第五話 魔の海を征く前職
クラーケ陣営のお話。
深い霧が覆う海上を青白い鬼火を灯しながら征く無数の船。
何故海上に浮いているのかわからない程に船体には穴が開き、帆が破れたそれら帆船の見た目は御伽噺に登場する幽霊船にそっくりであった。
それはこの魔の海を支配する王の艦隊であり、彼らこそ世界各地に存在する数多の御伽話に登場する幽霊船の元ネタである。
そんな艦隊中央には周りとは別の意味で浮いている船があった。
周りの船が放つ異様な雰囲気はまるで感じられず、帆も船体もまだ真新しい。
それも当然でこの船は金さえ払えばそのへんの造船所で購入出来るごく一般的な帆船であった。
しかしこの何の変哲もない帆船こそ深海の王クラーケ・オーレ・オーシャが率いる艦隊の旗艦、オケアノスである。
そんな旗艦の操舵を担うのは白い斑点模様が入った紺色の髪を肩まで伸ばし、人間の間ではマリン服と呼ばれる愛らしい藍色の服装に丸い色眼鏡をかけた少女だった。
一見人間に見えるものの、その口元からは鋭利な牙が覗き、背中には鮫のヒレ、そして尾てい骨あたりからは太い尻尾が伸びており、鼻歌に合わせてビタンビタンと床を叩く。
そんな少女は何の前触れも無く甲板に姿を現した主人の帰還に頭を垂れる。
「おかえりなさいませ、提督」
「舵から目を離すなァ」
「あだっ!?」
甲板に降り立った提督ことクラーケが一瞬で少女の元に移動して来たかと思ったらその頭を引っ叩かれる。
頭を垂れなきゃ垂れなきゃで怒られるのだから困ったものだと操舵手の少女、オルカはズレた丸い色眼鏡をかけ直す。
「すみません! ウス!」
「……」
並の人間ならその眼力だけで心停止しそうだがオルカからしてみれば慣れっ子だ。なんなら今日は優しいまである。
「針路を南西に取れ……嵐に突っ込むぞォ」
「アイアイサー!」
そう返事はしたものの、オルカからしてみると波は穏やかであとは霧が深いくらいで嵐の様な前兆は感じない。
だがこの魔の海はちょっと目を離せば渦潮や氷山が出来たり海面が割れる魔境である。
その海を支配する主が嵐というなら嵐が来るのだろう。オルカはクラーケに敬礼すると首から下げた鎖付きの法螺貝に向けて叫ぶ。
それは各船の操舵手が持つ相互の音声を送り合うアイテムであった。
「全艦針路を南西へ変更! ……ちがーう! 別に思いつきで言ってないから! 提督の命令だから! え? もう帰って来たかって? 帰って来られたの! いいから早くしろ! 私が怒られる! あだっ!?」
他の操舵手とギャーギャー騒ぎながらやり取りし、ガラガラと舵を回すオルカを一発引っ叩いてからクラーケは船長室へと向かう。
魔海の艦隊と恐れられ、静寂と死の気配が漂っていた頃の雰囲気が台無しになって久しい。
その元凶に会ってきたばかりだからか当時と今とのギャップにクラーケの触手がぐにゃりと曲がる。
清掃が行き届いた船内を歩き、一際立派な装飾が施された未だピカピカなドアノブに触手を絡めて扉を開ける。
昔の旗艦であればギィギィと歪む不気味な音がしたものだがしっかり油が差された蝶番のおかげで静かに開いてしまう。
船長室に入ると壁一面に張られた海図の前にクラーケとはまた異なった異形の姿が座っていた。
とはいえ本来の姿よりもかなり身体を圧縮し、その見た目を人に近づけているからクラーケのような見ただけで正気を奪うような悍ましさはない……が、頭に被った海月のような青白い半透明の帽子が本体だと知っていれば不気味さが勝るのだが。
そんな彼女が出かけてから早々に戻って来たクラーケに一礼すると川のせせらぎのような静かな声で問いかける。
「あら、提督……もうお戻りになられたのですか?」
「……何か不満かァ?」
