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誓いのキスは手の甲に  作者: 濃厚圧縮珈琲


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 悠斗を呼び出したのは、それから三日後の事だった。


 大学の裏手にある、小さな公園。

 昼間は子供連れで賑わうそこも、夕暮れ時には人気がなくなる。


 錆びたブランコに、俺と悠斗は並んで腰掛けた。


「で、話って?」


 悠斗が、いつもの調子で笑う。


「珍しいじゃん。春樹からこんな所に呼び出すなんてさ」


 俺は、何も言えなかった。



 言わなきゃいけないのに。

 言うために呼んだのに。

 喉が、震えて動かない。



「……春樹?」




 悠斗の声から、笑いが消えた。



 長い付き合いだ。

 あいつも、何かを察したんだと思う。



 俺は、ブランコの鎖を握りしめた。

 冷たい鉄の感触が、手のひらに食い込む。


 ……言え。



 自分に発破をかけて、深く息を吸った。


「俺さ」


「ん」


「病気なんだ。ALSっていう……正式名称は筋萎縮性側索硬化症って奴」

「身体を動かす神経が、少しずつ駄目になる病気でさ」

「……治らないんだってさ」


 言葉にする度、現実が重みを増していく。


 悠斗は、何も言わなかった。

 ただ、目を見開いたまま、俺を見ていた。


 その顔が、だんだん歪んでいく。



「……嘘だろ?」


 絞り出すような声だった。


「なぁ、冗談だろ? そうだろ!?」


「冗談だったら、良かったんだけどな」


 俺は笑おうとして……また失敗した。




*   *   *




 しばらく、悠斗は黙っていた。

 俺も、何も言わなかった。


 公園のどこかで、カラスが鳴いている。

 西の空が、ゆっくりと赤く染まっていく。


 やがて、悠斗が、掠れた声で訊いた。


「……美咲には、言ったのか?」


 俺は、ゆっくりと頷いた。


 悠斗の喉がごくりと動く。



「……そっか」


 それだけ言って、また黙り込んだ。


 だから俺は、続けた。

 言わなくてもいい事まで、続けてしまった。


「美咲に、言われたんだ」


「お前は私の半分だって」

「……お嫁さんに、なるつもりだったって」


 悠斗の肩が、びくりと跳ねた。



「でも俺、応えなかった」

「応えられるわけ、ないだろ」


「こんな身体で、美咲の人生、もらえるわけがない」




 言い切って、俺は俯いた。

 これで、全部話した。



 病気の事も。

 美咲の事も。

 俺が、美咲を諦めた事も。


 全部、悠斗に話せた。




 ――その時だった。

 

 ガシャンッ、と。

 悠斗が、勢いよくブランコから立ち上がった。


 鎖が激しく鳴る。



「……悠斗?」



 悠斗は、俺に背を向けて立っていた。

 その背中が、小刻みに震えている。


「……ずりぃよ」


「え?」


「ずりぃって、言ったんだよ……!」



 振り返った悠斗の顔を見て、俺は息を呑んだ。

 ――泣いていた。


 あの、いつも豪快に笑う悠斗が。

 くしゃくしゃの顔で、泣いていた。



「お前が病気だって聞いて……!」

「俺、最初に何考えたと思う?」


 悠斗の声が、震えている。



「可哀想とか! 何とかしてやりたいとか! そういうの、ちゃんとあったよ!!」


「……あったけどさ……ッ」


 悠斗は、自分の髪をぐしゃぐしゃに掻きむしった。


「その後にさッ!! ほんの一瞬……一瞬だけど……ッ」




 一瞬言葉が詰まりかけても、それでも悠斗は吐き出した。


 恐らく、彼が一番言いたくなかった事を。



「『じゃあ、美咲は』って!!」

「そう、思っちまったんだよ……ッ!」



 その瞬間、俺の心臓が、嫌な音を立てた。


 なぜなら。

 俺も、同じ事を考えたからだ。


 卒業写真を見た、あの夜に。

 悠斗の顔が浮かんで。

 その隣に立つ美咲を想像して。




 俺も、そう思ってしまった。

 だから俺は、悠斗を責められない。


 責められるわけが、なかった。



「最低だろ? 俺……」




 悠斗が自嘲気味に笑う。

 泣きながら、自分を責めるみたいに固く固く拳を握り込んでいた。



「親友がさ。病気だって。治らないって。そう言ってんのに」

「俺はその裏で、美咲の事、考えてたんだ」



「お前が美咲を諦めるなら」

「俺にも、チャンスがあるんじゃないかって」



 悠斗は、両手で顔を覆った。




「最低だ……!」

「最低だよ、俺……ッ!!」



 その声は、もう、嗚咽になっていた。



「お前を、親友だと思ってる」

「本気で、思ってる」

「世界で一番、大事な友達だよ!!」


 絞り出すように、悠斗は叫んだ。


「なのに!!」

「……なのに俺は……ッ」



 言葉にならない叫びが、夕暮れの公園に響いた。


 その叫びは、怒りでも、悲しみでもなかった。

 自分自身への、どうしようもない嫌悪だった。



 親友を想う気持ちと。

 一人の女を欲しがる気持ちと。



 その二つに自分の心を引き裂かれ、悠斗は叫んでいた。


 俺は、そんな悠斗を、ただ見ている事しかできなかった。



 声をかける事も。

 慰める事もできなかった。




 だって、俺も同じだったから。

 俺達は二人共、美咲を欲しがっていた。

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