第七話「目標、キーウ。」
1909年3月26日 ロシア帝国領オーストリア=ハンガリー帝国占領地 ウクライナ平原部
「前へ!前へ進め!」
「姿勢を低く保て!撃ち抜かれるぞ!」
「俺が飛び出して機関銃手の注意を引くうちに、お前が狙撃しろ――」
「敵軍の質は依然として低いままだ!このまま潰走して――」
*
オーストリア=ハンガリー帝国 帝都ウィーン 中央参謀本部 作戦会議室
「なかなかの戦果のようだな。アイゼンシュタット。」
会議室の中、一人立ち続けるアイゼンシュタットに向けて、ヴァルデンブルクは激励の混じった声で言った。
「いえいえ、むしろここからですよ、閣下。」
アイゼンシュタットは喜ぶわけでも、謙遜するわけでもなくただ淡々と返した。
「ではアイゼンシュタット君、早速だが、現状説明と本作戦『ウクライナ攻勢』について説明してくれ。」
そういうとヴァルデンブルクは円卓に近づき、椅子を引いて腰掛け、アイゼンシュタットを見据える。他の将校も、崖っぷちの立場であるアイゼンシュタットがどのような作戦を考えてきたのかと、視線を集中させる。
アイゼンシュタットは駒を次々と地図上に配置した。
「それではまず、我が帝国の現状から説明させてもらいます。」
アイゼンシュタットも目線を合わせるべく椅子に座り、ヴァルデンブルクと対面する。他の将校たちは二人の睨み合いを遠くから眺めていた。
「我が帝国は現在ロシア帝国とプロイセン王国の二カ国を同時に相手取っており、このまま防戦一方ではいずれ敗北します。」
プロイセン王国とロシア帝国の位置に置いた駒を南へ南へと進めるアイゼンシュタットに対し、ヴァルデンブルクも頷いて応える。
「だからこそ、開戦の早期決着を実現すべく『ポーランド平原攻勢』を実施したわけじゃろう?」
「左様でございます。しかし周知の通り、この作戦は失敗し、戦線は膠着しました。」
アイゼンシュタットは動かしていた駒を一旦別の場所において、新たに駒を地図上に配置し始めた。作戦室には駒をコンコン置く音だけが響く。将校たちも固唾を飲んでアイゼンシュタットの説明を聞いていた。
「そこで我々は膠着状態の打破のため、今度はロシア方面、具体的にはウクライナ地域で攻勢に出ました。」
ウクライナ方面はプロイセン王国からも遠く、かつ平野部が広がっている。攻勢に出るにはうってつけの場所であった。また、農地が多く、現地で食料を収奪することによって部隊の補給問題を解消できる利点もある。
「まずポーランド攻勢に参加していた第四軍をトランシルバニアまで移動させ、現地で防衛していた第五軍と第五フランス派遣軍に合流させます。」
アイゼンシュタットは手を伸ばし、複数の駒を一箇所に集めた。蛍光灯が卓上を照らし、誰も何も話さない。ただ時計の針の音のみが響く。
「これら三個軍をもってしてウクライナに向けて全面攻勢を仕掛け、ウクライナ平原部を占領。ロシア帝国国民に『負けるかもしれない』という恐怖を実感させ、厭戦を蔓延させます。本作戦の占領目標都市は――」
アイゼンシュタットは胸からペンを取り出し、地図に次々と印をつけていく。
「オデッサ、セヴァストポリ、エカテリノスラフ、キエフ。これらの都市を占領することで、ウクライナの大部分を手中に収め、ロシア戦線における膠着状態の打破が可能でしょう。」
説明をひと通り聞いたきいたヴァルデンブルクは、頷きつつもアイゼンシュタットに尋ねた。
「ウクライナの主要都市を占領し、大幅な戦線の前進を行っているのはわかったが、現状としてどうなのだ?これらの都市をタダで譲ってくれるほど奴らはお人好しではあるまい。」
ロシア帝国はオーストリア=ハンガリー帝国戦線に三個軍規模もの人員を配備していた一方、防衛側オーストリア=ハンガリー帝国はフランスの派遣軍を合わせても二個軍であり、1.5倍の数的劣勢状態であった。
なのにも関わらず未だに戦線が崩壊しない理由として、カルパティア山脈の存在が影響している。
山脈という防衛有利な地理的都合により、今も尚オーストリア=ハンガリー帝国はロシア帝国と戦えているのである。
そして数的劣勢を解消した今、どのように戦線を突破するのか、それをヴァルデンブルクは暗にアイゼンシュタットに尋ねていた。アイゼンシュタットはその意向を汲み取ったかのように、作戦概要を話し始める。
「本作戦で最も重要なのは”速さ”です。カルパティア山脈の北側から一気に戦線を突破、そのまま敵の背後を取って山脈沿いの敵部隊を黒海を用いた片翼包囲によって殲滅します。」
アイゼンシュタットはペンで線を引きながら説明を続ける。ヴァルデンブルクは腕を組んでただ黙っていた。
「タイムリミットは、ポーランド平原攻勢の防衛のためにワルシャワに集結したロシア帝国第六軍が、戦線に再配置されるまでのおおよそ二週間が期限です。そのため、時間稼ぎのためにロシア戦線全域で攻勢に出ます。この攻勢自体は敵軍の移動を阻害することを目的としているため、大した戦果は期待できませんが、第六軍の再配置を数日は遅らせることができるでしょう。」
