ザ・モーニング・アフター:気まずい翌朝の乗馬と慇懃無礼なイケメン指揮官登場
人生最大の失態とはまさにこのことである。
あろうことか、超絶イケメンといいムードになった瞬間に
飲み過ぎたツケがまわってくるとは。
天蓋付きベッドの中で私はシーツを頭からすっぽり被り、
悶絶のゴロゴロを繰り返していた。
(穴があったら入りたい……!
いや、掘ってでも埋まりたい……!)
昨日の記憶が、ハイビジョン画質で脳裏に再生される。
極上のウッディな香りを漂わせ、
サファイアブルーの瞳を潤ませて熱を測ってきた、
あの国宝級の美貌——イケメン33号こと、聖騎士団長レオナルド。
吐息が触れ合うほどの至近距離で、
心臓が爆発しそうになったまさにその瞬間。
私の胃袋からせり上がってきたのは甘い恋の吐息ではなく、
ロマナ・コンティエラの二日酔いによる容赦ない吐き気だった。
恐らくこれまで生きてきた中で一番ロマンチックなシチュエーションだったのに、空気を自らの胃液の反乱で音速クラッシュさせ、
脱兎のごとくトイレへ駆け込んだのだ。
もう二度とロマナ・コンティエラなんて飲むものか。
何ならセラーに行って全部床に叩きつけてやりたい気分だ。
「……死のう。もういっそ、
泥水スープに顔を突っ込んで窒息したい……」
「皇妃様? 何か不穏な呟きがシーツの中から漏れ聞こえておりますが」
カーテンの向こうから、平熱のトーンで声をかけてきたのは、
元・私の命を狙っていた、我が専属裏エージェント、レイだ。
相変わらず気配を完全に消して部屋の隅に立っている。
前世は忍者だったのかも知れない。
いや、マジで転生した忍者だったりして。
「レイくん……私、もう人前に出られないわ。
今日からサロンの経営は全てお義母様に丸投げして、
離宮で引きこもりニート生活を送ることにします」
「あいにくですが、スケジュールは詰まっています。それに……
あの方が、先ほどから中庭でお待ちです」
「あの方……?」
恐る恐るシーツの端をめくると、
レイは無表情のまま、窓の外を顎でしゃくった。
「聖騎士団長殿です。皇妃様の二日酔いが明けたのを見計らい、
『気分転換の乗馬ピクニック』にお連れする手筈になっていると。
すでに馬を二頭引き、直立不動で二時間待機されています」
喉の奥で声にならない悲鳴が出た。
逃げたい。
今すぐレイと入れ替わって忍者トレーニングを受けに行ってもいい。
とにかくそっと目立たないように消えてしまいたい。
だが、かろうじてだが、
元クレーム対応プロとしての自負が、逃亡本能にブレーキをかける。
だって、逃げれば逃げるほど、
クレームというもの(今回はただの気まずさだが)は悪化する。
問題を先送りにしてはいけない。ここはビジネスマナーを徹底し、
何事もなかったかのような爽やかな笑顔で乗り切るしかないのだ。
「……着替えるわ。乗馬用パンツを持ってきて」
「かしこまりました、CEO」
*
朝日が降り注ぐ宮殿の中庭。
自作のエクササイズ用乗馬パンツに身を包み、
覚悟を決めて歩み出ると、
白銀の甲冑を一部外した軽装の騎士団長がそこにいた。
プラチナブロンドの髪がそよ風に揺れ、すらりと伸びた長い脚。
顔面偏差値は相変わらず国宝級スペシャルランクである。
そして、私を見つけた瞬間、
その怜悧な美貌がパッと春の陽だまりのように温かみを帯びる。
「エリザベート様……!」
大股で歩み寄ってくる彼を見て、
私の心臓が大きく跳ねる。
平常心、平常心。
「ご、ごきげんよう、レオナルド団長。昨日はその……
大変見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでしたわ」
できる限り完璧な元・中間管理職の会釈を繰り出す。
しかし、レオナルドは私の謝罪など耳に入っていないかのように、
サファイアの瞳をいっぱいに見開いて、私の顔をじっと見つめてきた。
「体調は……もうよろしいのですか? 胃の痛みは?
頭痛は残っていませんか? 昨日は無理に引き止めてしまって、
私が貴女のお身体に障るような真似をしたのではないかと、
気が気でなくて……」
「へ? あ、いえ、ただの飲み過ぎですから!
私の自己管理不足です!」
胸を撫で下ろす彼の長い指先が、無意識のように、
そっと私の手の甲に触れる。私の肩がピクリと揺れるが、
彼は手を引こうとしない。
むしろ、逃がさないとばかりに、
温かく大きな掌で私の手を包み込む。
「……よかった。貴女が倒れてしまわれる夢を見て、
昨夜は一睡もできませんでした」
「だ、団長様……?」
「レオナルドとお呼びください。
……どうか、せめて二人でいる時だけは」
低く甘く、胸の奥を直接揺さぶるような掠れた声音。
大人の男の隠しきれない色気がダダ洩れだ。
昨日の「うっぷ」で一度リセットされたはずの恋愛警報が、
今度は最大音量で鳴り響き始めた。
(ちょ……ちょっと待って。この人の目、もしかしてガチ……?)
