第二十五話 最後の後輩
セレナ視点
暖かく優しい香りに包まれて、セレナはゆっくりと瞼を開く。
「あ、目ぇ覚めた?」
「……先輩?」
目の前にはセレナを覗き込むフランドールの顔。
この構図には覚えがある。残業中に寝落ちしたセレナに膝枕をしてくれた日の朝、よく見た光景だ。
相変わらず清楚で整った顔立ちをした美貌につい見惚れてしまう。
「……今何時ですかぁ」
「五時ぐらいかな」
「すみません、まだ仕事残ってるのに……私寝ちゃって」
「……もしかして寝ぼけてる?」
「……?」
フランドールの問いにセレナは首を傾げる。
後頭部から伝わる太ももの柔らかさに心地よさを感じていると段々と冴えて来た頭が昨晩、自分が犯した事件を思い出した。
「せ、先輩……私っ」
セレナは勢いよく身体を起こしてカウンターの前に座るフランドールに向き直る。
そして彼女の手元を見て悲鳴を上げた。
「し、仕事してるぅっ!?」
「? そりゃするでしょ。もう五時だよ?」
「確かに……いやそうではなく! さっきまであんな……」
セレナからしてみれば本気でフランドールを殺す気など無かったにせよ、殺し合いをふっかけ、おまけに支部に自作ゴーレムを墜落させるという大事件が起きた明朝に普通に仕事されているというのはちょっとどう反応したらいいかわからない。
「ほら、済んだことはいいからこれ、報告書の仕分け手伝って」
「あ、はい」
長年の受付嬢としての癖か、書類を渡されるとセレナは反射的に受け取って黙々と作業を始める。
「って、こんな時に仕事してる場合じゃ」
「最後になると思うし、ちょっとだけでいいから……」
「ッ……てっきり、受付嬢に戻れって言われるかと思いました」
力なく笑う。あんな事をしておいて虫がいい話だ。そんな期待を少しでも抱いた自分に罪悪感を抱く。
セレナの犯した罪は数え切れない。どう甘く見積もっても極刑は免れないだろう。
あの夜に死ぬつもりだったセレナは事後の証拠隠滅の手は考えていない。本気で探せばあちこちに証拠が残っているだろう。
恐らく街は封鎖され逃げ道もない。ここに憲兵が来るのも時間の問題だ……というかもう来てそうだ。外からギルド支部の結界を破ろうとしている音が聞こえて来ている。
そんな状況下だというのにフランドールの横顔を伺えば真剣そのもので書類に向き合っている。
その姿を見てカッコイイと思った新人時代が懐かしい。いや、今でもカッコイイとは思う……朝五時でなければ。
出来ればずっとこうしていたいと思いながらも、手慣れた指先はあっという間に仕分けを済ませてしまった。自分の慣れがちょっと恨めしい。
「先輩、終わりました」
「ほんと? やっぱり二人でやると早いねぇ」
「……求人、たくさん出してるじゃないですか。誰も応募に来ないんですか?」
「実はねぇ、二人くらい受付嬢に興味があるって子がいてねぇ」
「ふぅーん」
新しい受付嬢とやらにちょっと嫉妬と憐憫を抱く。この人の下で働くのは大変だよ、と。
「でも、今先輩ってギルマス代理じゃないですか。新人って要は先輩の部下って事ですよね?」
「? そうだね」
「じゃあいいです」
「? そう?」
つまりフランドールにとって最後の後輩という地位はセレナのものだ。
それならいい。
キョトンとするフランドールの顔に微笑むとフランドールが話題を切り替える。
「で、セレナちゃんはどこ行きたい?」
「? 何の話ですか?」
今度はセレナがキョトンとする。
そんなセレナの前にフランドールが大きな羊皮紙を広げた。
「は?」
セレナの顔が強張る。
それは地図だった。それも市販されているようなエルドラド周辺の曖昧なものではなく、隣国はおろか大陸……いや、海すら渡った先まで網羅された世界地図とでも言うべき代物だ。
こんな物、エルドラド王家すら持ち合わせていないだろう。
「私のおすすめはここ! 昔住んでたけど結構いいところで……いや、今は情勢が不安定だっけ……あ! せっかくならゴーレムクラフト発祥のエメス公国なんてどう?」
「いや、海の向こうじゃないですか……そんなところに行くツテなんて……いや、行ってはみたいですけど」
ゴーレム作りは正直言って楽しかった。犯罪に使う者でなければもっと楽しかったに違いない。
