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隣の席の転校生に"手"を貸したら、片想い中のあの子の推しになっていた  作者: 富益 啓


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2/13

第2話 好きな子の推しは、俺の手でした

 好きな子の待ち受けが、自分の手だった。

 この状況に名前をつけられる人がいたら、教えてほしい。


 ホームルームが始まる前、俺は隣の席に体を寄せて、声を落とした。


「湯乃宮」

「はい」

「長谷川の待ち受け、昨日のあれだった」


 湯乃宮は教科書をそろえる手を止めて、ゆっくり一度、瞬きをした。


「……そうですか」


 それから、真顔のまま言った。


「作者としては光栄で、共犯としては怖いです」

「俺は怖いしかない」

「被写体なので」


 慰めになっていない。


 背中のほうから、ページをめくる音がする。長谷川はいつもどおり、静かに本を読んでいる。

 あの子のスマホの中に、俺の手がいる。

 考えないようにすればするほど、右手の置き場が分からなくなった。


   *


 昼休み。

 湯乃宮が鞄から弁当を出しかけたところで、後ろから椅子を引く音がした。


「あの……湯乃宮さん」


 長谷川だった。

 弁当箱を両手で持って、湯乃宮の机の横に立っている。声が小さい。俺に話しかけるときほどではないけれど、小さい。


 長谷川は、昼はたいてい、自分の席で本を読みながら一人で食べている。友達がいないわけじゃない。休み時間には、女子の友達と普通に話して、普通に笑っている。

 口数が極端に減るのは、俺の前でだけだ。少なくとも、俺にはそう見える。だから俺は、たぶん自分は嫌われているのだろう、と思ってきた。

 その長谷川が、転校生を昼に誘っていた。


「お昼、よかったら……一緒に、どう、かな」


 湯乃宮が、一瞬固まった。

 それから、ふわりと笑った。


「はい。ぜひ」


 長谷川は自分の椅子を引っぱってきて、湯乃宮の机に寄せた。

 つまり、俺の隣の隣に、長谷川がいる。距離にして、腕一本と少し。

 いつも一緒に食べている友達は、今日に限って委員会でいない。俺は購買のパンの袋を開けて、文庫本を開いた。読めるわけがなかった。


「あの、湯乃宮さんと、日谷沢くんって」


 自分の名前が出て、パンを喉に詰まらせかけた。


「転校する前から、知り合いだったの?」

「いいえ」


 湯乃宮は、迷わずに答えた。


「昨日の帰りに、困っていたところを助けてもらったんです」

「……そっか」


 長谷川はそれだけ言って、卵焼きを口に運んだ。

 転校生のことが気になるのは分かる。初日から隣の席の男子と普通に喋っているのを見れば、そりゃ気にもなる。俺の名前が出たのは、たぶんついでだ。


「湯乃宮さんは、休みの日とか、何してるの?」

「写真を撮るのが好きで」


 その瞬間、長谷川の目の色が変わった。


「写真!」


 声が、一段高くなった。


「じゃあ、これ知ってる?」


 長谷川がスマホを取り出して、画面を湯乃宮に向ける。

 俺の位置からも、見えてしまう。

 『放課後の余白』のプロフィール画面だった。


「……はい。知っています」


 湯乃宮の返事は、完璧に平静だった。さすがだ。


「ほんと? 私ね、中学のときからずっと見てて。でもね、昨日のが、もう本当に、本当にすごくて」


 長谷川が画面をタップする。昨日の写真が、大きく映る。

 紙コップと、俺の手。


「今まで、人が一回も写ってなかったの。それが初めて、手が写ってて。見て、この手の人、指が長くて、でも細すぎなくて、小指で底を支えてるでしょ。こういう持ち方をする人って、相手の分までこぼさないように気をつける人だと思う。それにね、手が、隣のコップのほうにちょっとだけ向いてるの。待ってるんだよ、たぶん。もう一人が飲み終わるのを」


 早口だった。

 長谷川がこんなに喋るのを、俺は初めて見た。

 中二のころから、俺の前ではいつも「うん」と「そう」と「……ありがと」くらいしか言わない長谷川が、身を乗り出して、目をきらきらさせて、止まらない。


「それで、この一文」


 長谷川は、画面の文字をそっと指でなぞった。


「『飲む速さも違う二人、でいいんじゃない?』って。……こういうことを言える人、好きだな」


 ――俺は、パンを置いた。

 そっと、両手を机の下に隠した。


 好きな子が、好きだと言った。

 俺の手と、俺の言葉を。

 そして俺は、一ミリも名乗れない。


 湯乃宮は湯乃宮で、静かに追い詰められていた。


「湯乃宮さんは、どの写真が好き?」

「え、ええと」

「私、これも好き。この夕方の光、すごくきれいだよね」


 長谷川が、少し前の投稿を開く。

 窓辺の机に、西日がまっすぐ差し込んでいる写真だった。


「そこ、三日待っ……」


 湯乃宮の口が、止まった。


「……待てば、撮れると、思います」

「え?」

「なんでもありません。天気の話です」


 天気の話ではない。三日待ったんだ、あの光を。

 褒められて嬉しいのと、作者だと言えないのとで、湯乃宮の顔は見たことのない形にゆがんでいた。思わず肩を震わせた俺の足に、机の下から湯乃宮の上履きがこつんと当たった。


