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第五話「ラドムの戦い」

 一週間後 1908年9月26日 ロシア帝国領オーストリア=ハンガリー帝国占領地 攻勢発起点ラドム 第四軍第三軍団

 

「下がれ!下がれ下がれ下がれ!」

 

「退却しろ!第一塹壕がやられた!繰り返す!退却し――」

 

「伝令兵を呼び出せ!本部に連絡を――」

 

「おいしっかりしろ!返事をしてくれ!医療班!こっちに来てくれ――」

 

「助けてくれ……!俺の左足が……俺の左あ――」

 

 *

 

「失礼します!」

 

 外では地獄のような負傷兵の叫び声と砲撃音が鳴り響く中、一人泥まみれの将校が塹壕内の作戦室に駆け込んできた。第三軍団の司令官は将校を睨みつける。

 

「おい!前線はどうなっている!」

 

 指揮官は入ってきた兵士に怒号を飛ばした。砲撃と銃声が轟く中、将校は答える。

 

「つい先日、プロイセンが我らオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告し、正式にプロイセンと戦争状態に陥りました!」

 

 指揮官は目を見開いた。今まで開戦から二週間も音沙汰のなかったプロイセンが、今更になって参戦してきたのだ。

 

「プロイセン軍はポーランド平原攻勢作戦における初期攻勢の攻勢発起点であるここラドムに殺到しています!」

 

 あまりの事態に指揮官は言葉を失う。

 

「……規模は。」

 

「敵戦力はプロイセン軍約60万に対し、我々の戦力は約10万!敵軍は完全に我々の側面を陣取っています!」

 

 約6倍の戦力差。指揮官も将校も、外から聞こえる砲弾の着弾音に死を意識する。

 

「……前線の状況はどうなっている……」


 絶望的にもかかわらず、指揮官は深呼吸し、なんとか冷静を保つ。

 

「前線ではすでに第一塹壕を失陥!また、第二塹壕も敵と係争中にあり、第三塹壕もプロイセン軍の砲撃で少なくない被害が出て――」

 

 刹那、将校の声を砲弾の着弾音がかき消し、天井から土埃が降ってきた。二人は咄嗟に身を低く保つ。

 

「――指揮官!ここも危険です!今からでも後方へ下がってください!」

 

 やがて指揮官は立ち上がると、歯を食いしばって叫んだ。

 

「それはできない……!」

 

 指揮官は決意の籠もった目で応え、将校のもとへ歩み寄る。

 

「ここで我ら第三軍団が敵の攻勢に屈して撤退した場合、ポーランド平原で攻勢中の第四軍第一・第二軍団と、第三軍全軍団さらにはフランス派遣軍が包囲されることになる。」

 

 再び砲弾の着弾音が響く、地図上の駒が地響きに揺られて倒れる一方、指揮官は身を低くすることなく力強く歩みを進める。

 

「|セルビア戦線とロシア戦線《二正面作戦》を強いられる我々は、軍規模で兵士を失えばたちまち劣勢に陥ってしまう。ゆえに退却は絶対に認められん……!」

 

 指揮官の覚悟に将校は息を飲む。砲撃によって電線が破損したのか、壁面の明かりが明滅している。

 

「フランスの攻勢派遣軍も現在進行形でラドムに戻ってきているとのことだ……」

 

 指揮官は将校の目前まで近づくと、将校の肩を掴み力強く言い放った。

 

「それまで一秒でも時間を稼げ!死ぬ気で持ちこたえろと兵士たちに伝えろ!」

 

 指揮官は自分の指令ひとつで、自分が抱える軍の数倍の命運が左右されていることを誰よりもわかっていた。だからこそ、この危機的状況で撤退の判断を下すようなことはしなかった。

 

「……はっ!」

 

 将校は敬礼し、再び地獄の戦場へと走っていった。

 

 砲声が響き、天井から絶えず土埃が降ってくる中、指揮官は一步たりとも動かなかった。


 *


 3日後 1908年9月29日 プロイセン王国 王都ベルリン 総合参謀本部 南部参謀室

 

「見事なまでに効果覿面(てきめん)だな。ルーデンドルフ。」

 

 静かな参謀室に低い声が響く。

 

「ファルケンハイン中将殿!この度はご助力ありがとうございました!それにしても二重帝国の奴ら想像以上に愚鈍で助かりましたよ。」

 

 ルーデンドルフは感謝を述べる。ファルケンハインはルーデンドルフに近づくと、手を軽く肩にのせ、耳打ちをする。

 

「いやはや、私は口喧嘩が得意でね……それに君の作戦が成功すると思ったから助力したまでだよ。にしてもここまで戦果を得られるとはね、想像以上だ。これなら総参謀本部への昇格も近いかもな。」

 

「……!身に余るお言葉です……!」

 

 褒め称えるファルケンハインに対し、ルーデンドルフは謙遜の言葉を並べつつも、その胸の奥では次の地位を思い描いていた。

 

「『奇襲包囲作戦』は開戦前から私が緻密に温めてきた作戦です……まさか総参謀本部の目に留まるとまでは思っていませんでしたが、王国に貢献できて本当に光栄です。」

 

 興奮するルーデンドルフをよそに、ファルケンハインは椅子を引いて腰掛ける。

 

「着眼点が良かったな。世界情勢と相手の心理をよく読めている。西部戦線の方も安定しているようだ。」

 

「フランス軍はたしかに強大ですが、他の戦線と比べて戦線が狭いために兵力が集中しており、安定して防衛できているようですね。」

 

「うむ。西部参謀本部とも連携し、南ドイツの地を奪還する。外交部曰く”例の密約”も順調に進んでいるらしい。これで二重帝国は文字通り孤立無援になるはずだ。長期戦となればそのうち我々に勝利の軍配が上がってくるだろう。」

