第二十九話 深淵を見た者
マリス→フランドール視点
「ほら! 早く走って!」
「ひぃ、ひぃぃ」
『!?』
平和だった城砦生活は呆気なく幕を閉じる。
突如として現れた巨大な触手やスライム、名状し難い怪物たちが城砦を襲い、瞬く間に破壊し尽くしていく。
『あ、あ……』
マリスはフランドールの視界を介してその怪物たちを見て恐怖に凍りつく。
決して勝てないと一目で理解させられる怪物を前に人々が飲み込まれていく中、姫君を連れたフランドールはかつて姫君を泣かせた高機動アトラクションのトロッコに押し込む。
「エルナ様、これに乗ってふもとまで逃げてください」
「わ、わかった。じゃあ一緒に……」
手を伸ばす姫君にフランドールは首を振って軽い口調で言う。
「あ、ごめんなさい。これ一人用で二人乗ると脱線するかもしれないんですよ」
「……前に二人で乗ったよね!? やだこんな時にそんな怖すぎるカミングアウトって、ぎぃえええぇぇ!?」
全く飾る気のない別れの言葉と共に姫君を射出させたフランドールは城砦の最上部から眼下で暴れる怪物の様子を観察する。
「……数を競ってる? あ、これ遊んでるのかな?」
地獄の様な光景を前にフランドールはポツリとそんな事を口にすると炎上する城砦内を駆ける。
厨房を抜ける際に手にしたお玉を握りしめて真っ直ぐ怪物たちに向かって走っていく。
『バカ止めろ! 逃げろって!』
マリスは必死にフランドールに呼びかける。
いや、現代までフランドールは生きているのだからここで死なないというのはわかる。わかっていてなおマリスの精神は目の前にいる怪物を前に完全に萎縮していた。
断崖絶壁を覗き込めば身がすくむように、死への危機感というものは生物なら必ず持ち得る。
マリスにもし実体があればあらゆるものを垂れ流して逃げるだろう。だが意識が根付いた暴走特急は全く恐れず突き進む。
『止まってぇ! お願いだからさぁ!? やだぁ! そっち行くなよぉ!』
半狂乱に泣きじゃくってマリスはフランドールに向かって叫ぶ。
目の前に待ち構えている存在を、マリスは正しく認識出来ない。
見てはならない。どこまでも深く底のない闇そのもの。
そんな怪物……いや、そんな言葉も生温い存在が、フランドールを通してマリスを見る。
『っへ、ぁァ!?』
べキリとマリスの意識の何かが折れる。
これはあくまで逆鏡によるフランドールの過去の追体験。
未来にいるマリスそのものに干渉出来るはずもない。
だが、マリスは確かに意識に干渉してくる何かによって今まさに死を迎えようとしている。
『だ、だすけて! 死にたくない! しにたくない!! だれか助けて!!』
ぐちゃぐちゃになる。意識が、魂が、激痛と共にマリスという存在が潰されてなくなる。
そんなマリスの意識の断片がフランドールの声を拾う。
「ちょっとまったぁ! 一方的過ぎる! ゲームをするならもっとマトモに勝負してください! 大人気ない! ズル! 卑怯者! こっち見てください!」
その言葉にマリスに向けられていた力が、視線がフランドールに向けられ、マリスは消えかけていた意識をかろうじて留める。
『ふ、フラ……ン』
それ以降マリスはフランドールが何を言ったかはわからない。
ただ一つわかったのはマリスの意識が眠りにつく直前、フランドールは悍ましい死の体験に晒されたという事だけだ。
◼︎
マリスの意識が再び覚醒する。
目の前には腹に穴を開けた男にポーションを流し込む光景。
その光景が何やら懐かしいと思い出した辺りで徐々に記憶が蘇る。
「とにかく、私の要件を優先させてもらえないかなぁ?」
目の前にいる美少女がそんな事を口にする。
ズキリとマリスの意識に痛みが走る。
この、アホを、止めろ。
マリスの中に湧き出す憎悪が目の前でさも思い通りに事が進んでいると勘違いしているバカに向けられる。
止めろ、その鏡をコッチに向けるな。
「フランドール、貴女の過去をもらうわ。そしてこれからは私が貴女になってあげる」
そんな死をも恐れない大馬鹿発言にマリスの意識がブチ切れる。
『クソ馬鹿野郎が! 止めろテメェブッ殺すぞクソが!! 止めろ止めろ止めろ止めろ!』
割れた鏡が目の前にいる大馬鹿野郎と全く同じ姿をした美少女、フランドールに向けられる。
そして閃光が鏡から放たれた瞬間、マリスの意識は暗転し、逆鏡を手にした視界に戻る。
「……」
マリスは自らの意識が肉体に戻ったと悟る。
脈打つ心臓の鼓動は恐ろしく早まり胸が痛い。
険悪な仲だった城砦の人間たちが襲われ失っていく悲嘆、姫君を逃して自分だけ残ったあの絶望感、あくまで追体験でしかないはずなのに言いようのない激情がマリスの中を駆け巡る。
「ブッ殺してやるこのクソ馬鹿野郎!!」
そう叫んでマリスはその尻尾を振りかざした。
◼︎
「ブッ殺してやるこのクソ馬鹿野郎!!」
「えっ!?」
なんだかボロっちい鏡がピカーっと光ったと思ったらマリスと名乗った私の姿をした人がいきなりブチ切れた。
何がそんなに腹が立ったというのだろうか?
