第十八話 卑劣な一手
シュピール視点
深淵……それはかつて世界を震撼させた魔王軍の八割を崩壊させ、史上最強だった魔王が滅びる要因となった魔人によって結成された組織の名前である。
深淵に属する魔人は誰もが魔王を名乗ってもおかしくない強者と狂人によって構成され、彼らを纏める盟主はもはやその力の底すら見えない……まさに深淵を冠するに相応しい怪物であった。
魔王軍崩壊以降、彼らが台頭し世界征服もしくは世界を滅ぼしに掛かると誰もが恐れ慄く中、深淵はパッタリとその姿を消してしまう。
それから幾星霜の時を経て、再び表舞台に姿を表すことになる。
盟主代行という、組織の規模に反してあまりにもちっぽけな人間を筆頭にして。
シュピールは深淵の盟主代行を名乗るフランドールが口にした言葉の意味を飲み込んだ時、再び理解が追いつかなくなる。
フランドールの姿をジロジロと見るが、どこからどう見てもただの人間だ。
人間に対して理解と興味を持つ分、彼女が並外れた美少女だという事はわかる。だがそれだけだ。
深淵を率いる人物とは到底思えない。
(ボクは何か試されているのか?)
そんな考えが頭をよぎる。
何らかの魔法によって認識の阻害や催眠などを受けている? シュピールは自らの身を守る魔法やアイテムに意識を向けるが何のノイズも走らない。
今、目の前にいるのはやはり人間だ。
(どう応じるべきだ?)
彼女を盟主代行と認めて傅くべきか、魔王からも恐れられる深淵の盟主の名を語るゴミとして処分するか?
もし仮に彼女が名を語る偽者だとしたらそんな者を盟主代行と認めた瞬間本物の盟主が現れそんなゴミと余を見紛うとは何事か、と殺されたって不思議ではない。
しかしアカシャやクラーケとのやり取りを見れば顔見知りには違いない。
(深淵が飼っている人間……?)
魔人から見ればほとんどの人間は取るに足らない存在だ。だが目の前の人間はその見目麗しさから手元に置きたいという魔人はいるだろう。
何ならシュピールだって彼女が野良なら首輪に繋いで飼ってやりたいと思う。
シュピールはまずは様子見とフランドールが差し出した手を握り、しめる。
「…………」
無数の枝が折れるような音が鈍く鳴り、フランドールの指があらぬ方向に曲がる。多少の防御魔法を展開していたようだがシュピールの力には耐えられない程度。
つまり無いも同然だ。
これで彼女が何の力もない事ははっきりした……と、同時にシュピールは目の前の人間がどこかおかしいと気づく。
(何だコイツ……?)
握手のために差し出した手を握り潰されたというのに悲鳴はおろか表情すら変えない……笑顔のままだ。
「よろしかったらお名前を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「……シュピールだ」
声もまるで震えておらず、先ほどとなんら変わらない。
「ああ、ノクスさんからお話を伺った事がありました。お会い出来て光栄ですシュピール様」
手を握り潰されたまま恭しく礼をするその所作はシュピールから見ても文句のつけようが無い美しい動きだった。
シュピールがその手を離すとフランドールは何事もなかったかのように他の魔人たちに振り返る。ただその手を僅かに隠すようにして。
(怪我を隠す……連中には見られたくないって事か?)
