10
待ち合わせ場所に選んだのは、昔から何度も訪れた河川敷だった。
高校生の頃に三人で寄り道した場所。
受験勉強に疲れてぼんやり座っていた場所。
どうでもいい話をして笑い合った場所。
……思い出が多すぎる場所だった。
だから選んだのかもしれない。
終わるなら、ここが良いと思ったから。
* * *
夕焼けに染まる川辺。
吹き抜ける風が少しだけ冷たい。
俺は先に着いていた。
ベンチへ腰掛け、何度もスマホの画面を見ては消す。
落ち着かない。
逃げ出したい。
今からでも全部なかった事にしたい。
そんな事ばかり考えていた。
「春樹!」
聞き慣れた声に顔を上げる。
美咲だった。
少し早足でこちらへ向かってくる。
その姿を見た瞬間に胸が痛くなった。
「ごめん! 待った?」
「いや、全然。大丈夫だよ」
「そっか……へへ」
美咲は俺の隣へ座る。
少しだけ距離が近い。
昔からそうだったが、今日は……その距離がやけに意識された。
「で?」
美咲が笑う。
「何の話かな? 大事な話だよね?」
冗談めかした声だった。
でも、少しだけ緊張しているのが分かる。
長い付き合いなんだ。これくらい考えなくても分かる。
きっと、何かを期待している。
その事実が苦しかった。
「あ、ちょっとタンマ!! 心の準備するから!!」
美咲は顔を背けて、鏡で前髪やメイクを確認し、すぐにまた俺へと向き直る。
「お待たせっ! いつでもいいよ!」
……その期待に応えたい。
きっと、美咲は俺と同じ気持ちでいる。今すぐ美咲を抱きしめたい。キスしたい……。
でも……。
「……春樹?」
様子がおかしい事に気付いたのか、美咲の顔に不安さが浮かぶ。
「……ああ」
息を吸おうとしても、上手く吸えない。
喉が潰されてぺったり張り付いたみたいだった。
「俺さ」
声が震える。
「病気に、なっちゃったんだよね」
美咲の表情が止まった。
「……え?」
「ALSって病気らしい」
「えーえる……えす?」
「筋萎縮性側索硬化症」
言葉にするだけで現実味が増す。
自分で言っておきながら吐きそうだった。
「身体を動かす神経が少しずつ駄目になる病気なんだって」
沈黙。
流れる川のせせらぎと、吹き抜ける風の音だけが妙に大きく聞こえる。
「……待って」
美咲が小さく首を振る。
「ごめん。ちょっと待って」
理解が追いついていない顔だった。
「それって、治るんだよね?」
俺は答えられなかった。
答えられない代わりに……ゆっくり首を横へ振った。
その瞬間、美咲の顔から血の気が引いた。
「……嘘」
掠れた声。
「だって……そんな……春樹だよ!?」
意味の分からない言葉だった。
でもその言葉の意味が分かってしまった。
俺だってそう思っていた。
病気になるのはテレビの向こうの誰かで。
ニュースの向こうの誰かで。
自分じゃないと思っていた。
「進行性なんだって」
声が震える。
「今はまだ普通に歩けるけど……。少しずつ、身体が動かなくなるらしい」
言葉にする度に胸が裂けそうになる。
「やめて!」
美咲が叫ぶように吐き出す。
「そんなの、やめてよ……」
ぽろりと涙が落ちた。
一粒。
また一粒。
気合いを入れてしてきてくれた化粧が、とけて流れていく。
「……なんで」
震える声。
「なんで春樹なの……」
その言葉に俺は何も答えられなかった。
知りたかったのは俺の方だったから。
なんで俺なんだ。
なんで今なんだ。
なんで。
ようやく好きだと気付いたのに。
ようやく未来を考え始めたのに。
なんで。
何一つ答えなんてなかった。
夕陽がゆっくりと沈んでいく。
川面が赤く染まり、蒼く、黒くなっていく。
長い沈黙が続いた。
やがて美咲が小さな声で呟いた。
「……酷いよ、神様」
泣き腫らした声だった。
責める訳でも怒鳴る訳でもない。
ただ……どうしようもなく悲しそうだった。
俺はどうする事も出来ない。
本当はどうすれば良いかなんて、最初から分かっていた。
でも、言ってしまえば、全部が変わってしまう気がしたから。
だから俺は、ただ黙ったまま、沈んでいく夕陽を見つめる事しかできなかった。




