知れた事実を声高に
まだダラは木陰にいた。眠りかけてさえいた。
そんな彼に影が近づく。ダラはまったく気づかない。それは無理のないことで、彼は今までまったく身の危険を普段感じることのない世界で暮らしていたのだ。身の危険がないといっても、犯罪というのは毎日毎日どこかで起こり続けているわけで、彼の無事は単なる幸運に過ぎないことは言うまでもないが、その幸運が彼の危機意識を鈍化させていた。
べつに隠すことでもないから先に言ってしまうと、この影の主はゴブリンである。
「ゴブリン」と聞いて、皆共通のイメージを思い浮かべられるだろうか。ゴブリンと一口に言っても、きっと登場作品ごと様々な姿を持っているはずである。それはもはやゴブリンというより鵺と言ったほうがよいかもしれないくらい多彩な姿である。だからゴブリンと聞いた者が、全員同じ姿を思い浮かべるとは限らないし、むしろそうでない可能性のほうが高いだろう。もちろんそれが悪いことと言いたいわけではない。が、一応大雑把な外見だけでも説明しておこうと思う。
彼に近づくゴブリンは小学六年生くらいの体格で、腕は二本、足も二本ある。これも先に言っておくと、ゴブリンというのは「象」とか「ライオン」くらいの大雑把な呼称で、もっと細かな種類がたくさんある。細かな種類がたくさんあるということは細かな違いもたくさんあるということだが、「腕は二本、足も二本」というのは、おおかた共通した特徴である。頭はなんというか豚に似ていると言えなくもない(少なくともダラに近づいているゴブリンについて言えば)。なぜそういうことが言えるのかというと、鼻が豚そっくりだからである。匂いに敏感そうだが、実はそうでもない。しかしそのことがゴブリンの生存には役立っていて、例えば腐った食べ物しか手元にないとき、まともな嗅覚を持つ者ならばそれを食べようなどとは思わないが、ゴブリンは致命的に鼻が利かないため新鮮な香りと腐敗臭との区別がつかず、構わず腐ったものも食べてしまうのである。原初のゴブリンが誕生した地はどういうわけかすべてが腐り果てており、そのためゴブリン以外の生物は生き延びられなかったが、鼻の利かなさによって飢えを満たすことに成功したゴブリンたちは生き延び、勢力を拡大することができたのである。
豚のような頭を見て、「あ~こいつは賢そうだな。四則演算くらいはできそうじゃないか?」と思う者はあまりいないだろうが(この表現にゴブリンおよび豚、とくに豚を侮辱する意図はまったくございません)、実際その通りで、あまり彼らの知能は高くない。これも「ゴブリン」という全動物(動物と言うべきか魔物と言うべきかという判断は難しく、わたしも答えを決めかねている。ある人は人間にとって有害な動物を魔物に呼ぶに過ぎないと言うが、それだと害獣との区別がつかない。だから今のところは犬も猫も豚も牛も羊も山羊も虎も人も竜もトロールもゴブリンも動物と呼ぶことにする)に共通する特徴と言える。低いと言っても致命的と言えるほどではなく、少なくとも呼吸の仕方は理解できているようだ。
そんな特徴を持つゴブリンが、もう少しでダラのいる木陰へとたどり着いてしまうが、やはり彼は気づかない。まあ、もう寝てしまっているから当然かもしれないが。
このゴブリンの目的はなんなのかと言うと、彼自身にもよくわかっていない。べつに腹が減っているわけでもないし、縄張りにこの人間が近づいているというわけでもない。しかしなんとなく襲わなければいけない気がするのだ。彼に知恵がもっと備わっていれば、それがゴブリンたる自分を自分たらしめる行為なのだと納得できただろうが、残念ながらそうではないため、彼は無理やり襲撃の理由を作らなくてはならなかった。しかしそれをする知能もなかったため、結局彼はなにがなんだかわからないまま、ただ本能に従ってダラに殴り掛かった。ちなみに彼(このゴブリンは雄だった)は素手である。
……?
ゴブリンは目をしばたいた。自分の目の前にいて、殴り掛かろうとしていたはずの人間が、ずいぶんと遠くにいる気がしたからだ。状況が呑み込めず、こういうときはいつもそうするのだが、彼は大声で叫んだ。
そのだみ声に、自分の家の前がサルビアの花畑になっている夢を見ていたダラも目を覚まし、その反動で後頭部を木に打ち付けてしまった。




