第三話「終わるひと時の平和」
4日後 1908年8月28日 フランス帝国 都市リヨン 帝国通り
「おい新聞の見出しを見てくれよ……『欧州各国で動員令相次ぐ』だってよ……」
「ここ最近また物騒になってきたわよねぇ……この前の事件をきっかけに――」
「今回ばかりは本当にまずいぞ……プロイセンもロシアも動いてる」
「まさか、ここまで戦場にはならないよな……」
多くの市民で賑わう帝国通りの喧騒は、数ヶ月前とは全く異なる音色をしていた。
左遷されてから机に向かう業務ばかりだったモローは、作戦立案を終えると、休息をとる目的で街へ歩み入り、ラヴァリエールが気に入っていると言っていた喫茶店の一席に座っていた。
「こちらご注文のコーヒーです。」
ウェイトレスによって卓上に一杯のカップが置かれる。モローが注文していたコーヒーだ。ここ最近はパリの総参謀本部での勤務や、南部作戦本部での激務のせいでゆっくり休める時間がなかなか確保できなかったモローにとっては、久しぶりに肩の力を抜くことができる時間となっていた。
「リヨン……昔と比べて様相がかなり変わったな……」
周囲を見渡し、コーヒーを啜る。フランス帝国第二の都市リヨンはローヌ川とソーヌ川の合流地点にあり、鉄道も通る南フランスの中心都市であると同時に、モローの幼少期に生まれ育った故郷でもある。
「ここまで戦場になるようなことは防がねば……ここまであのような姿――旅順攻略戦のような惨状にするわけには……」
モローは持ってきたアタッシュケースから書類を取り出す。
「ポーランド平原攻勢作戦……」
今朝ガルニエが目を通すようにと言って渡してきた書類をまじまじと見つめる。本人曰く、パリの協力者から流してもらったとのことだが――
「オーストリア=ハンガリー帝国の中央参謀本部はこんな作戦を立案していたのか……」
プロイセン王国=ロシア帝国国境のポーランド平原を北上し、両国の陸上連絡の遮断する。筋が通っているし、もし成功すればプロイセンは仏墺に挟撃される形となる。長くは持たないだろう……がしかし――
「あまりに作戦難易度が高すぎる……諜報課の情報が正しければ、あの二国間は軍事技術や作戦情報の共有をしているはずだ……初期攻勢は成功するかもしれないが、バルト海までは貫けない……」
参謀制度は優秀だが、不完全体で慢性的に兵士が不足しているプロイセン王国。
一方、軍隊の近代化には失敗したが、兵士の数だけは潤沢なロシア帝国。
この二国が手を組めば、中央ヨーロッパの戦線はオーストリア=ハンガリー帝国が劣勢になる。
「我が国からも軍を派遣すべきだな……」
モローは書類をアタッシュケースにしまうと、テーブル上に紙幣と飲みかけのコーヒーカップを置いて作戦本部へと足早に歩き出した。
*
「いいアイデアだ。暇しているであろう北部の軍を二個軍ほどオーストリア=ハンガリー帝国へ援軍に向かわせるように、パリの連中に話してみよう。念の為、総参謀本部の協力者にも後押ししてもらう。こればっかりは却下されたらたまったもんじゃないからな。」
十分ほど歩いて作戦本部室に戻ったモローは、息を切らしながら自分の考えをガルニエに話していた。
「あっ、少し待ってください。」
受話器へと手を伸ばすガルニエを制止する。ガルニエは頭を少しだけこちら側に向けた。
「まだなにかあるのか?」
静かな部屋に低い声が響く。モローはガルニエの背中に向けて言った。
「派遣ルートなのですが、南ドイツ経由ではなく、地中海・アドリア海経由で派遣したほうがよろしいかと。」
「ほう?何故そう考えるのかね?」
ようやくガルニエはモローの方へ身体を向けた。
「もしプロイセン王国とロシア帝国がオーストリア=ハンガリー帝国と戦争状態になった場合、プロイセン王国は我が国とオーストリア=ハンガリー帝国の連携を断ち切るために恐らく南ドイツへ侵攻するでしょう。」
ガルニエの動きが一瞬止まる。張り詰めた空気の中、モローは説明を続けた。
「その場合移動中の派遣軍は移動妨害を受けることになり、部隊が消耗するとともに、オーストリア=ハンガリー帝国への派遣が遅れる恐れがあります。日数はかかりますが海路で向かわせるべきだと進言いたします。」
言い終えると、ガルニエは静かに頷いた。
「ふむ……なるほど、確かに一理あるな……よしわかった。そう伝えておこう。」
「……!ありがとうございます!」
話が終わるや否や、にガルニエは電話機へと手を伸ばした。
廊下では伝令兵が慌ただしく行き交う軍靴の音が聞こえ、絶え間なく電信機の打鍵音が響いてくる。
