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誓いのキスは手の甲に  作者: 濃厚圧縮珈琲


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 悠斗を呼び出したのは、決意してから数日後だった。

 大学帰りだと美咲もいる為、一度家に帰ってから、自宅の近くの公園に行こうと彼を呼んだのだ。


 「悪いな、ここまで車いす押してもらって」


 「なーに、気にすんなって。ここでいいか?」


 「ああ。助かる」

 

 車椅子になった俺は、もうブランコには座れない。

 悠斗がブランコに腰掛けて、俺はその隣に車椅子を止めてもらった。

 

 あの夜と同じようで、少しだけ違う構図だった。



「で?  話って?」


 悠斗はいつもの調子で軽く、明るく訊いてくれる。

 手持ち無沙汰なのか、錆びたブランコを音を立てて漕ぎ始めた。


 飄々としているが、その目はどこか身構えているように見えた。


 ……長い付き合いだ。

 それに、あいつも何かを感じ取っていたのかもしれない。

 

 俺は深く息を吸って、意を決して口を開いた。


「悠斗」


「ん」


「もし……もしもの話なんだけどさ」


「……うん」


「俺が、本当に動けなくなったら」


「……」


「その時、美咲を、一人にしないでほしい」


 悠斗のブランコが止まった。

 ぎい、と鎖が軋む。


「……は?」


「美咲を、幸せにしてほしいんだ。俺の代わりに」


 悠斗はしばらく黙って俺を見ていた。

 その顔から表情が抜け落ちていく。

 楽し気に弧を描いていた口元は、横一文字に。

 目もスッと細められた。

 

 ――そして。


「……何、言ってんだ?」


 低い、怒りの籠もった声だった。


*   *   *



「お前さ」


 悠斗がブランコから立ち上がり、俺の正面へと立った。


「自分が何言ってるか、分かってんのか?」


「分かってる」


「分かってねぇよ!」


 悠斗が声を荒げた。


「美咲を頼むだ? 幸せにしてやってだ? ……お前、まだ美咲の事好きなんだろ!?」

 

 ……ああ。

 好きだ。

 どうしようもなく、好きだ。


「ああ、好きだよ」


 俺は認めた。

 あの夜、自分が認めた事を。

 

 今度は、悠斗の前でハッキリ口に出した。


「美咲が好きだ。……お前より、ずっと前から」


「だったら! だったら、なんで、手放すんだよ?」


 悠斗の目が潤み、波打ち始める。


 ごめんな、と心の中で呟きながら、俺は続けた。


「好きだから、だよ」

「好きだから、手放すんだ」


「……意味、分かんねぇ」


「美咲はさ。俺のそばにいたら夢を諦めるんだ。保育士も、母親になる事も、普通の家庭さえも。全部……俺の為に諦めようとしてる」


「っ……」


「この前、動物園で見ちゃったんだよ。肩車されてる子供を、美咲が目で追ってた。……あいつ、本当は、ああいう未来が欲しいんだよ」


「それは」


 反論しようとする悠斗の言葉を遮って続けた。


「でも、俺じゃあげられないんだ」


 目を伏せ、自分の足を、手を眺めた。


「車椅子で。これから手も動かなくなる俺じゃ……美咲に、何にもあげられないんだ」


 悠斗は、何も、言わなかった。

 ただ、強く唇を噛んでいた。


「でも、お前なら」


 俺は悠斗を笑顔で見上げた。


「お前なら、美咲に全部あげられる。普通の日々も。……美咲が思い描いていた、普通の幸せな景色も、全部」



「だから、頼む。美咲を幸せにしてやってくれ」




 長い長い沈黙があった。

 悠斗は俯いたまま、動かなかった。

 

 どれくらい時間が過ぎただろうか、悠斗はようやく、ぽつりとつぶやいた。


「……知ってたよ」


「え?」


「お前が、最近、変だった事」


 悠斗はしゃがみ、俺と視線を合わせた。


「なんつーか……仙人みたいでさ。全部、悟ったみたいな顔してたし」


「仙人って……」


「俺、薄々気付いてたんだ。お前が、何かとんでもない事考えてるって」

 

 そして、悠斗は力なく笑った。


「でも、気付かないふりしてた。……だって、認めたくなかったから」



*   *   *



 その後、悠斗はブランコに座り直した。

 ぎい、と鎖が鳴る。


「なあ、春樹」


「ん?」


「前も言ったけどさ、俺は美咲が好きだ。ずっと好きだった。今も……当たり前に好きだ」


「……うん」


「お前に託されなくたって。……俺は最初から美咲が好きなんだよ」


 その告白は不思議と重くなかった。

 もう、知っている事だったから。


「でも、さ」


 悠斗が、続ける。


「俺の気持ちとお前の気持ちがどうこう、じゃないんだよ。決めるのは、俺達じゃない」


 そこで一度言葉を切って、悠斗は薄暗い空を見上げた。


「決めるのは……美咲だ」


 その言葉に……俺はハッとした。


 ……そうだ。

 その通りだった。

 俺はまた、やろうとしていた。

 

 美咲の気持ちを、美咲のいない所で、勝手に決めようとしていた。

 

 ……あれだけ怒られたのに。


「勝手に、私の気持ちを決めないで」と。

「私の人生は、私が決める」と。


 ……一度、反省したはずなのに。



「勝手な男達だよな。俺達って」


 自嘲気味に悠斗が笑う。


「お前は勝手に身を引こうとして、俺は勝手にその先を期待して……。美咲の気持ち、一度も聞いてねぇのに」

 

 苦笑いしか出なかった。


 ……本当に、その通りだ。

 俺達は、どうしようもなく自分勝手で。

 どうしようもなく、美咲の事が好きで。

 そんな勝手な男が二人。公園で間抜けな顔を突き合わせている。


「だからさ」


 悠斗が、立ち上がる。


「俺は、お前の『頼む』に今は応えられない。例え親友の頼みだったとしても」


「……」


「美咲が、自分で決めるまで。……俺は待つつもりだから」

 

 その目はもう、潤んでなどいなかった。

 まっすぐに覚悟を決めた男の目だった。


「それで、いいよな?」


「……ああ」


 それで、いい。

 それが、正しい。


 俺達にできるのは、ただ美咲の答えを待つ事だけだ。

 

 公園に涼やかな夜風が吹いた。

 あの夜と同じ風だった。


 でも、あの夜とは……何もかもが違っていた。



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