「大丈夫大丈夫、移動なら今お願いしてて……あ、ちょうどいいタイミング」
「……ぇ?」
セレナはフランドールの視線の先……カウンター越しに立つ人影を見て息を飲む。
そこには人類圏にいてはならない存在が立っていた。
白銀の長い髪を垂らし、青白い肌を大胆に露出させた女の姿……何より目を引くのは側頭部から伸びた山羊のような黒い角、そして黒眼に浮かぶ赤い瞳がセレナを見つめていた。
唐突に現れたソレに対し、セレナは本能的に蠍尾を起動させようとした。
それも無理からぬ話だった。
の前にいるのは人類の脅威として長く歴史に語られる存在。
魔人
歴史上最も人類を殺したとされる最凶最悪のモンスターだったのである。
「落ち着くがいい」
「ッ!?」
ガチリ、と歯車が噛み込むような異音と共にセレナの手の甲に漆黒に光る鎖が巻きつき、形を成そうとしたが蠍尾が停止する。
一瞬でゴーレムの制御を司る刻印を封じたれた事にセレナが恐怖から後退りする。
「怖がらなくていい。ワタシは……そう、良い魔人」
「……は?」
飛ばない鳥、泳がない魚、友好的なゴブリン、仕事をサボるフランドール並みに相反する言葉の組み合わせにセレナの思考が凍る。
そんなセレナの肩を抱き寄せ、フランドールが魔人に文句を言い始めた。
「テトラさん。セレナちゃんが驚いてるじゃないですか。早くこれ外してください」
そう言って鎖が巻き付いた手を持ち上げる。
人類の敵である魔人に堂々とした、というか遠慮のない強気な物言いにセレナは内心冷や汗が流れ止まらない。
「……代行こそ……事前にワタシの事を彼女に説明しておくべき……アナタはいつもそう。自分がわかっている事は相手もわかっていると思っているフシがある……反省して」
「え、あ、はい。すみません」
謝ってる。
セレナが一体どうすればいいか迷っていると魔人の目がセレナに向けられると手の鎖が落ちて消える。
「ワタシも驚かせてすまなかった、反省……この見た目は個性だと思って」
「個性……」
いやそれで済ませていいのだろうか?
「テトラさんは小さい頃に働いていたところでお世話になった方なんです。今回はセレナちゃんを逃すために協力をお願いしました」
「に、逃がす?」
「流石に私が用意したルートじゃもう国外には出れませんから……それで許可は貰えました?」
「……盟主からは代行の好きにさせろ、と言伝を預かっている」
そう言って魔人……テトラが何もない空間に手を沈めると一冊の黒い本を取り出した。
高位の収納魔法にも驚かされるがよりセレナの関心を引いたのはその本だった。
素人目にもわかる異質な存在感。それを開いたテトラが空いている長い爪を伸ばした手をフランドールに差し出す。
「代行、書くもの」
「はい、どうぞ」
フランドールから手渡された羽根ペンを開いたページに走らせると本から鼓動のような音が響く。
表紙にギョロリと目玉が現れたソレはテトラの手を離れ、宙へと浮かび人ならざる声で喋り出す。
「まさか、それ生きた魔導書ですか?」
取り込んだ魔法を一度きりという制限はあるものの、いつでも使えるという御伽噺に出てくる伝説のアイテム。
古い魔導書であれは現在では失われた魔法を取り込んでいる可能性もあり、千年クラスともなれば値も付けられない希少品、というか使用すら禁止された禁忌の品だ。
何故なら世界を滅ぼしかねない魔法すら取り込んでいる可能性を秘めているからだ。
「 ? 。 ?」
「はい、一人で。え? 手荷物? まあ鞄一個くらいかな? 行き先はここ。地図見えます?」
セレナからしてみれば意味を成してない奇怪な音がフランドールには理解出来ているらしく、本と会話する奇妙な光景が広がる。
「 ? 。」
「セレナちゃん、船酔いってする? 長距離だから結構酔うって」
生きた魔導書ってそんな確認までしてくれるんだ。
「船乗ったことないですよ……というか何の魔法なんですか?」
「転移門。好きなところに行ける魔法だよ」
「……冗談ですよね?」
別の場所に移動するという魔法は確かに存在する。しかし転移門はそれらの魔法とは比較にならない性能であり、伝説では二千年ほど昔に途絶えたという創作でしか聞いた事のない魔法だ。