「いいえ? でも久しぶりに会いに行ったのに蜻蛉返りではあの子も残念がるのでは?」
「知ったことか……」
彼女は部屋の主が帰還したので浮き上がるようにして座っていた椅子を離れる。
クラーケの不在時に艦隊を預けていたとはいえ堂々と玉座に座っていた腹心、ユララの図々しさは一旦忘れてクラーケは玉座に座ると触手の下に隠れた口で木製の長いパイプを咥え、火をつける。
その何気ない仕草一つにそばに浮いているユララはその軟体の身体を強張らせる。
火を起こす魔法は数多あるが、クラーケが一切魔法を使った素振りはない。
魔法を使わずに、魔法を使った結果のみを再現する。
頂に至る魔法使いでも出来ぬ芸当を息をするように行使するクラーケはその悍ましい見た目に反して、世界最強の魔法使いなのである。
「それで、アレは場所を決めたのか?」
「アレ、なんて呼び方をするとまた嫌われますよ?」
「ふん」
差し出された巻物を取り、ギョロリとその内容を確認するとおどろおどろしい文字の中に恐ろしく繊細な筆致で開催場所が記載されていた。
「この場所に覚えはあるかァ?」
「……確かあの子が今暮らしてる国と隣国との緩衝地帯にある小国ですね。建物までは存じませんが」
「…………また人間の酒場なんてことはあるまいなァ」
それを聞いてユララは人に似せた口元を歪ませる。
前回の厄災会議が開かれたのは人間の街、それも王都の片隅にある寂れた酒場だったという。
やらかした本人の弁では家から近くて美味しいお店を選んだ。悪気はなかった……と供述していたという話は今なお艦隊の乗組員の間では笑いのタネだ。
歴史を紐解いても厄災とまで謳われる魔人が人間の街……それも結構しょぼい酒場に七人も一同に会するなんて例がない。
その一人が自分たちの主だというのだからなおさらだ。
「流石に反省しているでしょうから……」
クラーケに並ぶ魔人たち七人に詰められて説教されるとかユララだって泣いて謝る。
でもあの金色の瞳をした彼女がどこまで反省しているかはユララもわからない……これでちょっとランクを上げた酒場とかだったら正気を疑うしかない。
でもやりかねないのが怖い。
その他記憶に残っている大事件は旗艦買い替え事件だろう。あれは主人であるクラーケにも多少非はあったが実行に移した胆力は常軌を逸している。
千年の歴史を誇る畏怖と威厳の象徴であった旗艦が一夜明けてピッカピカの新造艦……しかも結構安物の帆船に置き換わっていた時は戦いに置いて一度も膝を付いたことがないクラーケが両膝から崩れ落ちたのだからある意味で快挙である。
あの時彼女が書いた反省文は反省文という名の抗議書だったのがまた酷い。
何が酷いってそれをユララと連名で出そうとしていたというところだ。ユララが無いはずの心臓が止まるかと思ったのはクラーケと敵対した時以来である。
いや……覚悟してなかった分、その時より怖かったかもしれない。
「反省してる奴がこんな事を書くかァ?」
そう言ってクラーケの触手がユララの前に巻物を突き出す。そこには先ほどまでは無かった一文が主の名前に矢印を添えて綴られていた。
その筆致はわざとらしく丸い文字で彼女なりの甘えが見える文体だ。
美味しい海鮮が食べたいです。
反省……してないかもしれない。
これを他の魔人も読むと知っていて書く勇気は一体どこから来るのだろうか? ユララにはとても出来ない。
「アレは確か烏賊鮫が大の苦手だったな」
……獲りには行くんだ。
ユララはたった一年ではあるが船員として乗船していた少女が苦手な海鮮を送りつけられて文句を言う姿を思い浮かべながら船員に指示を出すべく船長室を後にするのだった。
艦隊の歴史に残るTOP3の大事件の内、3つに関与するトラブルメーカーがフランドールらしいです。




