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車椅子の生活にも少しずつ慣れてきた、ある休日の正午頃。
「動物園行こうぜ! 動物園!」
遊びに来ていた悠斗が、突然そう言い出した。
「は? なんで急に」
「いや、春樹お前最近家に籠もりがちだろ。たまには、外の空気吸わないと」
悠斗は、にっと笑った。
「それに俺、ペンギン見たい」
「子供かよ」
「お前もだろ!」
「いいねぇ! 行こうよ! 動物園!」
……結局、美咲も乗り気になって。
俺達三人は、飛び込みで動物園へ行く事になった。
* * *
車椅子での外出は、思っていたより悪くなかった。
悠斗が車椅子を押してくれて、美咲が隣を歩く。
パンフレットを広げ「次どこ行く?」なんて騒ぎながらも、しっかりと俺の事を気にかけてくれている。
その心遣いがありがたくて……温かくて、申し訳なかった。
昼間のライオンは、やっぱり寝てばかりだった。
続けて見た象は、車いすで視点が低いのもあってか、悠斗並みに大きく感じた。
……悠斗お目当てのペンギンは、確かに可愛かった。
「見ろよ春樹! 可愛すぎだろ……! よちよち歩いてる!」
「うるさい。頭上で叫ぶな」
「ひでぇ!」
「あっはは!!」
美咲が、けらけら笑っている。
……久し振りだった。
こんな風に、何も考えずに笑えるのは。
車椅子だって事も。
病気の事も。
今だけは忘れていられた気がした。
* * *
園内の休憩スペースでベンチに腰掛け、三人でソフトクリームを食べていた時だった。
悠斗が飲み物を買いに自販機を探して人混みに消えた後、俺と美咲は並んでぼんやりと、行き交う人達を眺めていた。
家族連れが多い。休日の動物園だから当たり前だ。
すぐ近くを小さな男の子が走って通り過ぎた。
「まてー!」
きゃっきゃとはしゃぎながら、全力で走っている。
その後ろから、父親が必死に追いかけてくる。
「こら、危ないぞー!」
父親は男の子をひょいと抱き上げて、そのまま肩車をした。
男の子がきゃー! と、嬉しそうな声を上げる。
その親子の歩いていく先には、男の子の母親と、手を繋いでいる小さな女の子もいた。
「ぞうさん、おっきかったねぇ」なんて話しながら、笑顔で歩いていく。
……どこにでもある、休日の家族の風景だった。
俺は何の気なしに、隣の美咲を見た。
そして……気付いてしまった。
美咲は俺と同じ親子を見ていた。
肩車をされた男の子を。
手を繋いだ、女の子を。
ソフトクリームを舐める手を止めて……目で、追っていた。
その横顔には、何の表情も浮かんでいなかった。
笑ってもいない。
泣いてもいない。
ただ、静かに……その風景を見ていた。
……まるで、自分には手の届かない、遠い場所を見るみたいに。
俺は咄嗟に目を逸らした。
見てはいけないものを見てしまった気がしていた。
「……春樹?」
美咲が、こちらを向く。
既にいつもの美咲の顔に戻っていた。
「どうしたの? ソフト、溶けてるよ?」
「あ……ああ、悪い」
慌てて溶けて垂れかけているソフトクリームを舐めた。
美咲はそんな俺の様子を見てくすっと笑って、それから何事もなかったようにまた話し始めた。
次は、どの動物を見ようか、とか。
お土産は何を買おうか、とか。
……美咲は、何も言わなかった。
さっき、自分が何を見ていたか。
その時、何を思っていたか。
何一つ口にしなかった。
いつも通り、明るく笑っていた。
……でも、俺は見てしまったのだ。
美咲が本当は、何を求めているのかを。
肩車をする父親。
手を繋ぐ母親。
子供と笑い合う家族。
……それは、俺には絶対にあげられないものだった。
車椅子の俺には。
これから、手も動かなくなる俺には。
美咲を肩車する子供の隣に立たせてやる事はできない。
美咲が欲しいもの。
美咲が本当は手に入れるべきだったもの。
それを、俺は一つもあげられない。
戻ってきた悠斗が、「お、何の話してたん?」と、缶ジュースを差し出してくる。
「別に! 次、どこ行くか考えてた所だよ~!」
美咲が明るく答える。
俺も笑って話を合わせた。
空は、よく晴れていた。
絶好の動物園日和だった。
楽しい、一日だった。
……それなのに。
胸の奥には小さな棘が刺さったまま。
その棘は、家に帰ってもずっと抜けなかった。




