第二十八話 過去体験
マリス視点
マリスにとって過去は思い出したくもない地獄だった。
半魔として生まれた彼女に安寧の地は無く、ただ生きることに必死だった。
そんなマリスと違い、フランドールはさぞや幸せな日々を過ごしたんだとマリスは確信していた。
でなければあんな風にはならないだろうから。
「おい新入り! お前がコッチで働きたいって言ったんだろ! サボるな!」
「違います! これはサボりではなくきゅーけーです!」
「口答えするな!」
「あだっ!?」
『いっでぇ!?』
脳天を貫く一撃にマリスは目をチカチカさせる。
目の前には岩を削り出して作ったかのような厳つい男がその手でマリスを持ち上げる。
『何? 何? 何!?』
マリスは辺りを見ようとするが視界は一向に動かない。それも当然であった。その身体はマリスのものではないのだ。
「奴隷の分際で時間外労働するから金をくれって言ったのはお前だ! いいからさっさと」
「いや、だから言われたおしごとはおわりました。だからきゅーけーしてたんです。ダメなら他のおしごとください」
「な、なに?」
『いてっ』
落っことされた身体の中に根付いたマリスの意識に再び痛みが走る中、男が奥の部屋に入っていくのを見ながらマリスは冷や汗を流す。
『待って? 追体験って感覚も全部?』
てっきり過去を優雅に覗き見するだけと思っていたのに……そういえば身体がやけに重たい。
マリスは山中で襲いかかって来たドラゴンと三日三晩戦った後のような疲労感を感じていると男がなんとも言い難い表情で戻ってきた。
「おこる前にちゃんとかくにんしてください。もしかしておつかれですか班長? 最近寝てます?」
『なんでちょっと煽んの!? あいたっ!』
また殴られた。痛い。
勝手に動く口をなんとか塞げないかマリスは身体を動かそうとするも、あくまで意識が根付いただけのマリスにはどうしようもない。
「ったく、次はコッチだ」
首からジャラリと垂れた重々しい鎖をヒュンヒュンと振り回して班長と呼ばれた男についていく。ふ、ふてぶていしい。なんだコイツ。
「朝までにここの掃除を済ませておけ」
「はい!」
『はい! じゃねぇ! きっったな!』
山暮らしが長かったマリスから見ても酷い衛生状態のトイレが並ぶ。幸い嗅覚の共有はなかったのが幸いだが、もう見た目から酷い。
「よし、やるか」
何故かノリノリな身体の主が便器に顔を覗き込ませるとその水面に黒髪に金眼の少女が映る。
かなり幼いがマリスが見間違いはずもない。それはフランドールだった。
もしかしたら別人の過去に入り込んだかもしれないという可能性は砕け散る。
『待って、ちょっと待って?』
こうしてマリスの想像に反した過酷な重労働生活が幕を開けてしまった。
◼︎
フランドール・ファイナンスのどこか気の抜けた応対や他人への馴れ馴れしさは幼少から愛され何不自由なく暮らしていたからこそ、そういった人格が形成されていたと思っていたマリスはフランドールの過去の追体験三日目にして早くも悟る。
コイツは、最初からおかしい。
マリスは半魔故に魔人からも人間からも迫害されて来たからこそどちらも憎んでいるが、フランドールもまた人から人扱いされない幼少期を送っていた。
いわゆる奴隷階級である。
何故そんな扱いになったのかまでは、そこまでは何故か逆行出来なかったからわからないが、少なくとも物心ついた頃には今みたいな扱いなのは間違いない。
「おはようございます! あだっ?」
『いでっ!』
だがフランドールはその時からフランドールだった。
山岳地帯に建造中の城砦で働く彼女は何百人といる奴隷階級の中では異質な存在というか労働に楽しみを見出す変態である。
「おはようございます! あだっ!」
『いだっ!』
そんなフランドールは城砦にいる自分たちの上の人間たちに会えば必ず挨拶をしては殴られていた。
相手からすれば奴隷が馴れ馴れしく話しかけてくる事が我慢ならないんだろう。バカスカ殴られて頭がパァになってしまいそうだ。
毎日懲りずに挨拶を繰り返すからマリスはフランドールの頭はとっくにおかしくなったのではないかと疑っていたがこれがフランドールなりの人間観察なのだと気付く。
挨拶という行為に対し、殴る蹴る、無視する、一瞥する、軽く反応を返すなど。
人によって返してくる反応から話が出来そうな人間を見出しているのだ。
奴隷と言えど同じ人間。繰り返し話しかけられれば情も湧くだろう。
最初は無視していた人間や殴ってきた人間もぶっきらぼうながら反応を返し始めたらさらにフランドールは踏み込んでいく。
彼らの道具の手入れを時間外でも行い、配給の食事をこっそり盛ったりとチマチマと媚びを押し付けていた。
マリスから見てもフランドールへの扱いが段々とマシになっていくのがよくわかった。
だが……。
『きっっつい!』
意識だけのマリスは無いはずの手足がパンパンに腫れているのではないかと思うほどの異常なまでの疲労感。
ほとんど眠らず活動を続けるフランドールに巻き込まれてたマリスの意識はあまりの苦痛に音をあげていた。
『や、休みたい……ね、寝ようよ』
奴隷階級でありながら城砦内部の生活区にまで入る事を許されたフランドールはそんなマリスの懇願なんて聞こえる筈もなく、一部屋一部屋丁寧に掃除洗濯をして回っている。
そんなの別に頼まれてないよね?