シュピールはフランドールの動きをそのまま観察するが特に魔法を使って治す様子もない。
そこでシュピールはフランドールが他の連中にこの程度で潰される脆弱さを隠そうとしていると思い至る。
おそらく深淵の名を出した事で他の連中は彼女を試そうとはしなかったのだろう。
「ところで他の方々はまだいらっしゃらないのでしょうか? 遅刻はいけませんね」
(じ、自分を棚に上げるな)
シュピールは万が一にも遅刻しないように前日から待機していた事が恥ずかしくなる。こんな雑魚にすら舐められているのでは他の魔人の格も知れるというものだ。
「他の者は欠席だよ。ラキスのせいでね」
「ラキスさんが?」
「ああ、彼女が忽然と姿を消したもんだからみんなびびって自領に引きこもっているよ。今下手に王剣を手に入れたりしたら目を付けられるかもしれないからね」
ノクスの言葉にフランドールがなるほど、と何か納得している。
「厄災会議出席者同士の争いは御法度ですからね……ラキスさんが参加を断ったのも今回王剣を手にした人に難癖付けて襲う気かも……」
チラリとフランドールがシュピールを見る。出来れば考えたくもない話だがここでビビっていては魔王など名乗れない。
「仮に王剣を手に入れてから襲われたら返り討ちにしてやるさ」
「流石ですね……でも本当に大丈夫ですか? ラキスさん多分この街に来てますよ?」
「は?」
シュピールだけでなく、アカシャやノクスまでそんな声を上げる。
「さっき別の場所で冒険者ギルドのお偉いさん達にクレームをつけに来た魔人がいたらしいんですよ……何人かそんな事しそうな人は思い当たったんですけど今の話を聞いて確信しました」
「あー、まあやりそうではある」
不快を買ったら手が出る魔人は数多くいれども、わざわざクレームをつけに行くというのはラキスらしいというのがノクスの談だった。
「それじゃあ早いとこ済ませてしまおうか。ワタシも王剣無しであの娘とは会いたくないよ」
アカシャがその無機質な声で会議を進めるよう促す。結局フランドールの遅刻の件は有耶無耶になっているようだ。
「持って来たら良かったじゃないですか」
「王剣が集まったら碌なことにならないからね。クラーケだって今日は手ぶらだろう?」
「手ぶら? あれ? クラーケさん美味しい海鮮は?」
美味しい海鮮という単語にシュピールは巻物に書かれたあの暗号か何らかの比喩と思っていた文字がまさかの文字通りという意味だと知り、フランドールに目をやる。
触手を引っ張ってる……正気かコイツ? 深海の王に魚釣って来いって頼んだって事?
「いいから進めろォ」
「アイサー、えーとそれじゃあ王剣争奪戦はシュピール様の不戦勝という事ですか? 色々用意して来たのに」
ゴソゴソと鞄を漁ってテーブルに次々と珍妙なものからシュピールも見慣れたものまで並べられる。
「それはなんだい? その、線を引いてある羊皮紙は」
「あみだくじと呼ばれる公平公正なくじ引きです。この王冠マークに繋がった線を当てた人に王剣をプレゼント、って考えてたんですけど」
「運否天賦で所有者を決める気だったと……!?」
アカシャの無機質な声が震える。
「大事じゃないですか運否天賦。特に王剣なんて見つけるのも運、自分に合った能力かどうかも運ですし」
「……」
これに対してアカシャが押し黙る。
実際フランドールの言う通りで、見つけた王剣が自らの特性に即した能力を秘めているかは外見から判断が出来ない。
しかも一度王剣を手にすると他の王剣に切り替える事は難しい。
そんな事をすると元々所有していた王剣が所有者に牙を剥く。
「それで、王剣はどちらに? まさかこの街にあるから獲りに行くって訳じゃないですよね?」
「ああ、その通りだよ……知っててこの場所を選んだんじゃないのかい?」
ノクスの言葉にフランドールが笑顔を見せる。
「……ええ、もちろんです。ただ何処にあるかまではわからなくて」
「あの塔……確か調和の塔だったかな? あのイかれた建物から王剣の気配が漂っているのを感じるだろう?」
「……なるほど?」
「キミ全然ピンと来てないだろ……まあとにかく人間の手に王剣があるのは不本意だ。とはいえワタシたちが獲りに行けば間違いなく王剣の所有権を得てしまう。だからまだ持っていない魔人たちに声をかけたのさ」
フランドールがうんうんと頷く。
アカシャたちのような強大な魔人であれば王剣は手にしただけで所有者と認める。
そうなれば彼らがすでに持っている王剣と反発し、最悪両方を失いかねない。
別の王剣の気配が残っているだけでも危険だからアカシャたちはあの塔に近づく事すら躊躇っているのが実情だ。
「わかりました! じゃあ王剣の回収という大役に私も立候補します」
「はぁ?」
これにはシュピールも声を上げる。何を言ってるんだコイツは?
