第11話 監督は、演出をやめない
月曜日の湯乃宮は、完璧だった。
「おはようございます」のお辞儀は、先週の木曜日みたいに深すぎず、浅すぎず、ちょうどいい。髪は一本も乱れていない。鞄から教科書を出す手つきまで、教本どおりだった。
そして席に着くなり、一枚の紙を俺の机に置いた。
「第二部の、演出プランです」
見出しには、こう書いてあった。
『第二部 目標:文化祭当日、長谷川さんを「一緒に回ろう」と誘う』
俺は、紙を持ったまま固まった。
「……なんで知ってるの」
「何をですか」
「それ、俺の目標」
誰にも言ったことはない。言ったことはないが、中二から、文化祭が来るたびに考えてきたことだ。中学の文化祭は二回とも、考えただけで終わった。
「見ていれば、分かります」
湯乃宮は、さらりと言った。
「連絡先は交換できました。次は、文化祭です。当日まで、あと三週間と少し。工程としては、ぎりぎり間に合います」
「佐伯みたいなこと言うな」
「佐伯さんの進行表を、参考にしました」
プランは、①から⑫まであった。
①毎朝の挨拶を継続(顔を見て)。②POPの修正をきっかけに、メッセージを一日一往復。③買い出しでは、歩く速さを合わせる……。
細かい。先週の『連絡先交換・演出プラン』の倍はある。
さらに下のほうには、こうあった。
⑦誘う台詞は、事前に三パターン用意する。(※十二パターンは多すぎます)
「……なんで十二」
「先週、撮影の帰りに自分で言っていました。最初の朝は、挨拶を十二通り考えて、全部消えたって」
言った。気が緩んで、そこまで話してしまった。
監督は、被写体の失敗談まで正確に記録していた。
「湯乃宮、なんか、気合い入ってない?」
「監督なので」
湯乃宮は、いつもの穏やかな顔で笑った。
いつもより、ほんの少しだけ、笑うのが早かった気がした。
*
朝のホームルームで、佐伯が進行表をめくった。
「水曜日の放課後、読書喫茶の買い出しに行きます。紙コップ、テーブルクロス、ブックスタンド、メニュー用の厚紙。担当は選書の二人と、広報写真と小物を兼ねている湯乃宮さん」
三人。
水曜日の放課後、長谷川と、湯乃宮と、三人で。
「あの」
湯乃宮が、手を挙げた。
「すみません。水曜日は、写真部に用事があって」
「写真展の件?」
「はい。過去の展示の記録を、見せてもらう約束をしています」
佐伯は進行表を一秒見て、ペンを動かした。
「じゃあ、選書の二人で。工程上、問題ない」
問題ない。
佐伯にとってはそうだろう。俺にとっては、大問題だった。
長谷川と、二人で、放課後に、買い物。
振り向きたいのを、こらえた。背中の向こうで、長谷川がシャープペンを落とす音がした。
隣を見ると、湯乃宮は前を向いたまま、プランの紙の③に、小さく丸をつけていた。
一時間目が終わると、背中を、シャープペンの頭でとん、とつつかれた。
振り向く。長谷川が、さっき落としたシャープペンを両手で握っていた。
「……水曜日、よろしく、お願いします」
「こ、こちらこそ。よろしくお願いします」
敬語だった。二人とも。
隣で、湯乃宮が教科書のページをめくる音がした。
*
昼休み。
湯乃宮の机に、長谷川が椅子を寄せる。この二週間で、すっかり見慣れた景色だ。
俺はパンの袋を開けて――
「日谷沢くんも」
長谷川の声がした。
「……一緒に、どう、かな」
二週間前、湯乃宮を誘ったときと、同じ言い方だった。
同じ言い方で、今度は、俺に。
「い、いいの?」
「……湯乃宮さんが、いいなら」
「どうぞ」
湯乃宮が、自分の机の端を少し空けた。
三人で、一つの机を囲む。狭い。長谷川の弁当箱と、湯乃宮の弁当箱と、俺のパン。
