第三十四話 『恋心の証明』
「──【簡易魔法陣媒介:教導燈火】っ!」
勇ましい掛け声と共に、黄金の炎が燃え上がった。
燃える燃える、炎が燃える。黄金がなびいて弧を描いて滑り込むように広がっていく。
その先が精霊の花畑に触れた瞬間、蔦に巻かれたセントから、可聴外の絶叫が空気をビリビリと震わせた。
「【灯火の光 凋落の赤 哀れなその手は灰を繰る】──」
先ほどまで美しいと人に感じさせていた花々は、まるで虫が捕食のための擬態を解くようにガラリと様子を変える。
若木が愉快にカシャカシャと動き出す。
うんざりするような大きさの花弁が大きく開いて、牙を打ち鳴らす。
緑の蔦が一瞬で胴体ほどの太さのある朽木の鎧を纏って、黄金の炎を放った主に襲いかかる。
「うるさい。──【燃えろ】」
燃え盛る赤い炎を短剣に纏わせ、両断。
迫りくる巨木と化した蔦を、炎の付与魔法で強化した短剣は一撃の元に斬り断ち、燃やし尽くした。
「……はぁ」
放った黄金の炎は精霊の花畑を燃やしている。しかしながら、火の回りは信じられないほど遅い。
まず魔法使いの常識として一つ。他者の魔力と他者の魔力は抵抗し、馴れ合わない。
つまり、精霊により魔力をふんだんに込められてついには動き出した埒外の植物には、魔法で生み出した炎は効果が薄い。
【薪】はゆっくりと周囲の魔力波の流れを感じる。植物系には炎で燃やし尽くすというのが鉄板だが、この精霊相手には効果的ではないと判断。
「身体を動かすのは、苦手……」
大きな花弁が花開いて、辺りに極彩色の粉末を撒き散らしていく。
【薪】は鼻を鳴らして、顔をしかめた。
身体がぴくりと痙攣する。
「……麻痺毒?」
──【解毒】
義足の内部に何重にも刻まれた魔法陣のうちの一つが発動する──が、しかし効果は見られない。
どうやらあの粉末を吸い込んでいる状態では、麻痺の効果は続くらしい。状態異常を解くためには、しっかりとした設備の整っている施療院に行く他ないだろう。
しかし、精霊がこのまま見逃してくれるとも思えない。
徐々に身体が重く痺れていく。
「……まったく。グレイコーデさまも酷い」
鋭い牙を剥いた花々が、一斉に襲いかかって来る。
愛でられるべき色とりどりの花々は、観賞用として人間が定めた役割を放棄するがごとく、獰猛に襲い来る。
「ッ!」
【薪】が跳び退くと、そのまま花々はゴミ山に突っ込み、地中を掘り進んで別々の箇所から咲き誇る。
花々の茎は柔軟かつ頑強であり、ゴミ山のなかを突き進んだにしては無傷だ。
そして、【薪】を取り囲むかのように八方からこちらを睨みつける食人植物。
──囲まれた──ッ!?
──【指向】
重力を束に纏めて反転、地面に叩きつける。
まるで超人的な身体能力を持つかのように高跳びした【薪】は、四方八方を囲む食人植物の花弁に着地し、両手の短剣を食人植物の花弁の根本に突き刺した。
激しく蠕動し、ふるい落とそうと暴れる花弁に向けてさらに突き込んでいく。
緑色の液体が飛び散り、【薪】の服にへばりつく。
煙を上げて服を溶かし始めた液体に【薪】は慌てることもなく、口を開いた。
「【燃えろ】」
短剣が炎を纏って花弁を燃やし尽くす。深部から浸透する熱に、魔力に対する耐性を持っていた花もどうしようもないようだった。
たちまち灰となって崩れ落ちる。
──【防御】
煙のなかから、高速で飛来するものが【薪】の腹と右肩を銃撃し、地面に叩き落す。猛烈な速度で飛来した植物の種が【薪】を銃撃したのだ。
「痛ったぁ……」
顔を擦ると、ぬるりと滑る感触。頭からゴミ山に落ちた際に切ってしまい、少なくない量の血を流してしまっている。
腹は咄嗟の【防御】で守ったものの、問題は右肩だ。
どうにも感覚がない。変な方向に曲がったまま痙攣するのを見ると途中からぐしゃぐしゃに骨が砕け、神経もいくつかやってしまった可能性も否めない。
過去の訓練による脳内物質の恣意制御で痛覚は塗り潰すことは容易だが、右腕が全廃というのは問題だ。
何をすればいいのか。次は何を躱せばいいのか。次に潰すべき目標はどれか。
考えが纏まらない。同じ思考を何度も行ったり来たりとぐるぐる回っている。