「シュピール様、早い者勝ちという事でいかがでしょうか?」
「いや認める訳ないだろ」
仮にこの話に乗ったとして、シュピールが調和の塔に近づけば間違いなく人間たちに気づかれる。負ける気はサラサラないがそれでも足止めくらいはされるだろう。
一方でフランドールは人間だ。調和の塔に近づいたところで怪しまれないし外でシュピールが暴れている隙を突けば内部への侵入も容易な筈だ。
厄災会議の出席者に危害は加えられない以上、シュピールが直接フランドールを止める事も出来ない。
自分にめちゃくちゃ有利な勝負をさも平然と提案してくるあたりフランドールの姑息さにシュピールは眉を顰める。
「それでは何で勝敗をつけましょうか?」
どうやら王剣を手に入れる事からは一切引く気がないフランドールに対し、シュピールはどうするか考える。
力ずくなら勝負にもならないが、それを受けるはずもない。
そこでふとフランドールが先ほどテーブルに並べた品々からシュピールもよく知るゲームがある事を思い出す。
「それで決着をつけるのはどうだい?」
「こちらですか?」
フランドールが手にしたのはシュピールが得意とする盤上遊戯だった。
人間が生み出す娯楽や遊戯は意外と魔人にも広まるケースは多く、盤上遊戯もその一つだ。
そしてシュピールはこのゲームで負けた事がない。
「構いませんよ」
そう言いながらフランドールが駒を並べ始める。
「何コレどんな仕掛けがあるの?」
「別に仕掛けなんてありませんよ? 互いのキングを先に取ったら勝ちっていう単純なゲームです」
「これ?」
「ええ」
ノクスが王冠を被ったキングの駒を指差し、フランドールが拝呈の意を示す。
単純なゲームという物言いにシュピールが口を挟もうとしたらフランドールが口を開く。
「あ、シュピール様。せっかくですし他にも何か賭けませんか?」
不意にフランドールがそんな提案をしてくる。
それに対してシュピールは内心ほくそ笑む。勝てると思っているなら大した驕りだ。
「構わないよ、何を賭ける?」
「そうですね……シュピール様は何か欲しいものはありますか?」
「ボクかい? そうだな……ならキミをもらおうか」
「……私ですか?」
深淵の盟主代行なんてどこまで本当かはわからないが、姑息な性格を除けばフランドールを手元に置くのは悪くない。
それくらい気安い提案だったが周囲の魔人に緊張が走る。
「貴様、正気かァ?」
真っ先に反応したのはクラーケだった。その声色には怒気すら混じっている。
「この子を手元に置いても碌なことにならないよ?」
それにアカシャが続く。シュピールは二人の反応からフランドールには深淵を動かす力があるかもしれないと僅かに信じ始める。
王剣、そして深淵の盟主代行を手中に収められたらシュピールの影響力は絶大なものになるだろう。
「いいですよ。じゃあ私からは」
「ああ、いいよ。同意してもらえたならコッチからはなんでも支払うさ」
どうせ勝つ戦いだ。
「じゃあ勝負成立という事で」
フランドールが白軍の陣営が並ぶ面をシュピールに向けて盤を押し出してくる。
(先攻を譲る気かい? 舐められたものだね)
シュピールは小手調べとばかりに歩兵の駒を動かす。凡庸な手だが実力を測るには充分だ。
シュピールの手を見て、フランドールはその姿勢を正すとその細腕を盤上に伸ばす。
(……っ?)
それは先ほどシュピールが潰したはずの手。しかしその手は魔法を使った形跡はなかったというのに人間の治癒力にしてはありえない速度で回復していた。
そんな僅かな驚きから生まれた思考の隙間をすり抜けるようにフランドールの細い指が白軍のキングを摘み、持ち上げると手元に引き寄せ……
「はい、先にキングを取ったので私の勝ちですね」
なんて勝ち誇った顔で宣言した。
「…………はぁ??」
シュピールは今度こそ何を言っているかがわからなかった。
「おいふざけるなよ?」
「いやふざけてる訳じゃ……先にキングを取ったら勝ちって言ったじゃないですか。ねぇノクスさん」
「ああ、確かにそう聞いたよ」
「いや、確かにそうだけどこれは互いの駒を動かして取り合う戦略ゲームで」
「そんなルールなどォ知らん」
「だね。それならそうと先に言ってくれたらいいのに」
無知共が!
シュピールは怒りに任せて盤に拳を叩きつけると盤は粉々に砕け、駒が散らばる。
しかしそんな癇癪を起こしたところでアカシャたちが勝負を取り消すはずもない。
バラバラに散った駒の中、偶然とはいえ黒のキングだけ立っているのがまた腹立たしい。
「とにかくこれで私の勝ち。あの塔にある王剣は私が回収しちゃいますのでよろしくお願いします」
「ところでシュピールへの賭けはどうするんだい?」
「えーと……シュピール様には今度盤上遊戯を習いたくって……得意なんですよね?」
そう言って手に掴んだ白いキングをクルクル回して弄ぶ。
(やっぱりこれが盤上遊戯って知ってるんじゃねーかこのクソが!!)
シュピールは一度潰されたにも関わらず再び笑顔で手を差し出してきたフランドールの手を取らず、その金色の瞳を睨む。
(舐めやがって……必ず後悔させてやる)
アカシャ(なんでキング取らないんだ……?)
クラーケ(……知らんぷりしたろ)
ノクス(その駒を動かす意味は……?)
シュピールの初手に対してお歴々の脳内多分こんな感じ。




