愛しの皇妃との再会、そして宿敵発見
(ゼンちゃん? どうしたの?)
「ゼンちゃん、何してるの。行くわよ」
トイプードルのゼンに周囲の声は聞こえていない。
なぜなら、彼の中では時が止まっていたから。
(……嘘だろ。まさか。そんなはずがない。
なぜ彼女がこんな東洋の異国の、朝の公園にいるんだ!?)
目の前が真っ白になり、俺の小さな四肢は完全に凍りついた。
赤い顔をしてラジオ体操に励む日本人女性。
(見た目は日本女性だが、俺にはわかる。
なぜわかるのかは聞かないでくれ。
俺だってわからないんだ。
なぜ今の自分がこのような姿をしているのかもまったくわからない。
唯一わかっているのは、あれが誰かということ。
――皇妃エリザベートだ。間違いない。
……我が愛しのエリザベート。
幼い頃から草花を愛し、動物を愛し――
そう、何頭もの犬や猫たちと一緒に育った心優しい女性。
……ち、ちょっと待て。
彼女は犬猫を心から愛している。
で、今の俺は可憐なトイプードルだ。
ということは……
……ようやく思いを遂げる時が来たというのか?
いや、待て、俺。俺は今や愛らしくて愛嬌たっぷり、
世界で一番可愛いイケメントイプードルだ。
どんなにイケメン……であっても、もはや人間の男ではない。
想いを遂げるなんてできっこないだろうが!
しかし、今、目が合った。
俺に――俺だけに微笑んでいる。
何十年ぶりだろう。
一緒に野原を駆け回った頃を思い出す。
青い空、真っ白な雲。
お日様に照らされて絵画のようなグラデーションを見せつける木々。
山の上の方にはまだ雪が積もっていて、
毎日が夢のような子供時代だった――
彼女の母親が突然いなくなったあの日までは。
(……あの……もしもし? ゼンちゃん?)
(……あ、ああ、かっちゃん。なに?)
(「なに」じゃないよ。
どうしたの、幽霊を見たみたいに固まっちゃって)
(……幽霊か。確かにそういう感覚なのかもな)
(え? 上様のことを言ってんの?)
(「上様」か。お前、相変わらず勘がいいな。
彼女、異世界・アーヴィタゼン帝国の皇妃なんだよ)
(アーヴィタゼン帝国? なにそれ)
(……遠い世界なのだよ……)と、
俺は遠くを見つめる目でぼそりと伝える。
(そこの皇妃だって? マジ?)
(そうなんだよ、けいすけ。実は俺も彼女もそこで育ったんだ)
(えええええええっ!?)
(ゼンちゃん、君、転生してきたの? すげえ!)
(別に自分でやったわけじゃないけどね。
気がついたらここでパピーとして生を受けていた)
(いやー、凄いよ。ふうん、異世界か。
僕たちなんて東京とたまーに行く軽井沢……
の隣の御代田しか知らないもの)
そんな犬たちの秘密の会話など露知らず、
飼い主のママたちは「ゼンちゃんどうしたの?」と
最初は気に留めていたものの、
ちょうどラジオ体操が終わったこともあり、
すでにご近所さんたちとあれこれとおしゃべりに熱中していた。
その隙に、俺は張り詰めた糸が切れたように、
吸い寄せられるように恵美子へと近づいていった。
一歩、また一歩とモコモコの足を動かし、ついにその足元へ。
「あら、なんと可愛い子ですこと」
恵美子がしゃがみ込み、俺を見つめ、
細い指先でそっと頭を撫でてくれた。
その瞬間、
俺の全身に電流が走るような激しい感激が突き抜けた。
ああ、この温もり、この優しさ。
間違いなく、俺が子供の頃から愛していたエリザベートだ。
(ゼンちゃん、そんなに感激しているなら、
彼女に君が誰だか言えばいいのに)
足元で小さく震える俺の姿を見て、
かっちゃんが真面目な顔で囁いてくる。
(いや、ダメだ……! 感激しすぎて、
まだ心の準備ができていない……!)
(えー? 別に愛の告白をする訳じゃあるまいし、
名前くらい教えちゃえばいいのに。
ホントの、というか、前の名前)
そんなやり取りをしていると、視界の端で、
けいすけの耳がピクンと跳ねた。
少し先の水溜まりで鳩がパタパタと
気持ちよさそうに水浴びをしているのが目に入ったらしい。
(鳩さんだ! 楽しそう! 僕も遊びたい!)
