暗殺者との深夜の1on1面談
深夜、天蓋付きの豪華なベッドの中。
シーツの微かな擦れる音で私はパチリと目を覚ました。
(……誰かの気配がする。まるで営業時間外に裏口から突撃してくる
タチの悪いクレーマーの足音のよう……)
元クレーム対応担当として培った「理不尽な襲撃」に対する超直感が、
脳内で非常ベルを鳴らしている。
常夜灯の薄暗い光の中、天井の梁から黒い影がシュタッと音もなく
床に降り立った。
全身黒ずくめ。顔には不気味な髑髏のマスク。手元には、
ギラリと鈍く光る抜き身の短剣。
これはどう見ても私の命を狙いに来た暗殺者でしょ。
なんで? 私が何をした?
そりゃあ、宮廷ライフを多少かき回している……かも知れない。
でも、お義母様の吹き出物や便秘も解消したし、
シェフをはじめとするスタッフも毎日楽しそうにしている。
あまり楽しそうでない人がいるとしたら……あのヘタレ夫?
いや、あいつにそんな度胸があるとは思えない。
カサッ。
まただ。
普通ならここで「キャー!」と悲鳴を上げて近衛騎士を呼ぶところだろう。
だが、今の私は宮廷のストレスを完全駆逐し、
ホワイト環境を手に入れたばかりの、言ってみればCEOのようなもの。
せっかくの快適な睡眠を邪魔された怒りの方が勝っていた。
「夜間のアポなし訪問はビジネスマナー違反よ」
フェアでありたいので、一応小声でぼそっと言ってみた。
しかし暗殺者はベッドサイドに忍び寄り、短剣を振り上げた。
「これはあんたのせいだからね」
私はそう言ってガバッと布団を跳ね除けると、
全盛期のプロレスラーばりの俊敏さで彼の懐へと滑り込んだ。
「なっ――!?」
驚愕する暗殺者の手首を掴み、そのままグイと捻り上げる。
東京時代、デスクワークの肩こりを解消するために極めた、
「鈴木流・骨盤矯正リフレクソロジー」の応用だ。
「ちょっとお兄さん、肩甲骨がガチガチね! そこ、トリガーポイントよ!」
「ぐ、あああああッ!?!? あぎ、ぎ、ぎギギッ!?」
凄腕のはずの暗殺者が、聞いたこともない悲鳴を上げて床に崩れ落ちる。
関節を完璧にロックされ、一歩も動けない。
まあ情けないこと。
異世界の忍びってこんなもんなの?
私はすかさず、もう片方の手で彼の不気味な髑髏マスクを掴み、
力任せにバリッと剥ぎ取った。
「さて、営業時間外のクレームの顔を拝ませて――」
言いかけた言葉が、喉に詰まった。
マスクの下から現れたのは、夜の闇に映える濡れたような漆黒の髪。
そして、どこか退廃的で、母性本能を激しく
くすぐるような、憂いを帯びた切れ長の瞳。
(……おお…………なんと美しい顔なの…………!?)
昼間の聖騎士団長が「王道の太陽イケメン」なら、
こちらは「闇を抱えて月明かりの下で動く夜のイケメン」。
異世界の顔面偏差値の暴力が、再び私の心の外殻を直撃する。
だが。
床に組み伏せられ、ハァハァと息を荒くしている彼の姿勢を見た瞬間、
私の脳内の「OLモード」が冷徹に作動した。
(……でも、猫背ッ!!!)
信じられないほど顔が良いのに、首が前に出て、背中が丸まっている。
典型的な「デスクワーク疲れの現代人」あるいは「スマホの見すぎ」のような、
お労しいほどの超絶猫背だったのだ。
「あなた……顔は満点なのに、姿勢のせいで体幹が死んでるわよ?
今夜は失敗に終わったのも無理もないわ。いや、別に殺されたくないけど。
これじゃ良い仕事ができるわけないじゃない」
「な、何を……言って……」
「ちょっと失礼」
「ぎゃあああああああああああああ!!!」
深夜の寝室に、暗殺者のものとは思えない魂の絶叫が響き渡る。
私が繰り出したのは、東京の怪しい雑居ビルで習得した
「悶絶式・ディープティシュー皇妃ホールド」。
あるいは巷で噂の「神の手・骨盤矯正三十三手」の応用技。
親指の付け根(母指球)に全体重を乗せ、
彼のガチガチに縮こまった大胸筋と肩甲骨の裏側に容赦なくねじ込む!
「ひ、ぎ、あぎ、背骨が、背骨が砕けるぅぅぅ!」
「砕けない! これはただのトリガーポイントの解放よ!