 予鈴が鳴った。

 長谷川がはっとして顔を上げる。その目が、隣の席の俺のところで止まった。

 ……ずっとそこにいたことに、今気づいたらしい。


 長谷川の顔が、みるみる赤くなった。

 何も言わずに椅子を戻して、自分の席に座る。真後ろから、本を開く音がした。逆さまに開いていないといいけど。


   *


 六時間目のホームルームは、文化祭の担当決めだった。


「出し物は、一学期に決めたとおり読書喫茶です」


 教壇に立ったのは、学級委員と文化祭実行委員を兼ねる佐伯千景(さえきちかげ)だ。手には、びっしりと書き込まれた手書きの進行表。


「今日は担当を決めます。展示する本を選ぶ係、広報の写真を作る係、教室の展示を組む係。まず、選書から」


 すっと、一本の手が挙がった。

 長谷川だった。


 俺も、手を挙げた。

 理由は、言うまでもない。


 佐伯は進行表にペンを走らせながら、俺を一瞥した。


「立候補の理由は聞きません。工程に関係ないので」

「……助かる」


 広報写真は、湯乃宮が「写真が好きなので」と手を挙げて、すんなり決まった。

 佐伯は残りの担当を手際よく割り振って、最後に付け足した。


「掲示の印刷は、写真部に相談しておきます。選書の作業は明日の放課後、図書室で。以上」


 明日の放課後。図書室。長谷川と。

 心臓が、工程表にない動きをした。


   *


 放課後。昨日と同じ、通学路の広場のベンチで、湯乃宮がスマホを見せてきた。


「昨日の投稿です」


 数字の桁が、俺の知っている世界と違った。


「過去最高です。それで、こういう声がとても多くて」


 コメント欄を、湯乃宮の指がスクロールしていく。


『次も、あの手で』

『手の人の放課後、もっと見たい』

『手、レギュラーでお願いします』


「レギュラー」

「レギュラーです」


 湯乃宮は膝の上で手をそろえて、まっすぐ俺を見た。


「日谷沢くん。週に一度、放課後に、手を貸してください」

「……代わりに?」

「代わりに」


 一拍おいて、湯乃宮は言った。


「長谷川さんと話せるように、私が演出します」

「演出って何するの」

「まず光です」

「光」

「人は、光の当たり方で印象が三割変わります」


 三割。根拠は分からないけど、言い切られると妙に説得力がある。


 俺は少し考えた。

 好きな子の推しを、俺が続ける。冷静に考えると、かなりおかしい。

 でも湯乃宮は困っていて、俺には手がある。


「条件がある」

「はい」

「顔とか、俺だって分かるものは写さない。あと、嫌になったらいつでもやめられる」

「当然です」


 湯乃宮は即答して、少しだけ表情をゆるめた。


「最初から、そのつもりでした」


 撮影の日程を決めるために、連絡先を交換した。

 そのまま、二枚目を撮った。湯乃宮が鞄から出した無地の布をベンチに敷き、その上で、カバーを外した文庫本のページを、俺の手が押さえる。題名も、背景も写らない。

 撮り終えた湯乃宮は、画面を見て小さく頷いた。


「……本、似合いますね。その手」

「褒めてる?」

「記録です」


 広場を出て駅へ向かう途中、湯乃宮がぽつりと言った。


「四回転校して、二日目にお昼に誘われたのは、初めてです」


 前を向いたままの横顔だった。


「じゃあ今日は、記念日だな」

「記念日」


 湯乃宮は、その言葉を確かめるみたいに繰り返して、笑った。


「記念日なら、撮っておけばよかったです」


 何でも撮る人なのに、と思った。

 何でも撮る人の、自分の記念日の写真は、どこにあるんだろう。


   *


 その夜、湯乃宮から連絡が来た。


『明日の演出プランです』

『①窓側の席で

②逆光は表情が柔らかく見えます

③話題は本

④手の癖は出さないでください』


 少し間があって、もう一通。


『長谷川さんは、あの手のファンです』


 知ってる。今日、目の前で聞いた。


 俺はスマホを置いて、天井を見た。

 好きな子の前で、好きな子の推しを隠す。

 明日の俺の仕事は、それらしい。

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