我慢できなくなったけいすけは、一目散にそっちに向かい、
タッタカタッタカと走り出してしまった。
「あ、コラ、けいすけ! 引っ張らないで!」
かっちゃんの飼い主は必死にリードを引きつつ、
水溜まりの方に急ぐ。
その騒ぎに誘われるように、俺のママもハッとしたようだ。
「私たちもそろそろ公園を回らないと、どんどん時間が経っちゃう。
それじゃあ恵美子さん、トシ子さん、また明日ね」
そして俺のリードをくいっと引く。
待ってくれ、まだ何も伝えていない。まだ触れ合っていたい――。
俺の必死の抵抗も虚しく、
可憐なトイプードルの軽い身体は無慈悲にも引きずられ、
最愛のエリザベートから引き離されてしまった。
後ろ毛惹かれる想いで、
彼女の姿をこの目に焼き付けようとしたその時——
その後方に、他のおじさんたちに紛れて立っている男がいた。
その人物はゆっくりと彼女に歩み寄る。
……おい、妙に馴れ馴れしくないか?
近い。近すぎる。離れろ!
その瞬間、俺の純白の感動は、激しい嫉妬と形を変えた。
(……なんだ、あの男は?
なぜエリザベートにそんな気安く触れようとする?
なぜ亭主ヅラしてそこに立っている!?
許さん。万死に値する……!)
俺には、あの男が何者なのかなど知る由もない。
だが、そんなことは知ったこっちゃない。
俺の最愛の君に馴れ馴れしく触れようとする行為が論外であり、
絶対に許せなかった。
帝国男子としての気高い怒りがいま、
トイプードルとしての「野生の習性」と融合した。
ガルルッ!
俺は低く唸り声を上げると、
ママの油断していた手を振り切るようにして、
その冴えない男の足元をめがけて猛然とダッシュした。
(待っててくれ、エリザベート! 今助ける!)
ママの手からリードがすっぽ抜ける。
俺は一直線に突撃した。
「あら? まあ、プードルちゃんが戻ってきてくれたわ」
俺の殺気に満ちた突進を、
彼女は自分に懐いて戻ってきたと受け止めたようだ。
そしてふわりとしゃがみ込み、
優しい両手で俺のモコモコの身体を受け止めてくれた。
そして彼女はゼンちゃんママに聞く。
「あの、抱っこしてもよろしいでしょうか?」
おお!
「ええ、もちろん!
ゼンちゃんったらこんなにお姉さんに懐いちゃって、もう」
「ありがとうございます。ゼンちゃんというのね。
ゼンちゃん、いらっしゃい」
飼い主のママの許可を得て、
俺の身体はエリザベートの胸元へと抱き上げられた。
その瞬間——。
(……はう……)
至近距離から漂う、懐かしいラベンダーの香り。
腕の温もり(過去に触れたことはなかったが)。
帝国男児としての怒りは一瞬で消え飛び、
俺は完全にデレデレになって脳内がバラ色に染まった。
これだ。
俺はこの感覚に一生浸っていたかったんだ。
至福。ただただ至福の時間が流れる(ものの数秒だが)。
「ふふ、おとなしい良い子ね。じゃあね、ゼンちゃん。
また会いましょうね」
名残惜しそうに、俺の身体がトントンと地面に下ろされた。
地面の冷たさに、俺はハッと我に返る。
(……いかん! 骨抜きになっている場合ではなかった!)
己の失態に焦る俺の視界に、
すぐ隣に立っているあの男が映り込んだ。
男は、抱っこされている俺を見ながら、
実に気持ちの悪いニコニコ顔で佇んでいた。
その顔にはっきりと書いてある。
『いやあ、うちの嫁さんは動物にも優しいなあ。
絵になるなあ。可愛いなあ。俺の自慢の嫁さん』と。
――カチンときた。
誰が、お前の嫁だ。
その能天気なドヤ顔が、
俺のなかの野生の習性を極限まで呼び覚ます。
周囲の人たちが忙しく(?)おしゃべりに興じる中、
俺は音もなく男の足元へと忍び寄り、
その右足のズボンの裾に向けて、
そっと右の後ろ足を跳ね上げた。
「ぎゃああああ!」
男の叫び声が、どこかで発声練習しているらしいじいさんと
張り合うように鳴り響いた。
ゼンちゃん、怒りのちっちストライク……!
「洋介、ドンマイ!」「トイプーナイス!」など
少しでもクスッとしていただけましたら、
画面下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援していただけると更新の励みになります!
よろしくお願いします <(_ _)>