いつも一緒に食べている友達は、遠くの席から親指を立てていた。余計なお世話だ。
「日谷沢くん、今日もそのパンなんですね。毎日、同じです」
湯乃宮が、俺の手もとを見て言った。
「好きなんだよ、これ」
「……知ってる」
長谷川が、小さく言った。
俺と湯乃宮が、同時に長谷川を見た。
「あ、ちが、その。……よく、食べてるから」
長谷川は、弁当箱のふたで顔を半分隠した。
よく見ているんだな、と思った。後ろの席だから、たぶん、パンの袋もよく見えるのだろう。
湯乃宮は、なぜか少しだけ目を伏せて、卵焼きを口に運んだ。
話題は、自然と買い出しのことになって、それから文化祭のことになった。
「湯乃宮さんの前の学校の文化祭って、どんなだった?」
長谷川が聞いた。
湯乃宮は、卵焼きを箸で持ったまま、少しだけ考えた。
「……ちゃんと見られたことが、あまりなくて」
「え?」
「いつも、文化祭の前か後に転校していたので。準備だけ手伝って、当日はもういなかったり。当日だけ来て、何も分からなかったり」
穏やかな声だった。
湯乃宮は、卵焼きを口に運んでから、続けた。
「どの学校にも、私の席はありました。でも、放課後の席は、なかった気がします」
長谷川が、箸を止めた。
俺も、パンを持ったまま止まった。
「……あ、でも」
湯乃宮は、ふっと笑った。
「慣れていますから」
長谷川は何か言いかけて、やめた。
代わりに、自分の弁当箱からミニトマトを一つつまんで、湯乃宮の弁当箱に移した。
「……あげる」
「え」
「放課後じゃないけど。お昼の席は、ここにあるから」
湯乃宮は、ミニトマトを見下ろして、しばらく何も言わなかった。
それから、小さく「ありがとうございます」と言って、ゆっくり食べた。
俺は、さっきの言葉を、頭の中で繰り返していた。
席はあった。放課後の席は、なかった。
覚えておこうと思った。なぜかは分からない。ただ、聞き流してはいけない言葉のような気がした。
*
放課後、明日の撮影の段取りを確認した。
場所は、湯乃宮が先週挙げた三つの候補のうちの一つ。駅の向こうの、古い歩道橋。
「時間は、日の入りの三十分前で」
「了解。……水曜日、写真部って、写真展に出すの?」
「まだ、見学です。出すかどうかは、記録を見てから決めます」
「そっか。……湯乃宮」
「はい」
「今日のトマト、よかったな」
湯乃宮は、一瞬だけ目を丸くした。
「……はい」
鞄を持ち上げたとき、湯乃宮の手と、俺の手がぶつかりそうになった。
湯乃宮は、さっと手を引いた。
ほんの一瞬のことだった。
今までなら、「監督が一番動揺してる」と言えたかもしれない。でも今日は、言えなかった。引っこめた手の速さが、なんだか冗談にできない速さだった。
◆ 湯乃宮穂花
家に帰って、第二部の演出プランを見直した。
①から⑫まで。どれも、ちゃんと考えた。日谷沢くんが、文化祭の日に、長谷川さんを誘えるように。
長谷川さんは、今日、日谷沢くんをお昼に誘った。
二週間前、私を誘ってくれたときと、同じ言い方で。
あの二人は、ちゃんと前に進んでいる。私の演出なんか、なくても。
ミニトマトは、少しだけ甘かった。
日谷沢くんのパンを「知ってる」と言った長谷川さんの、本当の理由。
あの机で、それを知っていたのは、私だけだった。
放課後、手がぶつかりそうになって、引っこめた。
触れたら、たぶん顔に出る。一週間前の私なら、「光の加減です」で済ませられた。今は、きっと済ませられない。
監督は、現場で動揺してはいけない。
それでも、プランは最後まで作る。
日谷沢くんの恋を、最後まで、ちゃんと演出する。
それが、私がここにいる理由だから。