麻痺毒の影響だ。きっとそうに違いない。
「痛いし、苦しいし……もう最悪」
右手に中途半端に握られているのか引っ掛かっているのか分からない短剣を口で加える。左腰のベルトに口で加えた短剣を突っ込むように差してから、ぷらぷらとだらしなく揺れている右腕の傷を服を破った包帯で縛り上げる。
これで多少は動きやすくなった。頭のからの出血も収まってきている。
短剣を地面に突き立てて。
「──【簡易魔法陣媒介:教導燈火】」
魔力も対して込められておらず、魔法陣さえ適当だ。その結果として黄金の炎はほんの僅かな火種としてしか熾きない。
それをすくい上げて、右肩に押し当てる。
「グぅ──ッ!」
【薪】は自力で治癒術を使えない。だから、こうするしかない。
灼熱の痛み。だが、それを乗り越えた先にあるのは軽度な治癒効果。
やがて自力で右腕を治療した【薪】は両手で短剣を持ち、姿を現す。
「さて」
蔦に巻かれたセントが精霊の本体だ。
しかし、そこに辿り着くためには障害が無数に存在する。
巨大な花弁は麻痺毒の粉末を吐き出し続けている。
食人植物の花も【薪】は一輪燃やしただけだ。本体との間には無数に蠢いている。
巨木を纏った蔦もゴミ山を抉り取りながら迫ってきている。
動き回る若木も、絡繰りのごとく正確無化に種の弾丸を打ち込んでくる。
まるで、一つの軍隊。
これが精霊。大自然の概念を司る存在。その一端の影──そんなものに己は苦しめられている。
「……まったく。本当に逃げ出したいですよね。そもそもなんで私がこんな痛い目に遭わなきゃならないかって話ですよ」
くるくると短剣を回す。
元々白杖だったこの二つの短剣には、様々な機能が備わっている。何重にも刻まれた魔法陣。──【発火】【指向】【透明化】。それぞれに二発までの銃撃を可能にする内蔵銃。
両足の義足は大教会謹製の特注だ。常人の足となんら変わらない。むしろこっちのほうが頑丈だ。こちらにも同様に魔法陣が刻まれている。──【解毒】【風舞】……そして、【加速】。
【鋭刃】と呼ばれる先代の処断者が唯一【薪】に伝えた世界の法則を少しだけ乗り越える『超克系魔法』。それを【薪】は義足に彫り込んでいる。
現状【薪】の有している手札だ。
「けど──」
ちらりと背後を流し見る。廃墟の崩れかけた梯子を登っていくサシャの姿が見えた。廃墟の上には巨大な雨水を貯めるための水槽が見える。
どうやら何か作戦があるようだった。
「あの子もがんばっているようですし。……私、真昼からお酒が飲めるこの街を意外と気に入っているんです。何より、勇者さまともっと一緒にいたいんですよ」
それは紛れもない【薪】の本音だった。
今までいくつもの都市を転々として、任務をこなしてきた。大教会に命じられるがまま、重役やら貴族やら、抵抗勢力やらを殺してきた。
いくつもの街を訪れてきた。
だが、街の景色を本当の意味で見つめたのは、今回が初めてだった。
初めて服をもらった。初めて髪飾りをもらった。
他人から自分の外見を褒められるなど初めての経験だった。
心が動き出した。世界がキラキラと色づいて見えた。
この気持ちが何なのか、【薪】は知っている。
──恋心だ。
だが、【薪】は知っていても■■■は知らないのだ。【薪】という仮面に身体を奪われたこの身体の持ち主は。
もはや、【薪】は自分の名前を思い出すことはできない。■■■の人格は苛烈な教育のなかで全て砕かれ、この両目と一緒に焼き尽くされた。
残されたのは、大教会によって都合の良いように再構築された【薪】という人格。
自分の心臓は、あの人と一緒にいると鼓動を強く打つらしい。つまり、この恋心は【薪】ではなく、自分の身体の持ち主──今はいないあの子のものだ。
──■■■に、恋心を教えて見せる。
恋すらできずに、いなくなったあの子に代わって。
自分の長髪を纏めている髪飾りに軽く触れる。
そこから、熱いものが流れ込んでくるような気がした。
「だめですよ、私。この恋はあの子のもの。……私はあの子に、この気持ちを届けるために、頑張らなくちゃならないんですから──【燃えろ】ッ!」
短剣に炎を纏わせる。
眩い火花は、【薪】の可憐な美貌を照らし出して激しく爆ぜる。
