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誓いのキスは手の甲に  作者: 濃厚圧縮珈琲


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 病気の事を二人に打ち明けてから、美咲は変わった。


 ……いや。

 変わった、というのは、正しくないかもしれない。


 美咲は、ずっと美咲のままだった。


 ただ、その距離が……前よりも少しずつ近くなっていった。




*   *   *




 ある日の昼休み。


 学食で親子丼の乗ったトレーを受け取ろうとすると、横から手が伸びて俺のトレーを横取りする。

 その犯人は――悠斗だ。


「おいおい、春樹の分は俺が持つから大丈夫だって!」


「い、いや……それくらい大丈夫だよ」


 

 ……最近、甘やかされてばっかりだ。



 席に着いて、俺がペットボトルの蓋を開けられずにいると、美咲がさっと手を伸ばしてきた。


「貸して!」


「あ……いや、これくらい自分で」


「いいからっ!」


 美咲は、俺の手からボトルを取り上げて、ぱきっと蓋を開ける。


「はい! 空いたよ!」


「……ありがと」




 何でもない事だった。

 昔だって、こういう事はあった。


 手がふさがってる俺の代わりに、美咲が飲み物を開けてコップに注いでくれる事もあった。

 

 でも、これは違う。

 気遣いや優しさでもあるが、これは……介護の一歩だ。

 俺が自分で蓋を開けられなくなってきている事を、美咲はちゃんと見ていた。



*   *   *



 その日の帰り道。

 二人で駅へ向かって歩いていると、美咲が空を眺めながら笑って言った。



「ねぇ、春樹」


「ん?」


「私さ、ヘルパーの資格、取ろうかなって!」



 俺は、思わず足を止めてしまった。



「……は?」


「介護のやつ。ほら、ちゃんと勉強したら春樹の事、手伝えるでしょ?」




 美咲は、明るく言った。

 まるで、サークルでも始めるみたいに。



「これから春樹、色々大変になるじゃん? だから、私がいれば――」



「いいよ」



 俺はその声を遮った。

 思ったより……冷たい声が出てしまった。



「……春樹?」


「そういうの、いいから」


 美咲の顔から、笑みが消えていく。



「……なんで?」


「……なんでって」


「私、春樹の力になりたいだけだよ?」


 

 悲しげに伏せられるその目を、俺はまっすぐに見られなかった。



*   *   *



 美咲の話は、本気だった。



 次の日も。

 その次の日も。


 美咲は、当たり前みたいに、俺の生活に入ってこようとした。


「春樹、荷物持つよ」


「いいって。リュックだから落ちないし」




「お弁当、作ってきたんだけどさ!」


「……ありがと、でも……そういうの、良いからさ」



「今日、春樹の家、行ってもいい? 掃除とか、手伝――」


「母さんがやってくれてるから、来なくていい」




 ……我ながら、最低だと思う。



 美咲は、ただ優しいだけなのに。

 その優しさを、俺は一つ残らず、撥ね除けていく。




 でも。

 一つでも受け取ってしまえば、終わりだった。


 美咲の手を借りて。

 美咲のご飯を食べて。

 美咲に部屋を掃除してもらって。


 そうやって、美咲が俺の生活に染み込んでいけば……いつか俺は、美咲無しじゃいられなくなる。

 そして美咲は、俺なしじゃいられなくなってしまう。



 それは……もう、美咲が自分の普通の人生を諦めた事になる。


 それを笑顔で選ぼうとしてる美咲に、甘えてしまいたくなる気持ちをぐっとこらえて、胸の奥底に押しとどめて、拒絶するしかなかった。


 美咲の人生をも、壊してしまうのが怖かった。



*   *   *



 ある時の帰り道。歩くのが遅い俺に合わせて、美咲もゆっくりと歩いてくれている。

 差し出してくれている手も取らず、俺は一人で歩いていた。



「……春樹さ」


 隣から聞こえるのは、いつもの明るい声じゃなかった。


「最近、私の事、避けてるよね」


「……避けてないよ」


「避けてるよ」


 美咲は、真っ直ぐに俺を見ていた。


「お弁当も。荷物も。家に行くのも。全部、駄目って言うじゃん」


「……」


「私、そんなに、邪魔?」



 違う。

 邪魔なわけがない。


 邪魔どころか、俺は――



「私さ」


 美咲の声が、震え始める。


「春樹の力になりたいだけなんだよ」

「春樹が大変な時に、隣にいたいだけなんだよ」

「……それの、何が駄目なの?」


 ぽろ、と。


 美咲の目から、涙が零れた。


「ねぇ、何が駄目なの……?」


 俺は、答えられなかった。

 駄目な理由なんて、一つしかない。



 美咲が好きだから。

 美咲を、巻き込みたくないから。



 でも、それを言ってしまえば。


 俺は、美咲を諦められなくなる。




 だからこそ……俺は一番ズルい言葉を言うしかないんだ。



「……ごめん」



 美咲は、泣きながら、俺を見ていた。


 その目には悲しみと……僅かな怒りの色があった。



「謝ってほしいんじゃないのに……!! 春樹のバカッ!!!」




 そう言って、美咲は走り去ってしまった。


 残された俺は、走って追いかける事も出来ず、ただ手を遠ざかっていく背へ伸ばし……力なく下ろすしかなかった。




 俺は、美咲を傷つけた。


 彼女を守る為に傷つけた。


 でも本当に……彼女を守る為……なのだろうか。

 本当は、自分を守りたいから……じゃないのか?


 どこまでも意地汚い自分自身に嫌気が差して、足元の石ころを思いっきり蹴っ飛ばした。


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