 

 ファルケンハインはルーデンドルフの眼前に広がる地図を見つめると、肘をついて手を組み、静かに言い放った。

 

 「42年前の屈辱を二重帝国の奴らに思い出させてやろう。第二次普墺戦争の始まりだ。」

 

 胸元から葉巻を取り出し、愉悦に浸るファルケンハインに向けて、ルーデンドルフは気まずそうに尋ねる。

 

 「しかし中将、少々懸念が……」

 

 「おやおや、この完璧な作戦に懸念点が?」


 ファルケンハインは少し皮肉っぽく聞き返した。

 

 「同作戦の攻勢開始寸前に妙な動きをしている軍が……」

 

 「ルーデンドルフ君、その話なら伝え聞いている。ロシア帝国の前線の兵士からの話だと、突然フランスの軍隊がUターンして戻って行ったという話だろう?」

 

 ファルケンハインは葉巻の先端を切り落とし、火をつけて興味なさげに返答した。

 

 「中将、もし仮にフランス軍がこの奇襲作戦に気づいてたとしたら、どうしますか……?」

 

 初めてファルケンハインは手を止め、ルーデンドルフに顔を向ける。

 

 「あの愚鈍な連中がか……?儂には考えられんが……」

 

 「パリの総参謀本部の奴らは33年前の戦争(普仏戦争)の勝利に今だ浸っているボンクラ連中です。この作戦を予想するのはできないはず。」

 

 いままで興奮気味で話していたルーデンドルフは淡白に疑問を訴えた。

 

 「しかしこのフランス軍は"まるで攻勢計画を知っていたかのよう"にUターンし始めた。つまり――」

 

 ルーデンドルフはメガネを左手人差し指で押し上げる。

 

 「フランス軍にも、私のように"頭のキレる奴"がいるみたいですね。」

 

 数瞬ののち、ファルケンハインは葉巻を口から離し、白煙を吹き出し、応えた。

 

 「……どうやらそのようだな。」


 *


 一方その頃 フランス帝国 リヨン 帝国陸軍南部作戦本部

 

 「……戦局は……戦局はどうなっている?」

 

 明朝、ガルニエは部屋に入ってくるなり新刊の新聞を読み漁る生活を繰り返している。

 

「ガルニエ、ここ最近ずっとそんな感じだぞ……ちゃんと寝られておるのか……?」

 

「ラヴァリエール、そんなことを言ってる場合ではない……プロイセンの急襲によって、オーストリア=ハンガリー帝国は危機に瀕しているのだ……モロー君が情報部からの資料を持ってくるはず……」

 

 ラヴァリエールの心配をよそに、ガルニエは今日も椅子に座って書類をめくり始める。

 

「おはようございます。」

 

 紙の擦れる音だけが聞こえる作戦本部室に、重厚なドアの軋む音が響いた。

 

「モロー君!ラドムの状況はどうなっている……?」


 仕事場に着いていきなりの質問にも、ガルニエは前から回答を用意していたかのように答える。

 

「派遣フランス軍第四軍の増援が間に合ったようで、陥落寸前のとこで持ちこたえたようです。ですが敵の勢いは未だ健在であり、危機的状況にあるのは依然として変わりません。」

 

 瞬間、部屋に備え付けた電信機が鳴り響く。

 

「おおっと、儂が出よう。」

 

 ラヴァリエールは部屋の奥の方へと歩みいった。

 

「ところで……ガルニエ中将、体調は大丈夫ですか……?失礼ながら、目の下の隈がすごいことになっています。一度ちゃんと寝たほうがよろしいのでは……」

 

 近寄るモローに対しガルニエは左手を突き出し制止する。

 

「ラヴァリエールにもついさっき同じことを言われた。プロイセンが参戦したせいで一気に戦線が増えたのだ。パリの連中に全てを任せて置くのはどうにも安心できん……いつここが”次の総参謀本部”になってもいいように、私もこの戦争の最新の戦局は常に把握しておきたい……これは私が安心するためにしていることだ、どうか止めないでおくれ……」

 

 懇願するガルニエに、モローは何も言わず、その場を後にした。

 

 数分後――

 

「こちら……」

 

 モローはそっとコップをガルニエに差し入れた。

 

「……?これは……」

 

「コーヒーです。無理も程々にしてくださいね……」

 

 ガルニエは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに資料の方に視線を戻した。

 

「いやはや……なんともよくできた部下だよ……」

 

 すぐさま背後から扉の開く音が聞こえてきた。

 

「二人とも朗報だ。ブルガリアが帝国同盟側でセルビアに宣戦布告する決断を下したらしい。」

 

 ラヴァリエールが電話を済ませて戻ってきていた。ガルニエは話を聞くなり顔を上げた。

 

「本当かラヴァリエール!たしかオーストリア=ハンガリー帝国はセルビア戦線に一個軍を割り当てていたはず……セルビア戦線が片付けば、配置転換ができるはずだ!」

 

「セルビアは第二次バルカン戦争でかなり国力をつけたといえど、二正面作戦を行えるほどではない。数日以内には降伏する可能性が高いでしょう。これならラドム防衛もなんとかなりそうですね。」

 

 ガルニエは安心したかのようにソファへとへたりこんだ。


 3日後の1908年10月2日、ブルガリアはセルビアに対し宣戦を布告した。オーストリア=ハンガリー帝国との戦争で疲弊したセルビアに二正面で防衛する余力は残されておらず、ブルガリア参戦の6日後、1908年10月8日にセルビアはオーストリア=ハンガリー帝国、ブルガリア両国に降伏を申し出た。


 結果としてセルビア北部をオーストリア=ハンガリー帝国、セルビア南部をブルガリアが占領する形でバルカン戦線は消滅することとなる。

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