2.毒殺を疑うマザコン皇帝と、無言でおかわりを要求する最恐姑
「エリシア! 母上を毒殺するつもりか!?」
夫である皇帝フランツの情けなく裏返った声がサロンの空気を切り裂く。
私の目の前では、差し出された白磁のスープボウルを前に、
皇太后ソフィア様が般若のような表情で固まっている。
湯気と共に立ち上るのは、かつお節と昆布を贅沢に使った、
日本人なら誰もが DNA レベルで安心する黄金出汁の香りだ。
だが、ここの住人たちにとっては未知の脅威らしい。
「母上! 口をつけてはなりません! このような得体の知れない濁った湯、
帝国の伝統ある宮廷料理への冒涜です!」
「あなた、ちょっと黙っててくださる?」
私は夫の騒音を右手でサッと遮った。
クレーム対応の基本その一。
興奮状態の第三者はまず会話の輪から除外する。
「お義母様。このスープにはですね、塩分を体外へ排出するカリウムが豊富な
根菜と、荒れた胃腸を修復する食物繊維がこれでもかと溶け込んでおります。
朝から濃厚なバターと羊肉ばかり召し上がっているから、
そんなにお顔がくすんでいらっしゃるのです」
「く、くすんで……!? この私に向かって、なんという無礼を……!」
扇子を持つソフィア様の指先が怒りでわなわなと震える。
だが、視線はボウルから離れない。
そりゃそうだ。宮廷のくどい脂っこい匂いに慣れた鼻腔に、
澄み切った和風出汁の香ばしさは強烈な飯テロ以外の何物でもないはずだ。
「さあ、お義母様。一口だけで結構です。嫁の毒殺計画か、
それともただの親切心か、帝国の頂点に立つその聡明な舌で
お確かめになってはいかがです?」
「……言われずとも!」
挑発に乗ったソフィア様が、銀のスプーンを乱暴に手に取った。
フランツが「母上、おやめください!」と悲鳴をあげる中、
スプーンが琥珀色のスープをすくい、その威厳ある唇へと運ばれる。
ごくり。
サロン内の侍女たち全員が息を呑んだ。
――その瞬間。
ソフィア様の動きが、ピキリと静止した。
見開かれた青い瞳。 眉間の深いシワが、ふっと消滅する。
(よし、効いた)
昆布のグルタミン酸と鰹節のイノシン酸による旨味の相乗効果。
そして、大根と人参から溶け出した優しい甘み。
朝から脂っこい重労働を強いられていた五臓六腑に、
熱々の出汁が染み渡っていくのが一目瞭然だ。
ソフィア様は無言のまま、二口目を口へ運んだ。
続いて三口目、そして四口目。
銀のスプーンが動く速度が、どんどん上がっていく。
「は、母上……!? だ、大丈夫ですか!? 今すぐ解毒剤と侍医を――」
ソフィア様が息子の方を向いて冷たく言い放つ。
「……フランツ」
その顔には、先ほどまでの刺々しさは微塵もなく、
どこか恍惚とした赤みが差している。
「……うるさいですよ。少し黙りなさい」
「は、はいっ!?」
そして、空っぽになったボウルをカトリとソーサーに戻すと、
ソフィア様は扇子で口元を隠し、すっと目を逸らしながら小さく呟いた。
「……悪くありませんでした。その……もう一杯、所望します」
「母上ぇぇぇぇっ!?」
情けない絶叫をあげる夫を尻目に、私は完璧な営業スマイルで一礼した。
「かしこまりました、お義母様。おかわりは食物繊維多めでご用意いたしますね」
私は心の中でVサインをした。




