4.ギトギトの宮廷料理にダメ出ししたら、プライド高き頑固料理長が出汁の前に膝をついた件
皇太后ソフィア様を減塩スープでおかわりさせた翌朝。
あの表情の変わりようを思い出して一人笑いしながら、
私は早朝の宮廷大厨房へと乗り込んでいた。
立ち込めるのは、牛脂とバターが焦げ付いた重苦しい匂い。
いや、こっちの料理も美味しいのよ? マジで。
フルボディの赤ワインとか、
キリっと冷えたシャブリといただくと凄く美味しくて、
新橋にでも店を出したら結構流行ると思う。
そう思うんだけど、朝からこれってのはちょっとねえ……。
銅鍋がガシャガシャと音を立てる戦場のような厨房で、
巨大な肉の塊に塩をこれでもかと擦り込んでいた大男、
宮廷料理長のボリスが、私を見て丸太のような腕を組んだ。
「……皇妃様がこんな油臭い場所に何の用ですかい?
昨日のような『泥水スープ』なら、
二度と作らせやしませんのでご勘弁ください」
ああ、知らないって不幸だな。
ボリスの眼光は鋭い。
歴代皇帝の胃袋を支えてきたという自負が、
全身からトゲのように放たれている。
だが、元・中間管理職の私の目は誤魔化せない。
「ボリス料理長。単刀直入に言いますけれど、この厨房、
油と塩を使いすぎていて素材の味が完全に死んでいますわ」
「な、何ですとぉっ!?」
ボリスの顔が茹でダコのように真っ赤に染まり、
厨房の若い料理人たちが一斉に息を呑んだ。
「帝国の料理は力強さと豪壮さが命だ!
濃厚なバターと塩分こそが皇帝陛下の活力になる!
失礼を承知で言わせてもらいますけど、田舎貴族の小娘に、
伝統ある宮廷料理の何が分かるってんだ!」
怒声が厨房に響き渡る。
フン。
そんなんで私が引き下がるとでも?
クレーム対応の基本その二。
相手のプライドを頭ごなしに否定せず、
「より高い次元の価値」を提示して誘導する。
「ええ、伝統は素晴らしいわ。でもね、ボリス料理長。
朝からこんなギトギトの肉料理を出されたら、
陛下も貴族たちも昼前には胃もたれで仕事になりません。
現に陛下、最近毎朝のように胸焼けを訴えていらっしゃるでしょう?」
「う……そ、それは……」
図星だったらしく、ボリスがわずかにたじろいだ。
「伝統とは、人を苦しめるためのものではなく、人を活かすためのもの。
そうですわね? あなたほどの腕なら言わなくてもわかるでしょうけど。
……厨房をお借りしますわよ。本物の『旨味』というものを教えて差し上げます」
私は袖をまくり、手早く鍋に湯を沸かした。
用意したのは、昨日厨房の片隅で発見した干し椎茸と昆布に似た乾燥海藻、
そして新鮮な豚バラ肉と大根、人参、牛蒡。ごま油で具材を香ばしく炒め、
黄金の合わせ出汁を一気に注ぎ込む。
最後に麦味噌に似た発酵調味料を溶き入れれば――特製・宮廷豚汁の完成だ。
ふわあっと、厨房いっぱいに芳醇で香ばしい、どこか懐かしい湯気が広がる。
荒くれ者の料理人たちの鼻が、一斉にピクピクと動き出した。
「な、なんだこの香りは……? 油くささが消えた!」
「胃の奥が刺激されるようだ……」
私は木製のお椀に具だくさんの豚汁をよそい、ボリスの前に差し出した。
「どうぞ。塩分はいつもの三分の一。ですが、旨味は十倍ですわ」
「ふ、ふん……! 薄味のスープなんぞで、
このボリスの舌が納得すると思わんでください……!」
ボリスは毒づきながらスプーンで汁をすくい、豪快に口へと流し込んだ、
その瞬間。
ボリスの巨体が、雷に打たれたようにビクンと跳ねた。
「な……っ!? 肉の脂が……出汁の深みと合わさって、全く重くない……!?
噛むごとに野菜の甘みが溢れ出して……身体の芯から温まる……っ!」
スプーンが止まらない。 大男が無我夢中で具材をかき込み、
最後の一滴まで椀を飲み干した。
「……う、うめぇ……。なんだこれは……俺が今まで作ってきた料理は、
一体何だったんだ……!」
ガタリ、と膝をついたボリスは、涙目で私を見上げ、床に頭を擦りつけた。
「皇妃様……! いや、師匠とお呼びしてもよろしいでしょうかッ!?
俺に……俺たちに、その『出汁』の極意を教えてくださいッ!」
厨房の荒くれ者たちが、一斉にボリスに続いて頭を下げた。
よし、宮廷の胃袋の心臓部は完全掌握。 私は心の中でニヤリと笑った。




