第三十三話 『楽園地区』
「うへぇ……皆さんこんなところに暮らしているんですか」
「そうですけど、貧民窟を今まで見たことありませんでしたか?」
「初めてですねぇ。……こんなになっているんですね。意外と住めば都って感じですかね、これ」
「……はは」
【薪】──レオットとサシャはハロケルの外縁部、貧民窟と化している『楽園地区』を歩いていた。
地区といっても、ハロケルで正式に名称のついている地区ではない。歓楽街の黒革地区を主とした複数の地区に線状にまたがって存在する貧民窟だ。
それが楽園地区。
めちゃくちゃにトタン板やブリキを繋げて作られた家とも呼べない家。建設会社が工事を中断し、そのまま放置された雑居ビル。
蓋の開いたドラム缶には新聞社や枯れ木などが無造作に突っ込まれており、魔石灯がない夜は炎が立ち上るに違いない。
道端には、越してきた外国の労働者や、日雇いで食いつないでいる雑居人が昼間から安酒で飲みつぶれている。
「思ったより悪くないですね。ここの治安維持は自前ですか?」
「……はい。この前ちょうど大きな抗争があったばかりで、ピリピリしていて静かなんです。色んな組織が貧民窟にはありますから、互いを利用しようと年がら年中奪い合いして、牽制して……そんな風景が、外からきた人には穏やかに見えるんです。裏ではもうバチバチにやり合ってますよ」
「んー、そりゃそうですね。私も勉強不足です」
ここは無法地帯だ。大小様々な派閥が生まれ、勝手にリーダーを据えて、そしてぶつかり、さざなみのように消える。それぞれが独自の秩序を持っているため、相容れることはないのだろう。
絶え間ない衝突は、遠目から見れば安定しているように映るのだ。
「……あの」
「なんです?」
「本当に、避難を促しただけでここの人たちは動くと思いますか?」
サシャの心配も良く分かる。だが、【薪】は薄っすらと微笑んだ。
「まあ、その心配はもっともです。ですけれど、あれですよ。ここの人たちが避難するかしないかが問題ではありません。避難勧告を外部の人がする、ということが重要なんです」
「……?」
「んーと、つまりです。後は勝手に自己責任で動いてくれるってことです。貧民窟に住んでる人ならば勝手にやってくれますよ」
「……」
「彼らは色々な意味で強かですから。精霊術師のトラブルなんて、自分たちが利権を貪るための舞台装置ぐらいにしか思ってませんよ」
【薪】とサシャは貧民窟に入った瞬間、武装した傭兵のような人物たちに囲まれて、いかにも貧民窟に詳しそうな大派閥のボスと出会ってきたばかりだった。
その人物は包帯を全身に巻いた大柄な男であり、縄張りに入ってきた【薪】たちを捕えたのだという。
見た目に反して理知的な男は、【薪】の訴えた避難勧告を聞き入れて、解放してくれた。
その時のサシャの声が震えていたことを覚えている。
「いやー、賢い人は好きですよ。やっぱり貧民窟の一大勢力のトップをはってるだけのことはあります」
「……」
「おや、黙ってしまって、どうしたんですか?」
「ちょっと、待っていてもらえませんか? あの子たちが……」
「あの子?」
サシャが遠慮がちに指を指す方向には、建物の影から二つの小さな頭がにょっきりと覗いていた。興味しんしんな様子でこちらを見ている。
その純真さは、薄汚れた貧民窟には似合わないほどだ。
「……二人、それも幼児ですか。一人はエルフのクオーター、もう一人は純粋な人ですね」
「目が見えなくても、そこまで分かっちゃうんですね」
「私、魔力感知だけは負けませんので」
むふん、と【薪】は胸を張る。
「……誰と張り合ってるんですか」
「無論、あなたとです」
「僕と張り合わないでください。無理があります」
「では、この場に張り合う相手がいなくなっちゃうじゃないですか」
「……そろそろこの会話に疲れてきたので次に進んでもいいですか?」
「もちろんです」
サシャが子どもたちに向き直ると、一斉に飛び出して彼の胸に体当たりをかましてくる。そんな子どもたちを微笑みながら受け入れるサシャは困ったように眉をひそめる。
「二人ともなかよしー」「ねー」
「こらこら、危ないだろ? 時計塔のところまで戻らなくちゃ」
「サシャー、あぶないことするのー?」
「セントはどこー?」
子どもの勘というものは、サシャが思うものよりも鋭かった。サシャにまとわりつきながらも、質問を飛ばしてくる。
「僕たちは、これからセントを助けに行くんだ。このままだと、セントが危ない。だから、僕たち二人が助けに行くんだ」
「そーなんだ」「なんだー」
子ども二人は顔を見合わせて。
「「がんばってね!」」
そう言い残して、走り去っていく。
サシャは大きなため息と一緒に肩を落とした。
「今の子どもたちは?」
「僕とサシャが貧民窟を抜け出すときに、一緒についてきた子です。ノアとランセル。髪が長くて赤みがかかっているのがノア、髪が短くてエルフの血が混ざっているのがランセルです」
サシャは二人が走り去った先を見つめる。
「慕われているんですね。……子どもたちのために口調を変えたんでしょう? 私は元の粗野な口調でも全然問題ないんですけど」
「……分かりますか?」
「はい」
頭をかいて、軽く苦笑する。