私はかつて東京では「結婚なんてコスパが悪い」と切り捨てて
男っ気のない生活を送り、
こっちに来てからも「宮廷のCEO」としてビジネス感覚で
乗り切ってきた。
洋介と結婚したのだって、彼には悪いけど、
母を安心させるためだった。
なのに、レオナルドの手から伝わる熱と、まっすぐ注がれる情熱に、
胸の奥の何かが音を立てて砕け散っていく。
「レ、レオ……ナルド様……」
ぎこちなくその名を呼んだ瞬間、彼の瞳が歓喜に濡れ、
顔がわずかに近づいて――。
ドドドドドッ!!
突如、地響きのような凄まじい蹄の音が、
甘い空気を粉々に引き裂いた。
「――道を開けよ! 国境警備より緊急の帰還である!」
中庭の門を蹴破る勢いで飛び込んできたのは漆黒の駿馬。
そしてその背に跨り、マントを翻して颯爽と馬を飛び降りたのは――
息を呑むほどに凛々しく、どこか中性的な妖艶さをまとった、
美貌の若き騎士だった。
砂煙を上げて馬から飛び降りたその騎士は、
革の手袋を外しながら大股でこちらへと歩み寄ってきた。
細身ながらもしなやかに鍛え上げられた体躯。
陶器のように白い肌に、勝ち気につり上がった琥珀色の瞳。
中性的で、どこか危険な香りを漂わせる凄まじい美青年だ。
この異世界って美男しかいないんじゃないの?
一瞬そう思ったが、フランツがいたことを思い出した。
どこにでも例外はいるわけだ。
しかし、その視線が私とレオナルド――そして、
今まさに触れ合おうとしていた私たちの手元に向けられた瞬間、
彼の薄い唇が皮肉げに歪んだ。
「おやおや。宮殿の警備を束ねる聖騎士団長ともあろうお方が、
朝っぱらから中庭でお花畑のような逢瀬ですか。
国境の泥臭い戦場とは流れる時間が随分と違うようですな」
低く澄んだ、心地よいハスキーボイスだが、毒が滲み出ている。
空気が一瞬で氷点下に凍りつく。
レオナルドが私をかばうようにすっと前に出ると、
そのサファイアの瞳から先ほどまでの甘い熱が完全に消え失せ、
冷徹な騎士の光が宿った。
「……口を慎め、オルロック辺境伯領第二軍指揮官、セシル殿。
貴殿の不躾な物言いは、
国境だけでなく宮廷でも変わらないようだな」
レオナルドの声音は氷のように冷たい。
彼は苦虫を噛みつぶしたような顔で振り返る。
「エリザベート様、ご紹介いたします。
先ほど国境警備より帰還したセシル卿です。
……態度に少々難がありますが、腕は立ちます」
「関わらない方がいい」。
レオナルドは あからさまな拒絶感を全身から放つ。
セシル卿は、ふっと挑発的な笑みを浮かべ、
優雅に胸に手を当てて臣下の礼をとった。
「これはこれは、噂の皇妃様。
……辺境の地まで『マザコン皇帝を尻に敷き、
姑を手玉に取って奇妙なパンツを流行らせている妖婦がいる』と
聞こえておりましたが……なるほど。思っていたよりも、
ずっと可愛いお方だ」
慇懃無礼、ここに極まれり。
言葉は丁寧とはいえ、その眼差しは値踏みするように
私の全身を上から下まで舐めるように見つめ、
露骨にからかう態度だ。
レオナルドの額に青筋が浮かび、
腰の剣の柄に手が伸びかけた。
「セシル、無礼だぞ。皇妃様に対して――」
「まあまあ、レオナルド様、落ち着いて」
私はすっと片手を挙げて、沸騰寸前の団長を制した。
普通なら眉をひそめたり、
侮辱されたと怒ったりするのだろう。
だが、元クレーム対応のプロである私の中間管理職レーダーが、
チリチリと心地よい反応を示していた。
こういった生意気な人は、東京でも腐るほど相手にしてきた。
礼儀正しい皮を被りながらこちらの力量を試してくる輩。
それに、ただの悪意以上のもの――どこか張り詰めた、
何かを隠しているような危うい匂いがした。
(一筋縄ではいかない部下、あるいは難敵クレーマー。
嫌いじゃないわよ、こういう尖った人材)
「お初にお目にかかりますわ、セシル卿。
国境警備という過酷な任務、誠にご苦労様です。
……ところで、お顔立ちは素晴らしいのに、
眼の下にひどい隈ができていらっしゃいますわね。
睡眠不足と、過度の緊張による自律神経の乱れ……
ウェルネスの観点から言えば、赤点ですわよ?」
「……は?」
まさかの健康ダメ出しを食らい、
セシルの完璧な皮肉スマイルが固まった。
だが、さすがは百戦錬磨の国境軍指揮官。
動揺したのはほんの一瞬だった。
セシルはすぐにフッと鼻を鳴らし、
喉の奥で小馬鹿にしたような笑いを漏らすと
琥珀色の瞳で私を冷ややかに見下ろした。
「ハッ……これは手厳しい。しかし皇妃様、お言葉ですが、
安全な温室や優雅にお茶を啜るサロンならともかく、
国境の泥濘と血煙の中で、敵の首級を数えながら生き延びる者に、
そのふざけた『うぇるねす』とやらが何の役に立つとお思いで?」
一蹴。完全なる切り捨てである。
「睡眠不足? 自律神経? 結構なことですな。
しかし戦場においては、眠れば敵にやられて死ぬ。
それだけの話です。
軟弱な宮廷貴族の健康ごっこも結構ですが、
それを武人に押し付けないでいただきたい」
吐き捨てるような言葉。
礼儀作法のオブラートをかなぐり捨てたその態度は、
もはや「不遜」の領域に足を踏み入れていた。
「セシル……! 貴様、いい加減にしろ!」
レオナルドの怒気がついに沸点に達した。
腰の剣を鞘からわずかに引き抜き、刃の冷たい金属音が中庭に響く。
「皇妃様に対する度重なる不敬、
この場で叩き斬られても文句は言えんぞ!」
「おやおや、怖い怖い。聖騎士団長殿は温室の花を守るためなら、
国境から急報を持ち帰った同胞すら斬り捨てるおつもりですか?