一通りの攻勢計画を聞いたヴァルデンブルクは、腕を組んだ姿勢はそのままに、視線だけをアイゼンシュタットに鋭く向けて短く言った。
「作戦計画は理解した。だが、可能なのか?ウクライナ戦線に計三個軍を集め、数を対等にしたとは言えど、我々の集めた軍のうち一個軍はフランス派遣軍だ。我々に指揮権はないのだぞ。それに三個軍だけでロシアの欧州方面軍を相手取るのは無謀ではないのかね?」
その場の将校も考えていた問題。そもそも可能なのか――それに対するアイゼンシュタットの回答は、予想外のものであった。
「残念ながら、その通りです閣下。いくら我々が移動妨害をして時間を稼ぐにしても限界があります。また、カルパティア山脈沿いのロシア軍も、包囲されるのを避けるべく頑強に抵抗することが予想されます。」
ヴァルデンブルクはあまりの回答に言葉を失い、周囲の将校たちはどよめく。すかさずアイゼンシュタットは付け足すように言った。
「そう、”我々だけ”ではこの作戦は間違いなく失敗するでしょう。」
ヴァルデンブルクはハッと声を漏らす。
「新たな参戦国……まさか、アイゼンシュタット!」
*
同時刻 1909年3月26日 オスマン帝国 帝都コンスタンティノープル 統合作戦司令部
「立案は順調か?フアト少将殿。」
胸元にじゃらじゃらと勲章をぶら下げた老人――イスマイル・ケマルは、視線をペンと紙に交互に向けている軍人――オメル・フアトの肩を軽く叩き、仕事の進捗具合を尋ねる。
「いきなりの提案だったのでびっくりはしましたが、立案自体は問題なく完了しました。」
返答を聞いたケマルは、フアトの正面にある自分の仕事机に腰掛けると、一本の瓶をフアトのデスクに置いた。
「……!大将、これは……」
「儂が数日アンカラの方へ出向いていたせいで大変だったろう。それは土産じゃ。」
フアトは目の前に置かれたワインを手に取り、ラベルをまじまじと見つめた。見たところによると、半世紀前のそれなりに高級なワインのようだった。
「それでフアト君、オーストリア=ハンガリー帝国の現状と、彼らがしてきた提案について説明してもらえると大変助かるのじゃが……」
お願いを受けたフアトは、いそいそとワインの瓶を地面に置くと、一枚の書類をケマルに手渡した。フアトは部屋の中にあるひときわ大きい机に地図を広げ、書類をもって一緒に地図を見るようにとケマルに言うと、広げた地図の上に駒を置き始めた。
「現状のオーストリア=ハンガリー帝国について説明しますと、プロイセンとロシア帝国を一国で相手しており、長期戦になればまず間違いなく敗戦必至の状況にあります。」
置いた駒を盤上で動かす。ケマルの目線は駒に追従し、傍らでフアトは説明を続けた。
「そこで先月、ロシア帝国との戦いにて有利に立つために、オーストリア=ハンガリー帝国軍はポーランド平原にて、同盟国フランスの派遣軍も合わせて計三個軍を用いた攻勢を計画・実施しました。」
そう言った矢先フアトは動かしていた駒を戻した。
「しかしこの攻勢はプロイセンの奇襲攻撃により失敗、戦線は膠着状態に陥ります。」
そこでケマルは先の流れを察したのか、フアトの説明に割って入った。
「なるほど、そこで今度は我々に協力を仰いだというわけだな?」
「ご明察です。オーストリア=ハンガリー帝国は現在進行形でロシア帝国に対しウクライナ地域で大規模な攻勢を仕掛けています。これに便乗する形で我々もコーカサス地域から三個軍を北上させ、ロシア帝国を降伏に追い込みます。」
言い終えるとフアトは自分のデスクから一束の書類をケマルへと手渡す。ケマルは手に持っていた紙を机の上に置き、書類を受け取った。
「そちらの資料は対ロシア帝国の作戦計画書です。すでに上層部にも話は通しており、間もなく我がオスマン帝国政府はロシア帝国に対し宣戦布告を行うでしょう。」
ケマルは手渡された資料に目を落とす。三本の矢印がロシア帝国内へと伸びているのが見てわかる。矢印の横には補足説明のような文章が小さく書かれていた。
「第一軍は国内の防衛、残りの第二から第四軍をもって、前述の通りコーカサス地域を北上します。」
ひと通り説明を聞き終えたケマルは、真剣な面持ちと覚悟の決まった力強い口調で呟いた。
「第二次露土戦争か、今度こそは……露土戦争と同じ轍は踏まないぞ……」
フアトは持っていた資料を強く握った。
1909年4月5日、オスマン帝国政府はロシア帝国に対し宣戦布告を行った。
これによりロシア帝国は、オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国を同時に相手取る二正面作戦状態へと突入した。