「良く見てますね。……他の人に比べてよっぽど」
「あら、皮肉ですか?」
「……察してくださいよ。子どもたちの将来のために、乱暴な口調は止めました。セントは……逆ですけどね。元々優しい口調だったのが、貧民窟の暮らしで乱暴な口調に早変わりです」
【薪】は頬に人差し指を添えて小首を傾げる。その少女らしい仕草は、なぜか身震いをサシャにもたらした。後に続く【薪】の声がその正体を示す。
「あの子たち、戸籍がないですよね。どんなに頑張ったところで、将来まともな職に就くことなんてできませんよ。そんな子どもたちのために自分たちを曲げて頑張るんです? ──私、そんなの無駄だと思うんですけれど」
「……それは」
「まあ、可愛いものはそばに置いておきたくなりますよね。こしょこしょと動き回る子どもたち、うんうん。そういう意味なら私も大好きなので理解できます」
「……そう、ですね……」
「私たちって、もしかして似た者同士です? なおさらやる気が湧いてきましたよ! さっさとセント君を倒すか助けるかしましょう! あ、あなたってお酒飲めますか? 後で一緒にどうです?」
【薪】の無邪気な笑顔に、サシャの心は割れていく。
子どもたちの将来を否定する言葉。
それを発した【薪】を責めようにも、言葉がサシャの口から出てこない。彼女はどうしようもない真実を言い当ててしまったからだ。
どこか心の中では、サシャも感じていた。
──子どもたちを助けるのは、自分たちのため。貧民窟から逃げ出した自分たちに、理由をつけるため。存在理由を探して、自分たちの行いを肯定してもらうため。
つまるところ、子どもたちを守るというのは言い訳に過ぎないのだ。サシャやセント、貧民窟から逃げ出したことへの理由づけ。
自分が弱かったことを認めたくはない、自尊心と臆病心を覆い隠すための、偽善。
その証拠に、サシャは子どもたちの将来を、口で言うほど真面目に考えてこなかった。子どもたちに、夢を語って、その夢を阻む空まで届く壁のことを考えてこなかった。教えてこなかった。
【薪】のどこか歪んだ感性と、サシャは本質的には同じだということを、【薪】の言葉で様々と見せつけられたのだ。
「どうしたんです? そんなに俯いて。そんなに下ばかり見ていると運勢とかもろもろがどんどん逃げていっちゃいますよ」
「……すいません。何でもないです」
「近くのゴミ山に精霊術師になったセント君がいます。あなたって戦えます? 私は基礎的な教導魔法をいくつか使えますよ」
すらすらと白杖で地面に文字を書いていく。魔法の効果と、影響範囲、持続時間など。
盲目の少女の行動にしてはあまりにも似つかわしくない。
「……使え、ません」
「まあ、予想通りですれど。だったら少し下がっていてください。あなたを巻き込まない自信はありませんから」
いつの間にか、サシャと【薪】は建物が少ないところまで来ていた。この辺りは不法投棄された家電や家具などが散乱して、山のようになっている。
一番高いゴミ山の頂点に、蔦が隙間なく巻き付いた人の形があった。
ぴくりとも動かない。蔦のみがゴミ山に伸びて精霊の領域に変えようと生育を続けていた。若木や若葉、季節外れの花などが咲き誇り、まるでゴミ山の一部は花畑のような様相だった。
「……花が、いっぱい」
「あらら、それは随分とメルヘンな精霊さんですね。お庭に一匹欲しいぐらいです」
言葉とは裏腹に【薪】の表情が警戒を表わして固くなる。
グレイコーデの報告通りならば、あの花畑は全て精霊の身体の一部であり、繁茂している植物は人を襲って、喰らうという。
食虫植物ならぬ食人植物だ。可憐な花畑は、実際のところ精霊の餌場である。
一歩足を踏み入れれば、たちまち周囲の植物は一斉に『牙』を剥くだろう。
「さて」
【薪】の白杖が金属質な音を立てて二つに割れた。それぞれに刃のついた短剣に早変わりを見せる。
サシャは予め離れてもらっている。力無き子どもを守りながら戦えると言うほど、【薪】は己を評価していない。
「……めんどくさいなぁ」
そばに誰もいないからか、思わず本音が漏れる。
【薪】の本質は暗殺者。それも人間専門。このような怪物退治を任せられるほどの経験は積んでいない。
つまるところ、勝率はそれほど高くない。高く見積もったところでせいぜい五分五分。あの精霊術師を助けるなどという妄言を本気にすれば、勝率は二割以下だ。
──どうしてこんなことになったんだろう?
あのグレイコーデとかいう勇者のせいだ。彼がこの街に現れなければ、【薪】は今頃任務を終わらせて大教会に早々に帰宅していただろう。
胸が熱い。理由はご察しの通りだ。
目尻が濡れている。なぜか自分は泣いているらしい。涙など、もう十年も流していないというのに。
心が燃えている。最高だ。『恋心』などという麻薬は自分から死地へ身体を向けるらしい。馬鹿げている。
「不公平過ぎ……なんかむかつく」
短剣で自らの両手の指を軽く切り裂く。
血が少なくない量滴り、両手に握った二つの短剣を刃先まで濡らす。
そうして、【薪】は地面に短剣を突き立ててクルリと回った。
【薪】の周囲を、血糊が円弧状に象る。
「──【簡易魔法陣媒介:教導燈火】っ!」
勇ましい掛け声と共に、黄金の炎が燃え上がった。




