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誓いのキスは手の甲に  作者: 濃厚圧縮珈琲


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 待ち合わせ場所に選んだのは、昔から何度も訪れた河川敷だった。


 高校生の頃に三人で寄り道した場所。

 受験勉強に疲れてぼんやり座っていた場所。

 どうでもいい話をして笑い合った場所。


 ……思い出が多すぎる場所だった。


 だから選んだのかもしれない。


 終わるなら、ここが良いと思ったから。


*   *   *


 夕焼けに染まる川辺。


 吹き抜ける風が少しだけ冷たい。


 俺は先に着いていた。


 ベンチへ腰掛け、何度もスマホの画面を見ては消す。


 落ち着かない。


 逃げ出したい。


 今からでも全部なかった事にしたい。


 そんな事ばかり考えていた。


「春樹!」


 聞き慣れた声に顔を上げる。


 美咲だった。

 少し早足でこちらへ向かってくる。


 その姿を見た瞬間に胸が痛くなった。


「ごめん! 待った?」


「いや、全然。大丈夫だよ」

 

「そっか……へへ」


 美咲は俺の隣へ座る。


 少しだけ距離が近い。

 昔からそうだったが、今日は……その距離がやけに意識された。


「で?」


 美咲が笑う。


「何の話かな? 大事な話だよね?」


 冗談めかした声だった。

 でも、少しだけ緊張しているのが分かる。


 長い付き合いなんだ。これくらい考えなくても分かる。


 きっと、何かを期待している。


 その事実が苦しかった。


「あ、ちょっとタンマ!! 心の準備するから!!」


 美咲は顔を背けて、鏡で前髪やメイクを確認し、すぐにまた俺へと向き直る。


「お待たせっ! いつでもいいよ!」



 ……その期待に応えたい。

 きっと、美咲は俺と同じ気持ちでいる。今すぐ美咲を抱きしめたい。キスしたい……。


 でも……。



「……春樹?」


 様子がおかしい事に気付いたのか、美咲の顔に不安さが浮かぶ。


「……ああ」


 息を吸おうとしても、上手く吸えない。

 喉が潰されてぺったり張り付いたみたいだった。


「俺さ」


 声が震える。


「病気に、なっちゃったんだよね」


 美咲の表情が止まった。


「……え?」


「ALSって病気らしい」


「えーえる……えす?」


「筋萎縮性側索硬化症」


 言葉にするだけで現実味が増す。

 自分で言っておきながら吐きそうだった。


「身体を動かす神経が少しずつ駄目になる病気なんだって」


 沈黙。

 

 流れる川のせせらぎと、吹き抜ける風の音だけが妙に大きく聞こえる。



「……待って」


 美咲が小さく首を振る。


「ごめん。ちょっと待って」


 理解が追いついていない顔だった。


「それって、治るんだよね?」


 俺は答えられなかった。


 答えられない代わりに……ゆっくり首を横へ振った。



 その瞬間、美咲の顔から血の気が引いた。


「……嘘」


 掠れた声。


「だって……そんな……春樹だよ!?」


 意味の分からない言葉だった。

 でもその言葉の意味が分かってしまった。


 俺だってそう思っていた。

 病気になるのはテレビの向こうの誰かで。

 ニュースの向こうの誰かで。


 自分じゃないと思っていた。


「進行性なんだって」


 声が震える。


「今はまだ普通に歩けるけど……。少しずつ、身体が動かなくなるらしい」


 言葉にする度に胸が裂けそうになる。


「やめて!」


 美咲が叫ぶように吐き出す。


「そんなの、やめてよ……」


 ぽろりと涙が落ちた。


 一粒。

 また一粒。

 

 気合いを入れてしてきてくれた化粧が、とけて流れていく。


「……なんで」


 震える声。


「なんで春樹なの……」


 その言葉に俺は何も答えられなかった。


 知りたかったのは俺の方だったから。


 なんで俺なんだ。


 なんで今なんだ。


 なんで。


 ようやく好きだと気付いたのに。

 ようやく未来を考え始めたのに。


 なんで。


 何一つ答えなんてなかった。


 夕陽がゆっくりと沈んでいく。


 川面が赤く染まり、蒼く、黒くなっていく。



 長い沈黙が続いた。

 

 やがて美咲が小さな声で呟いた。


「……酷いよ、神様」


 泣き腫らした声だった。


 責める訳でも怒鳴る訳でもない。


 ただ……どうしようもなく悲しそうだった。


 俺はどうする事も出来ない。


 本当はどうすれば良いかなんて、最初から分かっていた。

 でも、言ってしまえば、全部が変わってしまう気がしたから。


 だから俺は、ただ黙ったまま、沈んでいく夕陽を見つめる事しかできなかった。

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