「あと一ページだけ残ってて良かった。コレがあれば国外逃亡とか余裕だし。あ、ちょっと待ってて」
事の重大さを知った上でこの軽さならセレナはある意味フランドールのヤバさを甘く見ていた。認識を改めておく。
それにしても奇怪な声を上げ続ける魔導書と魔人がいる場所に取り残された居心地の悪さにセレナは背中に嫌な汗を流す。
そんな空気の中、魔人の女……テトラに話しかけられる。
「屋根に刺さったアナタのゴーレムを見た。面白い発想」
「え、あ、どうも?」
あ、刺さったままなんだ。
「ワタシの結界をすり抜けたカラクリを是非教えて。改善、大事」
「カラクリというか……」
魔人に冒険者ギルド支部の守りを頼んでいた事にセレナは嫌な汗が止まらない。
結界を通れるようにしていたのはフランドールだ。それを素直に伝えるとテトラが眉を寄せる。
「また勝手に改造して……今度はもっと強化する。感謝」
「い、いえ」
魔人にぺこりと頭を下げられセレナは焦る。
噂に聞く魔人との違いにどうしたらいいかわからないまま、気になっていた事を尋ねた。
「あの、アナタは先輩の」
「お待たせ〜」
そんなタイミングにフランドールが鞄を片手に戻って来た。髪や制服に土埃が付いており、恐らく崩れた建物内を這って来たのが窺える。
「これ、私のいざという時の旅行鞄。セレナちゃんにあげるね」
そう言って鞄をセレナに持たせる。少し重たい鞄には着替えや生活必需品、少量のお金が入っているという。
一通り揃った逃避行グッズにセレナは感謝より先にちょっと笑ってしまった。
「先輩、ヤバい時は逃げる気あったんですね」
「? そりゃそうだよ」
「ちょっと安心しました。先輩はいざとなったらギルドと心中するんじゃないかって思ってましたから」
「えぇ、そんなヤバい人はいないでしょ」
セレナから見ればフランドールがそのヤバい人なのだが、こうしてちゃっかり準備をしているなら大丈夫そうだ。心配して損した気分である。
「そろそろ発動、代行も行く?」
「え? おっと」
フランドールが離れるとセレナの足元を中心に漆黒の魔法陣が広がる。
僅かに周囲の空間が歪み、セレナは視界に映るフランドールたちの姿が見えなくなっていく。
「あ! あとこれ」
「っ!」
フランドールが何かを投げ、セレナが反射的にそれをキャッチする。
それは小さな小箱だった。
「結婚のお祝い。別れちゃったのは残念だけどセレナちゃん可愛いしモテるからすぐ次の人が見つかるよ!」
セレナが小箱を開くと中には二つの指輪が並んでいた。
セレナの生まれた地方では指輪は結婚する二人の家族や友人が祝福を込めて贈るのが通例。昔話していた雑談を彼女はしっかりと覚えていたらしい。
「次に結婚する時は式には呼んでね? 仕事は上手く調整していくから! またね〜!」
歪んだ空間の向こうでフランドールが手を振っているのに対し、セレナも大粒の涙を流しながら手を振りかえす。
去年は泣き叫ぶフランドールの声に後ろ髪を引かれながらの別れだった。
でも今回は違う。セレナはフランドールに精一杯、声が震えないように返事を返す。
「はい! また、必ず」
会いに来る。
セレナは再会を誓って空間を飛ぶ。
身体の中身をシェイクするような感覚に吐きそうになるが、気がつけば見知らぬ大地に立っていた。
転移門。失われた伝説の魔法を体験したセレナの感想は……もう二度とごめん、である。
握りしめた小箱から少し小さな方の指輪を取って左手の薬指に嵌めると残った指輪ごと小箱を鞄に押し込む。
先輩には悪いが当面の間もう片方の指輪が日の目を見る事はないだろう。
セレナは指輪の嵌った左手を眺めながら、先に見える街に向かって歩を進める。
あれがエメス公国なら、ゴーレムクラフト発祥の地。自分が身につけた知識と技術をより高める場所になるに違いない。
「まずは余所者を敵視してないか調査して、表と裏……どっちにも顔が聞く商会を見つけて……」
ぶつぶつと新生活へ向けて思考を纏める。その考えはすっかり先輩に染まっているという事に苦笑するセレナを祝福するかのように昇った朝日が彼女の行く道を照らしていた。
新技術をひっさげ倫理観がズレた新人が現れた公国の運命やいかに。
道は違えどもきっと二人は仲良くやっていけます。
一章まもなく完結てます。




