本物皇妃の三つ指お出迎えに、現代夫の惚れ直しメーターが爆速で限界突破いたしました
――ところ変わって、こちらは現代の日本。
東京のありふれた一軒家。
辺りは暗くなり始め、外を歩くのは犬を散歩させる人たちや塾帰りの子供たち。
あちらこちらで夕食の匂いが漂い始める、いつもと変わらない日常だった。
鈴木家の玄関を除いては。
「な、何をしているの、あなた!?」
夕方のリビングに、鈴木家の姑・トシ子の素っ頓狂な悲鳴が響き渡った。
和子が凝視する視線の先、玄関マットのすぐ手前で、
嫁が文字通り「平伏」していた。
艶やかな髪を上品にまとめ、仕草の一つ一つから隠しきれない
ノーブルな気品を漂わせている彼女の名は、鈴木恵美子。
……の、中身にカチリと入れ替わっている、
本物の異世界帝国皇妃、エリザベートである。
エリザベート/恵美子は両手の親指、人差し指、
中指の三本の指を綺麗に床につき、流れるような動作で頭を下げていた。
いわゆる、日本の伝統的な「三つ指をついてのお出迎え」の姿勢だ。
「お義母様、お騒がせして申し訳ございません。ですが、
我が夫が間もなくお戻りになりますゆえ、やはり妻として、
一日の労働を終えて帰還する家長を最大限の敬意をもってお迎えするのは、
当然でございましょう」
(な、なんなのよ、この子……!?)
姑のトシ子は完全に引いていた。
いつもなら、「私も働いているんですから、何もかも完璧にやれったって、
お義母さん、それは無理というものでしょう」とか、
自分も家計を「かなり」助けているんだからとかエラそうに言って、
自分の権利を主張する。そこで和子はカチンときて、ちょっとだけ言い返し、
そうすると嫁がさらに言い返し――というのが日常茶飯事だったではないか。
仕事帰りにボサボサの頭で「あー、疲れた! お義母さん、
晩ご飯適当に冷凍食品でいいですよねー? 最近の冷凍食品って凄く美味しいし」
などと図々しくのたまう、可愛げのないバカ正直な娘だったはずなのだ。
それがどうだ?
このところ自分を「お義母様」と呼び(最初は聞き間違いかと思ったが、
どうやらそうではなかった)、凛とした、
どこか見惚れてしまうほど優雅な声を発し、完璧すぎる所作と、
妙にクラシカルな覚悟を醸し出している。
いや、そんなことあるわけない、と、トシ子は完全に引いていた。
とにかく嫁の様子が変なのだ。
昨日、最恐の天敵(と和子が勝手に思っている)である自分に対して、
妙に優しく微笑みかけてきた。
その前にはなんと、いつものように嫌がることなく、スーパーに同行した。
そして半額シールの肉を見て涙していた。
熱でもあるのかと思ったが、
今度はなんと自宅でこのような光景を目にすることになるとは。
「……あなた、何か企んでいるの? いつもと違ってバカに素直…と言うか…
私を油断させて、何か高いものでも買わせる気?」
「滅相もございません。お義母様のご指導のおかげで、
私もようやく『ヤマトナデシコ』の真髄を理解し始めたまでにございます」
真っ赤な嘘である。
エリザベートはただ単に、異世界の宮廷で皇帝を出迎える際のプロトコル(儀礼)を、
テレビの時代劇やワイドショーで見た知識と融合させ、
全力で体現しているだけだった。
和子は腕を組み、怪訝そうにエリザベートを見下ろす。
その時、ガチャリと玄関の鍵が回る音がした。
「ただいまー。あー、今日もくたびれたよ……」
鈴木洋介が、ネクタイを緩めながらドアを開けた。
靴を脱ごうと一歩足を踏み入れた、その瞬間。
「お帰りなさいませ、あなた。今日一日の国政――
いえ、お仕事へのご尽力、誠に頭が下がります。
どうぞ、お疲れを癒やしてくださいませ」
玄関照明の光を浴びて、信じられないほど神々しい笑みを浮かべた妻が、
床に三つ指をついて自分を仰ぎ見ている。
「へっ……!? え、えええええええええええっ!?!?
え、え、えみちゃん!?」
洋介は心臓が飛び出るかと思うほど驚き、
本能なのか、飛び出しそうな心臓を庇ってか自分の胸を抑え、
持っていたビジネスバッグをポトリと床に落とした。
いつもなら「おかえりー、手洗ってねー」とキッチンから声が飛んでくるだけだ。
なのに、突如として舞い降りた「完璧な大和撫子」……。
「な、な、なんなの、これ? どうした? ハロウィーン?」
「何をおっしゃいますの」
妻のおでこが床につきそうになった。
そしてゆっくりと自分を見上げ、天使のように微笑む。
あまりの美しさと、全肯定される全能感に、
洋介の心臓は爆速でバックバクと跳ね上がり始めた。
結婚して数年、すっかりマンネリ化していたはずだった。
しかし今この瞬間、洋介の頭の中でド派手なファンファーレが鳴り響き、
鮮烈な「惚れ直しメーター」が限界突破の音をがなり立てていた。