ビュン、と空を切る音と共にマリスさんの尻尾が自らの顔面に向かって振り下ろされる。
「はぁっ!?」
めちゃくちゃ痛そうな一撃を自分目掛けて放ったマリスさんに私は咄嗟に足を蹴り出して後方に吹っ飛ばす。
マリスさんの尻尾は空振りし、本部の内壁をブチ破ってしまう。
「あの、どうしたんですか急に!?」
私になるとか言った瞬間自傷行為を始めるというのはどういう事だろうか?
確かに残業が煮詰まるとつい頭を机にぶつけたりするけどさ。
「うるさい! うぅ、あぁぁ」
な、なんか泣き出した!? マリスさんの中の私ちょっと情緒不安定過ぎやしないか?
し、しかし泣き顔の私ちょっと美少女過ぎないかな? こんな顔で泣き落としされたらつい許してしまいそうになる。なんで泣いてるのかはさっぱりわからないからちょっと怖いけど。
「なんで、なんであの子と逃げなかったんだよぉ」
「……? ああ、過去を貰うってそういう」
マリスさんが落っことした鏡を手に取る。
多分この鏡は相手の過去を映すのだろう。逃げ出す場面は多々あれど、誰かと一緒に逃げるといったらエルナ様くらいだったはず。という事は相当過去に遡ったらしい。
「いや、二人で乗ったら多分死んでましたし。二人とも生き残れる可能性が高い方を選んだだけです」
「あんな化け物共に向かって生き残れるって考えられるとか頭どうなってんだよぉ!」
「いや、自由落下という無慈悲な死よりワンチャン会話が出来そうな死の方が確率高いでしょう?」
実際こうして私は元気にしてる訳だし。
「いやおかしいから! アレに向かうなんて……あ、あっ! あぁアァァああぁあァ!?」
ひえっ、なんか叫び出した。
私の姿であんまり私らしからぬ行動を見てるとちょっと違和感がすごい。
いや、セレナちゃんと残業してた時は二人で似た様な叫び声を上げた時もあったっけ? 二人揃って数字一桁間違えてえらい事になったんだっけ……うっ、負の記憶が甦る。
これもマリスさんに見られていたのだろうか? 恥ずかし過ぎる。
「ひぃっ! 見てる! アレがコッチ見てるぅ!?」
「落ち着いてください、別に誰もいませんよ? ちょっ、暴れないでくださっ……おりゃぁっ!」
「へぎゃぁっ!?」
無数の尻尾が暴れ狂う中を駆け抜けてマリスさんを蹴り飛ばす。
尻尾があること以外はほとんど私そっくりだからちょっと抵抗はあったが自分でも驚くくらい綺麗に意識を刈り取ったらしい。
マリスさんはそのまま地に伏せピクリとも動かなくなる。いや、僅かに尻尾が痙攣してるっぽい。
「それにしても急にどうしたんでしょうか……?」
ツンツンとマリスさんの頬を突く。しかし気を失った姿も儚げで綺麗だ。よからぬ人に見つかったら襲われかねない。
「……マリスさんを引き渡したら面倒な事になりそうですし、彼女には逃げた事にしてもらいますか」
マリスさんを抱き起こし、私は懐から赤い筒を取り出しマリスさんが開けた壁の穴から外に目掛けて着火した赤い筒を投げて外にいる二人に合図を送った。
深淵を覗く時、深淵もまた覗いているのだ。