随分とご立派な忠誠心で」
セシルは全く怯む様子もなく、
レオナルドを挑発するように両手を軽く広げてみせる。
一触即発の緊迫した空気。
二人の間にバチバチと火花が散る。
だが、軟弱な宮廷貴族のふざけた健康ごっことは聞き捨てならない。
私の元クレーム対応OL魂が久々に着火した。
東京時代、理不尽に怒鳴り込んできて
「お前ら現場の何が分かるんだ!」と喚き散らすワンマン社長や
昭和気質の職人たちを幾度となく手玉に取ってきたあの感覚。
真正面から反論して相手をへし折るのは二流。
一流の対応とは、相手の土俵に上がった上で、
その強がりを逆手にとって骨抜きにすることである。
「レオナルド様、剣を収めてくださいまし。
大事な騎士団長のお手を、
このような些細なことで煩わせるわけにはまいりませんわ」
私が穏やかに制すると、レオナルドは唇を噛み締めながらも、
しぶしぶ刃を鞘に戻した。
そして私は、勝ち誇ったように眉を上げるセシルに向き直り、
極上のビジネススマイルを向けた。
「セシル卿。『戦場では眠ったら死ぬ』……
ええ、おっしゃる通りですわ。
大変過酷な現場で命を削られ、敬服いたします」
「……お分かりいただけたなら結構」
「ですが、現場のトップが疲労で判断力を鈍らせ、
全軍を全滅させたら元も子もありませんことよ?
不眠自慢と根性論で部下を道連れにするのは、
指揮官として最低の『ブラックマネジメント』ですわ」
「なっ……!?」
「泥濘と血煙の中で戦う殿方にこそ、
最高峰のメンテナンスが必要なのです。
……ふふ、ちょうど良い機会ですわね。
卿がどれほど頑丈か、
私のサロンで一度じっくりと点検して差し上げます」
私はセシルの琥珀色の瞳を真っ直ぐに見据え、
指先を彼の胸元へと向けた。
「戦う武人にとって健康な土台が重要であることは、
あなたならおわかりの筈。さあ、まいりましょう」
騎士団長とのランデブーは中断されてしまったが、
返す言葉もなく私についてくるセシルの足音を聞きながら
私は悪質クレーマーの撃退完了とばかりに
心の中でガッツポーズをした。
だが、宮殿に戻る途中のほんの一瞬、
レオナルドとセシルが無言で目を合わせた時。
二人の間の火花が、何やら全く別の種類の熱いものに変わった。
気のせいだろうか。
まさか……まさかね。
サロンに向かって優雅に先導していくと、
人影がちらっと見えた。
落下傘のように広がるドレス。
多くの宮廷女性たちが、
私が考案したジョキジョキパンツルックを取り入れている中、
未だにあの宮廷トラッドルックを身に着けているのは
フランツの愛人・エリシアくらいだ。
こんな朝っぱらになにをうろうろしているんだろう。
またよからぬことを企んでいるのだろうか。
私の暗殺計画とか。
権力やポジションが強まれば強まるほど、
これまた敵も諦めずしつこくこっちの失脚を狙うことは、
人間の性なのかもね。やれやれ。
「どうかされたのですか?」
セシルが私に尋ねる。
そのトーンは、
まるで私がおじけづいたんだろうとでも言いたげ。
美しい美青年だけど常に臨戦態勢で疲れる。
「なんでもございませんわ。
どうぞ、サロンにお入りになって」
――ドォォォンッ!!
扉に手をかけ、押し開けたその瞬間。
凄まじい爆発が起こった。




