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隣の席の転校生に"手"を貸したら、片想い中のあの子の推しになっていた  作者: 富益 啓


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12/13

第12話 手の写真は、今日で最後です

 火曜日の放課後。


 駅の向こうまで歩く間、湯乃宮は、第二部の演出プランの進み具合を確認してきた。


「①、今朝の挨拶はどうでしたか」

「顔、見て言えた。たぶん」

「たぶん」

「途中で目、そらした」

「次は最後まで」

「厳しいな」

「②、メッセージは」

「週末、POPの修正で何往復か」

「何往復ですか」

「……数えてない」

「数えてください。工程管理です」


 いつもの湯乃宮だった。

 少なくとも、そう見えた。


 着いたのは、古い歩道橋だった。

 階段を上りきると、線路と、その先の住宅街と、低くなった太陽が一度に見えた。手すりの塗装はところどころ剥げていて、下を電車が通るたびに、足もとがかすかに揺れる。


「いい場所だな」

「はい。夕方の光が、まっすぐ入るので」


 湯乃宮はトートバッグから、紙コップを一つ取り出した。

 二つじゃなく、一つ。

 橋の上の、通路が少し広くなった端に、持参した小さな折り畳み台を広げる。人が通るところも、階段の出口も塞がない、柵の内側だ。紙コップを台に置き、風に飛ばされないよう指で押さえてから、湯乃宮は俺のほうを向いた。


