15
病気の事を二人に打ち明けてから、美咲は変わった。
……いや。
変わった、というのは、正しくないかもしれない。
美咲は、ずっと美咲のままだった。
ただ、その距離が……前よりも少しずつ近くなっていった。
* * *
ある日の昼休み。
学食で親子丼の乗ったトレーを受け取ろうとすると、横から手が伸びて俺のトレーを横取りする。
その犯人は――悠斗だ。
「おいおい、春樹の分は俺が持つから大丈夫だって!」
「い、いや……それくらい大丈夫だよ」
……最近、甘やかされてばっかりだ。
席に着いて、俺がペットボトルの蓋を開けられずにいると、美咲がさっと手を伸ばしてきた。
「貸して!」
「あ……いや、これくらい自分で」
「いいからっ!」
美咲は、俺の手からボトルを取り上げて、ぱきっと蓋を開ける。
「はい! 空いたよ!」
「……ありがと」
何でもない事だった。
昔だって、こういう事はあった。
手がふさがってる俺の代わりに、美咲が飲み物を開けてコップに注いでくれる事もあった。
でも、これは違う。
気遣いや優しさでもあるが、これは……介護の一歩だ。
俺が自分で蓋を開けられなくなってきている事を、美咲はちゃんと見ていた。
* * *
その日の帰り道。
二人で駅へ向かって歩いていると、美咲が空を眺めながら笑って言った。
「ねぇ、春樹」
「ん?」
「私さ、ヘルパーの資格、取ろうかなって!」
俺は、思わず足を止めてしまった。
「……は?」
「介護のやつ。ほら、ちゃんと勉強したら春樹の事、手伝えるでしょ?」
美咲は、明るく言った。
まるで、サークルでも始めるみたいに。
「これから春樹、色々大変になるじゃん? だから、私がいれば――」
「いいよ」
俺はその声を遮った。
思ったより……冷たい声が出てしまった。
「……春樹?」
「そういうの、いいから」
美咲の顔から、笑みが消えていく。
「……なんで?」
「……なんでって」
「私、春樹の力になりたいだけだよ?」
悲しげに伏せられるその目を、俺はまっすぐに見られなかった。
* * *
美咲の話は、本気だった。
次の日も。
その次の日も。
美咲は、当たり前みたいに、俺の生活に入ってこようとした。
「春樹、荷物持つよ」
「いいって。リュックだから落ちないし」
「お弁当、作ってきたんだけどさ!」
「……ありがと、でも……そういうの、良いからさ」
「今日、春樹の家、行ってもいい? 掃除とか、手伝――」
「母さんがやってくれてるから、来なくていい」
……我ながら、最低だと思う。
美咲は、ただ優しいだけなのに。
その優しさを、俺は一つ残らず、撥ね除けていく。
でも。
一つでも受け取ってしまえば、終わりだった。
美咲の手を借りて。
美咲のご飯を食べて。
美咲に部屋を掃除してもらって。
そうやって、美咲が俺の生活に染み込んでいけば……いつか俺は、美咲無しじゃいられなくなる。
そして美咲は、俺なしじゃいられなくなってしまう。
それは……もう、美咲が自分の普通の人生を諦めた事になる。
それを笑顔で選ぼうとしてる美咲に、甘えてしまいたくなる気持ちをぐっとこらえて、胸の奥底に押しとどめて、拒絶するしかなかった。
美咲の人生をも、壊してしまうのが怖かった。
* * *
ある時の帰り道。歩くのが遅い俺に合わせて、美咲もゆっくりと歩いてくれている。
差し出してくれている手も取らず、俺は一人で歩いていた。
「……春樹さ」
隣から聞こえるのは、いつもの明るい声じゃなかった。
「最近、私の事、避けてるよね」
「……避けてないよ」
「避けてるよ」
美咲は、真っ直ぐに俺を見ていた。
「お弁当も。荷物も。家に行くのも。全部、駄目って言うじゃん」
「……」
「私、そんなに、邪魔?」
違う。
邪魔なわけがない。
邪魔どころか、俺は――
「私さ」
美咲の声が、震え始める。
「春樹の力になりたいだけなんだよ」
「春樹が大変な時に、隣にいたいだけなんだよ」
「……それの、何が駄目なの?」
ぽろ、と。
美咲の目から、涙が零れた。
「ねぇ、何が駄目なの……?」
俺は、答えられなかった。
駄目な理由なんて、一つしかない。
美咲が好きだから。
美咲を、巻き込みたくないから。
でも、それを言ってしまえば。
俺は、美咲を諦められなくなる。
だからこそ……俺は一番ズルい言葉を言うしかないんだ。
「……ごめん」
美咲は、泣きながら、俺を見ていた。
その目には悲しみと……僅かな怒りの色があった。
「謝ってほしいんじゃないのに……!! 春樹のバカッ!!!」
そう言って、美咲は走り去ってしまった。
残された俺は、走って追いかける事も出来ず、ただ手を遠ざかっていく背へ伸ばし……力なく下ろすしかなかった。
俺は、美咲を傷つけた。
彼女を守る為に傷つけた。
でも本当に……彼女を守る為……なのだろうか。
本当は、自分を守りたいから……じゃないのか?
どこまでも意地汚い自分自身に嫌気が差して、足元の石ころを思いっきり蹴っ飛ばした。