ほら、息を吸って、吐いて! 息を止めない!」
ボキボキボキッ! と、深夜の静寂に肉体がリセットされる凄まじい音が
響き渡る。
「ふぅ。これでよし。少しは胸郭が開いて、呼吸が楽になったでしょう?」
「あ、が……あ……? な、なんだこれ……身体が、軽い……?」
床に伸びていた漆黒の髪の美形暗殺者は、
バキバキと鳴らされた背骨をさすりながら、
信じられないものを見る目で私を見上げていた。
先ほどまでの陰鬱だった猫背が嘘のように、すっと美しい姿勢になっている。
「身体の歪みは心の歪み、そして仕事の質の低下に繋がるの。
はい、これでも飲んで落ち着きなさい」
私はあらかじめ魔法の温熱器で温めておいた、
お夜食用の特製野菜コンソメスープのカップを彼の前に差し出した。
暗殺者は毒を警戒して一瞬躊躇したが、
お腹の虫が「ぐぅ」と情けない音を立てたのに耐えかねて、
観念したようにスープを口に含んだ。
「――っ! 美味い……身体に染みる……」
「でしょう? 根菜の旨味をたっぷり引き出したスープよ。
さて、温まったところで……本題に入ります。1on1面談」
「はあ?」
私はベッドの端に腰掛け、足を組んだ。
「お名前は?」
「……」
「まあいいわ。あなた、今回のことは誰に頼まれたの?」
「……」
そう簡単にゲロしないか。
「いくらで請け負ったの?」
「……」
「前金あり?」
「成果報酬は?」
「……」
「あのさあ。この場合、ダンマリは得策じゃないと思うけど」
私は立ち上がり、男の目の前まで移動する。
どこから見てもかなりのイケメンだが、いくらイケメンとはいっても、
私の命を狙ってきたのだ。マスクはどうでもいい。
「いい加減喋らないと人を呼ぶわよ。そしたらあんた、一生囚われの身だね」
引いてもダメなら押してみる。
男が立ち上がろうとした。
指一本をおでこの急所に当てて動きを阻止してやった。
「あのね、一晩中こうしてあんたと顔を突き合わせている気はないわけ。
わかる?」
おでこを抑え込まれたまま、男の端正な顔が屈辱と驚愕で歪む。
私の目は、一切の感情を排した「深夜の特別対応モード」だ。
クレーム対応の現場で、夜を徹して凄んでくる悪質クレーマーの目を
死んだ魚のような目で何時間も見つめ返してきた私にとって、
この程度の睨み合いは朝飯前である。
さらに、先ほどの整体ホールドによる激痛の余韻が、
彼の全身の戦意をじわじわと削り取っていた。
「……くっ……」
男はついに、諦めたようにがくりと肩を落とした。
「……わかった。話す。話すから人を呼ぶな」
そして十分後。
「え……? ほ、報酬は成功報酬で金貨十枚……。失敗したら
命はない……?」
名はレイという。ポロポロと出てくる暗殺ギルドの凄惨な労働環境。
深夜労働、命がけの危険手当なし、完全出来高制、失敗即解雇。
そして今回の発注者……それは夫の愛人だった。
はあ。思い切ったことをやってくれたものだ。
私を抹殺したいなら別に殺さなくても他の方法があるだろうに。
ただではすませねえからな、と誓いつつ、一旦置いといて。
このレイの暗殺ギルドのあまりの凄まじいブラック企業ぶりに、
私のサラリーマン魂が激怒した。
「完全なやりがい搾取じゃない! 経営陣の顔が見てみたいわ!
そんな使い捨ての駒みたいな扱われ方をして、あなた、
本当にこの先も『暗殺者』としてキャリアアップしていけると思っているの?」
「キャリア……アップ……?」
「そう。あなたのその美貌、隠密スキル、そして私の施術に耐えた柔軟性。
もっとホワイトで、正当に評価される職場で活かすべきだわ」
私はレイの前に身を乗り出し、彼の切れ長の瞳を真っ直ぐに見つめた。
(目の保養にはなるわね。この際、別の系統の「新しい推し」として、
私の直属で雇用してやるか)
「レイくん。うちの、専属裏エージェントとして転職しない?
基本給は金貨二十枚スタート。もちろん深夜手当・危険手当支給、
賄いスープ付き。何より、その若いくせに情けない体幹を
完璧にメンテナンスしてあげる」
「た、ターゲットだったお前が俺の上司に……?」
「そういうこと。私を誰だと思っているの?
このブラック宮廷をホワイトに変えるCEOよ。
ついてくるなら、あなたの人生を完全保証してあげるわ。
といっても、それはあなたの頑張り、そしてそれ以上に成果次第。
世の中、結果がすべてだからね」
レイは、空になったスープカップを握りしめ、しばらく呆然としていたが、
やがてその場に跪き、今度は恐怖ではなく、深い敬意(?)を込めて頭を下げた。
「……御意。あなたに、俺の影を捧げる……皇妃様」
こうして深夜の不法侵入者は、あっという間に我が社の有能な
「直属エージェント(兼・新しい推し)」へとジョブチェンジしたのだった。