「撮る前に、話してもいいですか」

「うん」

「手の写真は、今日で最後にします」


 電車が、下を通った。

 足もとが揺れて、空の紙コップの底が、少しだけ光った。


「……え」

「すみません。急に」

「いや、急っていうか。なんで」


 湯乃宮は、手すりに手を置いた。言葉を一つずつ確かめるような話し方だった。


「長谷川さんが、手を見ています。先週、日谷沢くんも言っていましたよね。やたら見てくるって」

「言ったけど」

「日谷沢くんは、聞かれたら、嘘をつかないんですよね」

「……つかない」

「だから、です。これ以上続けたら、いつか聞かれます。聞かれたら、日谷沢くんは答えます。それは、日谷沢くんにとっても、長谷川さんにとっても、急すぎると思います」


 筋は通っていた。

 湯乃宮の話は、いつも筋が通っている。


「それに」


 湯乃宮は、少しだけ笑った。


「もう、演出がなくても話せていますから。連絡先も交換して、お昼も一緒に食べて。監督の出番は、あまりありません」


 それも、本当のことだった。

 本当のことしか言っていないのに、何かが足りない気がした。湯乃宮の写真には、いつも、最後の一枚まで全部がちゃんと写っているのに。


「湯乃宮は」


 俺は聞いた。


「それで、いいの?」

「はい」


 湯乃宮は、すぐに答えた。


「慣れていますから」


 ――慣れています。


 転校初日の自己紹介。肩が上がるほど深く息を吸ってから言った、「慣れています」。

 先週の木曜日、一日で四回聞いた「慣れています」。

 昨日の昼、「放課後の席はなかった」のあとに付け足した「慣れていますから」。


 この二週間で、俺は知ってしまった。

 湯乃宮がその言葉を言うのは、たいてい、慣れていないときだ。


 でも、それを言って、どうなるんだろう。

 湯乃宮が決めたことだ。理由も、筋が通っている。それを押し返すだけの言葉を、俺は持っていなかった。


「……分かった」


 それしか、言えなかった。


「『余白』は、続けるんだよな」

「はい。手が写らないだけです。前に、戻るだけ」


 前に戻る。

 二人分のコップを、一人で並べて撮っていた頃に。

 湯乃宮はそれを、何でもないことみたいに言った。


「演出の第二部は?」

「それは、続けます」


 湯乃宮は、すぐに答えた。


「撮影がなくなるだけです。監督は、やめません。文化祭の日まで、ちゃんと」


 撮影はやめるのに、演出は続ける。

 俺のためのほうだけ、残す。

 それが湯乃宮らしいのか、らしくないのか、俺にはもう分からなかった。


   *


「最後の一枚は」


 湯乃宮が、紙コップを手に取った。


「私が撮りたいものを、撮ってもいいですか」

「もちろん」

「日谷沢くんの手が、紙コップを置いて、離れていくところ」


 湯乃宮は、紙コップを撮影用の台に戻した。


「最初は、日谷沢くんの手が、紙コップを持ち上げたところでした。だから最後は、置くところで」


 置いて、離れていくところ。

 湯乃宮は、ペットボトルの水を、紙コップに少しだけ注いだ。


「風で倒れないように。……置いたあとも、少しだけ重さが欲しいので」


 俺は紙コップを持った。水の重さが、指に少しだけかかる。いつもどおり、小指で底を支えて。


「湯乃宮」

「はい」

「最後なら、湯乃宮も写れば? 影でも、手でも」


 先週、河原で言ったのと同じことを言った。

 湯乃宮はスマホを構えたまま、首を横に振った。


「今日は、撮る側でいさせてください」


 静かな声だった。

 それ以上、何も言えなかった。


「ゆっくり、置いてください。置いたら手を離して、そのまま後ろへ」


 言われたとおりにする。

 紙コップを台に近づける。側面をほかの指で支え直して、小指を底から抜く。底が台に着いてから、手をゆっくり離した。


 ぱしゃり。


 電車が、また下を通った。

 水面が、かすかに震えた。シャッターが止まると、湯乃宮はすぐに紙コップを押さえた。


 撮った写真は、いつものように二人で確かめた。

 夕方の光。無地の台の上の、紙コップが一つ。画面の端に、離れていく指先が、少しだけぼやけて写っている。

 顔も、場所の目印も、写っていない。手すりも、線路も、画面の外にしてある。歩道橋だと分かるものは、何もない。


「……ありがとうございました」


 湯乃宮が、頭を下げた。


「二週間、手を貸してくれて」


 改まって言われると、どう返せばいいのか分からなかった。


「こっちこそ。……演出、ありがとう」

「どういたしまして」


 湯乃宮は、顔を上げて笑った。

 それは、いつもの、慣れている人の笑い方だった。


 台をたたんで、帰りの階段を下りる前に、湯乃宮は一度だけ、さっきの場所を振り返った。

 もう、紙コップは鞄の中なのに。


 駅で別れる前に、湯乃宮が言った。


「来週の火曜日は、ゆっくり帰ってください」

「……うん」

「明日の買い出し、③を忘れないでくださいね。歩く速さ」


 最後まで、監督だった。


   *


 その夜、四枚目が上がった。


 ――手の写真は、今日で最後です。手を貸してくれた人に、ありがとう。


『え、最後!?』

『手の人ロス……』

『最後が「置いて離れる手」なの、天才すぎてつらい』

『ありがとう、手の人』


 コメント欄は、すぐに埋まっていった。

 俺はベッドの上で、その写真を何度も見た。離れていく、自分の指先。


 スマホのカレンダーを開く。

 毎週火曜日に、「撮影」と入れてあった。繰り返しの予定。

 消すボタンに指をのせて、しばらく、押せなかった。


 来週の火曜日の放課後のことを考えた。

 何も予定がない。

 二週間前までは、それが普通だったはずなのに。


 来週の火曜日の放課後が、空いた。


   ◆ 長谷川向葵


 最後、だって。

 画面がにじんで、自分が泣いていると気づいた。


 手の人が、いなくなる。

 紙コップを置いて、離れていく指。ぼやけた指先の中で、小指だけが少し曲がっている。さっきまで底を支えていたみたいに。


 どうして、急に最後なんだろう。

 私が、湯乃宮さんに話したから?

 ……ううん。湯乃宮さんは、関係ない。写真に詳しいから、相談しただけ。


 それより。

 手の人は、写真の中からはいなくなるのに、明日も、教室にはいる。

 明日も、日谷沢くんの手は、プリントを回してくれる。


 それが、少しだけ不思議で。

 少しだけ、嬉しかった。


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