見果てぬ広野に未知の希望を
疲れてもしばらくの間、ダラは歩き続けた。しかしシャトルラン最高記録三十回の体力はこれ以上の歩行を困難にさせ、とうとうダラは歩を止めた。
快晴の空とはつまり、太陽の光線をさえぎるものが何も存在しないということである。そういうわけでダラはさんざんそれにさらされ、それも体力の減衰に一役買っていた。早い話、彼は脱水症状を起こしかけていたのである。ダラ自身はそれに気づいていなかった。彼は中学生のとき(言っておくと彼は日本生まれである。じゃあなんでダラ=オベックなんていう常識外れの名前なんだと思われる方もいるだろう。それはわたしにもわからない)、絶対に眠ってしまう授業を三つ持っていた。で、その中のひとつには「保健体育」もあった。それが災いして、彼は今自分の調子がなんだか普段よりちょっぴり悪い気がするのは水分不足による脱水症状なのだということに気づけなかった。脱水症状に気づけない大学生というのもどうかと思うが、まあ見知らぬ場所で目覚めたばっかりなので仕方ないのだろう。
たまたま生えていた小さな木(どうか街路樹のようなものを想像していただきたい。しかし地域ごとに生育する木の種類はさっぱり違うから、本当はこんなこと言っちゃいけないのかもしれないが)の根元に座り、しばし休息をとった。
目に入るものは相変わらず草原(と木。草原には木もあった。たった今そうすることにした)ばかりで、ほかには何も見えなかった。さすがのダラ(「さすが」? 彼の性格なんてまったく設定していないのに、なぜそんな言葉が出てきたのだろうか。「さすが」というのはすでにその性格が明らかにされたキャラクターに対して用い、だいたい「そういう性格ではあったけれども」とかいった意味を表している気がする。だからこのダラとかいうまったくその性格が設定されていないキャラクターについてこの言葉を用いるのは誤りなのだろう。しかし訂正しない。なぜなら時間がないから)も、少々不安を抱いた。目が覚めてから、様々な動物(鳥や虫やその他いろいろ)は見たけれど、その中にヒト科はいなかった。ここがあらゆる種類の動物の生息を拒む過酷な環境でないことは有難かったが、やはり自分と同じ人間に会いたいと思った。とくに、見知らぬ場所で目覚めたばっかりとなればなおさらである。
その願いは意外と早く叶うことになるのだが、まだそこら辺の設定は思いついていないため、ダラの木陰の休息は今しばらく続く。
木陰は木陰というだけあって、日の光が届かず、だから多少は木陰の外にいるよりは涼しかった。しかしそもそもの気温が高いため(そう、気温が高かった。高いと言ってもせいぜい春の暑い日くらいだが)、木陰にとどまっていてもそれから完全に逃れることはできなかった。気温はダラの体力をますます奪い、ますます体力を奪われたダラはますます具合が悪くなっていった。このままではもしかして死んでしまうのではないか? そういう後ろ向きな思考がダラの脳内を支配していった(後ろ向きとはいったが、そこまで的外れな予想でもないことはダラ自身が十分理解していることであり、そのためその思考が思考をするところの大半を支配するのは容易かった)。このままではいけないとは思うものの、草原は見果てず、草原以外のものを見たいというダラの切なる願いを叶える気はこれっぽっちもないようだった。そういう状況で、またこの疲労困憊の身に鞭打って歩き出すということ、それは自分のただでさえ残り少ないかもしれない寿命をさらに縮めるという結果に終わるだけなんじゃないかなとダラは思っていた。一つ目の予想(このままじゃひょっとすると死んでしまうのではないか?)はわりと的を射ていたが、残念ながら二つ目の予想(再び歩き出しても死ぬのが早まるだけなんじゃないか?)は間違っていると言わざるを得ない。自分の背後数百メートル先から近づいてくる影に、もしダラが気づいていたのなら、そんな的外れな予測もしないで済んだはずなのに。
だがもっと的外れな予測をした者がいる。それはわたしである。先ほど「ダラの自分と同じ人間に会いたいという願いは、わりと早く叶う」というようなことを述べたのにもかかわらず、「ダラの二つ目の予測は残念ながら間違っている」などと書いてしまった。これはまずい。この二つは密接なかかわりを持っており、そのかかわりによって、ダラは木陰にとどまろうが歩き出そうが、大して寿命の変化を受けずに済むのである。
あと数分後にダラはなにかしら(未設定)に襲いかかられるが、その襲撃は失敗する。そしてその失敗の原因こそ、ダラが待ち望んでいた人間なのだ。