炎は、昂ぶる心に合わせて燃え盛っていた。
──【風舞】
渦巻く風を短剣に纏わせる。炎と風が混じり合い、相乗効果でさらに威力を生み出していく。
──【指向】
短剣に加えられている風の圧力を一つの方向に束ねて鋭い矛とする。キリキリと金属質な悲鳴が鳴り始めた。
両手の短剣を振るうと同時に、魔法陣が光る。
──【加速】
振るわれる風の矛が超克系魔法特有の力によってさらに加速する。その速さは、振るった直後から音を越えて、音に達したその瞬間には光の速さまで肉薄していた。
刃が接敵すると同時に、魔法陣が光る。
──【発火】
精霊の身体に魔力を流し込んで、内側から弾き飛ばす。内を直接蹂躙する炎に、精霊でさえも対抗するすべはない。
一太刀で全てを斬り断つ。
八十二勇者技能、二十一番。
「────ッ!」
その覚悟で振るわれた刃は果たして、光の速さに迫った双刃は──目前の物体を消し飛ばした。
刃の直線上全てを、文字通り両断する。
花も、撃ち出された弾丸も、蔦も、全てだ。
遅れて轟音が響く。
それと同時に【薪】が刃を振るった放射状にどこまで続くかも分からない亀裂が走り、まるで地震でも起きたかのように大地が揺れ、陥没し、砕け散った。
従属していた花畑の丸々八割が消し飛ばされ、精霊は絶叫をあげる。──いや、絶叫をあげさせられているのは、精霊に身体を支配されたセントだ。
「──ぐ、はぁ……っ!」
どさり、と【薪】は地に倒れた。
魔法陣を多重に重ね、本来は選ばれた勇者のみが行使できると云われている勇者技能を無理やり発動させた。
結果。
全身の皮膚が、裂けた。
全身の筋肉が、断裂した。
全身の骨が、歪んで、軋んだ。
全身から止めどなく出血している。
そんな【薪】に向かって、悲鳴から一転。精霊は嘲笑するように咆哮をあげる。
瞬間、花畑が『生えてきた』。
消し飛ばしたところから、まるで新たな命が芽吹くかのように植物が成長し、先ほどより繁茂した花畑となる。
ゴミ山に取り付いた食人植物についた口は、ついにはゴミ山そのものを食べ始めた。
その結果として、蔦や花などが汚泥のような濁った黄色に染まる。光沢を帯びているところをみると、金属としての性質も有しているようだった。
ここに来ての精霊の進化。
いわば第二形態。
「……まじ、ですか……? ありえないでしょ……最初から全力を出しなさいってば……」
震える手は、すでに力が入らなかった。
力を増した精霊が、【薪】に迫る。
唐突に、グレイコーデが理解できた。
実力では勝てるはずもない魔王を倒して、その代わりとして百を越える呪いを代償として受けた男の心が理解できたのだ。
その原動力も、何もかもが。
──きっと、グレイコーデは今の自分と同じ気持ちで戦っていた。恋している相手に振り向いてほしくて、全力を越えて戦っていたんだ。
「なら、私……だって……こんなところで、倒れるわけには……いかないじゃ、ないですか……っ!」
立ち上がる。震える膝を叱咤して。
全身から流れる血を、身体を動かすための潤滑油と断じて、立ち上がる。
赤く染まった視界には、自分を叩き潰すために大群を差し向けてくる精霊のみが映っている。
右腕は動かない。震える左手のみで、短剣を拾う。
「────」
ゆっくりと、短剣を精霊に向ける。
抵抗の意志を感じ取った精霊は、咆哮して一斉に蔦に金属光沢を貼り付けた棘を生成した。
「──あはっ……最高」
ただ、無慈悲に。
無数の蔦を、【薪】の頭上に叩きつけた。
✝
日は高く、空の上で白く輝いている。
人々が瓦礫の前に集まっている。瓦礫には鉄骨が支えられており、安全が確保されていた。
目の前に大きな壇があった。
一人の壮年が、ゆっくりと壇上に上がる。民衆の視線が一斉に男を向いた。興味と関心。困惑と疑惑。
その全てを受け止めながら、男はゆっくりと目を上げる。
ふと、目線が街の端に向けられた。
高く高く、炎が上がっているのを見て、灰色の髪を整えた壮年はふっと、笑みを浮かべた。
「これから冒険者組合と大教会の歩み寄り、その最初の一歩を踏み出す。従って、調印式を執り行う。──各代表者、一歩前へ」
まだだ、まだ終わらぬよ……!




