23
動物園から帰った夜。
俺はベッドの上でずっと天井を見ていた。
胸に刺さった棘は、抜けないままだった。
目を閉じると、あの光景が浮かぶ。
肩車をされた男の子。
手を繋いだ女の子。
そしてそれを静かに目で追っていた、美咲。
……あの一瞬の横顔が、頭から離れなかった。
美咲は何も言わない。
夢の事も。
子供の事も。
……普通の家庭の事も。
全部飲み込んで俺のそばで笑っている。
保育士の夢を追いながら、介護の勉強もしてくれている。
「自分で決めた事だから」と、言いながら。
……でも、俺は知っている。
美咲が、本当に欲しいものを。
美咲が、本当はどんな未来を思い描いていたかを。
幼稚園の先生になって。
いつか、お母さんになって。
子供達に囲まれて。
そういう当たり前の幸せを、本当は求めていたはず。
……そんな幸せを、俺が奪っている事を、俺は……知っている。
* * *
考えれば考えるほど、答えは一つしかなかった。
美咲から、離れるべきだと。
そばにいてほしいと頼んだのは、俺だ。
諦めなくていいと、その手を握らせたのは、俺だ。
でも、それが間違いだった。
俺がそばにいる限り、美咲は夢を諦める。
俺がそばにいる限り、美咲は普通の幸せを掴めない。
……あいつの優しさが、あいつの人生を潰していく。
そんなの……駄目だ。
絶対に駄目だ。
でも――と、俺は思う。
どうやって離れればいい?
美咲は諦めない。
俺が離れてくれと言ったって、あの子は引かないだろう。
……あの日みたいに。
諦めないよと笑って、離してくれないだろう。
俺が退けば退くほど、美咲は踏み込んでくる。
俺も……そんな美咲を、拒めない。離したくない。
……一人じゃ、無理だ。
俺一人の力じゃ、美咲を本当の意味で幸せには出来ない。
美咲を、幸せにできる誰かが要る。
美咲の夢を応援できて。
美咲の隣をずっと一緒に歩いてくれる人。
美咲を心から……大事にできる、誰か。
……やはり、またあいつの顔が浮かんだ。
コンビニの前で、困ったように笑って「美咲が好きなんだ」と、打ち明けてくれたあの夜の顔。
俺を殴ってくれたら良かったのに、自分の腹を殴って「気付けなかった馬鹿な俺を殴った」と泣いた、あの夜の悠斗の顔だった。
* * *
……ずるい、と思う。
自分でも、最低だと思う。
美咲を離したくない、渡したくないと言いながら、その先をもう考えている。
親友に美咲を託そうとしている。
……でも、悠斗なら。
あいつなら、美咲を幸せにできる。
俺があげられないもの、全部を。
普通の日々を。
子供のいる家庭を。
……普通の幸せを。
俺はゆっくりと目を閉じ、吸い込んだ息を深く深く吐き出した。
美咲を自由にしてあげよう。
そして、悠斗に託そう。
それが、俺にできる最後の――。
……愛だと、思った。
その言葉を、心の中で初めて認めた瞬間……涙が零れた。
手放すと、ようやく決めた途端に……認めてしまった。
俺は、やっぱり美咲が好きなんだと。
どうしようもなく、好きなんだと。
……でも、もう、決めた。
好きだから、諦める。
好きだから、誰よりも幸せにしてくれる男に、託す。
……こんな愛し方しか、俺にはできなかった。
溢れ出て止まらぬ涙で濡れた頬を、動かない手で拭おうとして……やっぱり上手く、拭えなかった。