「おい、いつまでやってる。とっとと寝ろ!」
『そーだ! そーだ!』
床を拭いていたフランドールに向かって叫んでいたのはあの班長と呼ばれていた男だった。
あれだけサボるななんて言っていた男から寝ろという言葉がでるなんて本当に働き過ぎである。
「え、じゃあおことばにあまえて」
「おい」
道具を片したフランドールはそのまま班長のベッドに潜り込んでいく。また殴られるよ?
しかしマリスの予想に反して叩き起こされる事はなく、その瞼が閉じられても拳骨も罵声も飛んでは来なかった。
『あ……?』
マリスを包む異様なまでの至福感。フランドールの睡眠に引きずられるようにマリスの意識は深い闇の中へと落ちていく。
◼︎
『……えっ?』
次にマリスが目を覚ました時、その目を疑った。
城砦を囲む外壁はまだまだ未完成だったはずなのにほとんど完成していたのだ。
『えっ、なんで?』
マリスは困惑する。
フランドールの睡眠に引きずられるようにして意識を眠らせたマリスはフランドールが起きたら合わせて目を覚ますと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「おい、早く来い」
「はい!」
『……?』
マリスの視界にはあの班長と呼ばれた男。しかしそこ身なりは随分としっかりとした仕立ての服になっているし、城砦内部はマリスが見た荒れた内装から随分と綺麗になっていた。
木製の引き戸を開き、中に入るとそこにはマリスも見た事のない内装が広がっており、僅かな草木の香りがする床材はなんとも気分を落ち着かせてくれる。
「姫様、今日より身の回りの世話役を務める者をお連れしました」
「ふむ」
上座に座る雅な衣装に身を包む姫と呼ばれた金髪碧眼の少女がこちらを見る。
「お主、名は?」
「はっ、実はこの者は名が無く……」
姫の問いに班長が返す。
「名が無い?」
『そうなの?』
「はい、できれば父か母に名を付けてもらいたいと聞かず……両親が亡くなっているなら諦めると申しておりまして」
「ほう……」
「そこで、姫様が滞在される間世話役をしっかり務めたら両親を探しに行く暇が欲しいと」
「ふーん……」
身なりの良さからかなり高位の位にいる人物に見受けられる姫の世話役になんてどう転んだら奴隷階級だったフランドールが抜擢されるのだろうか?
マリスの意識が無い間にどう成り上がったのだろうか? 肝心なところを見落とした気がする。
「まあよいわ。名無しの女、妾の事はエルナと呼ぶが良い」
「はい! エルナ様!」
結局フランドールは名無しのままエルナと名乗った姫君の世話役となった。
はっきり言ってこの姫君、見た目に反して超が付くワガママ娘である。
これまで付いていた従者や世話役が軒並み精神を病んで退職しているらしく、おそらく城砦の人間たちはそんな厄介な存在の相手としてフランドールをぶつけたのである。
そしてその手は効果覿面であった。
「ねぇ!? これ本当に大丈夫? 本当に大丈夫!?」
「いけます! ゴー!」
「ぎぃえぇぇぇぇ!?」
城砦内で退屈だと騒ぎ立てる姫君を城砦と鉱山を繋ぐ資源運搬用のトロッコを改造して作ったフランドール謹製の山あり谷ありの高機動アトラクションに押し込んでほとんど臨死体験をさせたり、冒険と消して城砦外の探検に乗り出し見つけたドラゴンの巣に姫君を連れて突撃したり、職場体験と称して姫君を城砦建設の場にツルハシを持たせて参戦したりとめちゃくちゃである。
最初こそフランドールにキレまくっていた姫君も日を追う毎にその勢いを失い、フランドールの無茶振りに慣れ始めた頃にはすっかりフランドールの舎弟みたいになっていた。
主従逆転してどうする。
とはいえマリスは最初の地獄に比べたら大分マシになって来た生活に精神を落ち着かせると同時に自分とフランドールの差に少し思い悩む。
ある意味自分より酷い有り様だったフランドールはその行動で地位を大きく変えていた。一方でマリスはそういった努力を果たしてやったと言えるだろうか?
フランドールが自ら勝ち取った生活を追体験しながらマリスはそんな自らの過去を振り返ろうとした時、フランドールの生活は再び地獄へとその様相を変えた。
異形なる怪物たちが、突如城砦に襲いかかったのである。
ダイジェスト過去回想(他人視点)




