしようもなく自分勝手で。
どうしようもなく、美咲の事が好きで。
そんな勝手な男が二人。公園で間抜けな顔を突き合わせている。
「だからさ」
悠斗が、立ち上がる。
「俺は、お前の『頼む』に今は応えられない。例え親友の頼みだったとしても」
「……」
「美咲が、自分で決めるまで。……俺は待つつもりだから」
その目はもう、潤んでなどいなかった。
まっすぐに覚悟を決めた男の目だった。
「それで、いいよな?」
「……ああ」
それで、いい。
それが、正しい。
俺達にできるのは、ただ美咲の答えを待つ事だけだ。
公園に涼やかな夜風が吹いた。
あの夜と同じ風だった。
でも、あの夜とは……何もかもが違っていた。