欧州大戦はもうまもなくだ。モローは固唾をのんだ。
*
1週間後 1908年9月4日 オーストリア=ハンガリー帝国 帝都ウィーン 中央参謀本部
「全員集まったか。」
ヴァルデンブルクは円卓を囲む将校たちの顔を見回した。円卓にはバルカン半島の地図が置いてあり、矢印や線が引かれ、大小さまざまな駒が所狭しと置かれている。
「これより『ポーランド平原攻勢作戦』の概要を説明してもらう。陸軍大臣、説明を。」
指名されたアイゼンシュタットは書類を持って立ち上がり、円卓を指して説明する。
「プロイセンおよびロシアと開戦した際には、両国の陸上連絡を遮断すべく、ここ、ポーランド平原を一気に北上します。」
アイゼンシュタットは地図の上の駒の中でも特に大きい駒を三個ほど動かす。
「本攻勢では第三軍、第四軍を主力として投入します。」
次々と駒を指差す。将校は黙って指の動きに視線を追従させた。
「第一軍をセルビア戦線へ。第二軍をプロイセン国境へ。そして第五軍をロシア帝国国境に配備します。」
将校たちは説明を聞きつつ配られた資料を捲る。ヴァルデンブルクは目を閉じ、キセルから白煙を燻らせる。
「作戦の第一段階では、砲兵を集中運用してポーランド平原付近の前線部隊を徹底的に砲撃し、攻勢発起点を作ります。」
説明する傍らで駒を押し進める。
「次に第二段階では足の早い騎兵師団をもって戦線を素早く拡張し、戦線を維持。第三段階では主力軍を進めてバルト海まで貫通。プロイセン王国とロシア帝国の陸上連絡を遮断します。」
ヴァルデンブルクはキセルを口元から離して煙を吐き出した。息を吐く音と、時計の秒針が刻む音だけが部屋に響く。
「説明ご苦労、アイゼンシュタット。今話した通り、我々はこの作戦をもってバルト海まで貫徹し、盟友フランス帝国とともにプロイセンを挟撃する。プロイセンによるドイツ統一は北部のみに留まり、国家として不完全体だ。挟撃には耐えられまい。」
どの将校も、何も言わない、重苦しい空気の中、将校たちはただ静かに頷いた。
「早期降伏させた後に部隊を転身させ、ロシア帝国に対し大規模な攻勢作戦を実施。同国を降伏に追い込む。」
ヴァルデンブルクは再び将校を見回した。老いても劣らないその鋭い眼差しが、その場の将校一人一人を突き刺す。
「なにか意見がある者はいるかね?」
沈黙。誰も手を挙げない。
「よし、ではこの作戦で頼んだぞ陸軍大臣。帝国に勝利をもたらしてくれ。」
「お任せください。」
敬礼したアイゼンシュタットの覚悟の声が会議室に響く。
「会議は以上だが、他に連絡事項がある者はいるか?」
再び沈黙が流れる――そう思われた。
「……はい。」
一人の男が手を挙げたのだ。
「帝国外交部長官殿、如何したのかな?」
男は、書類を一枚持って立ち上がる。
「先日、フランス帝国から支援のために二個軍がアドリア海経由で派遣されるようです。」
将校たちは資料を捲る。男の話す内容が、資料にあらかじめ載っているか探していた。
「急な連絡だったために、お手元の資料に記載されておりません。念の為ご承知おきください。派遣される軍の指揮権はフランス帝国の司令官、ひいては帝国総参謀本部が握っており、フランス帝国陸軍第五軍はロシア戦線に、第四軍は先述の作戦に加わるとのことです。」
言い終えて男は着席した。椅子を引きずる音だけが静寂な部屋に響く。
「連絡ありがとう。他に伝達事項は?」
今度こそは沈黙が貫かれる。どの将校も重い顔をして俯いていた。いよいよ今世紀最大の、人類史上最大の大戦がすぐそこまで迫っている。誰もがそれを感じ取っていた。
*
十数時間後 1908年9月5日 未明 オーストリア=ハンガリー帝国 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ セルビア国境部 サヴァ川岸
「総員、配置に着いたな?」
連隊長は砲兵隊の面々を見回す。
「異常はありません!」
兵士のうちの一人が敬礼した。
「通信兵よ、第一軍司令官に伝達。『砲兵大隊、総員配置完了』」
ふと連隊長は顔を上げた。ベオグラードの街明かりがよく見える。やがて彼は左手の腕時計に目を落としす。
「砲兵隊、総員、砲弾装填。」
掛け声に合わせて兵士が砲弾を砲身へ装填する。しばらくの沈黙ののち――
「3……2……1……よし、政府の宣戦布告から一分経過。総員!撃て!」
その瞬間、砲身からつんざくような爆音と地響きののちに、次々と鉄の塊が射出され、街明かりの方へと向かっていく。
数秒後、ベオグラードの街明かりは一層強まった。この瞬間、長く続いた欧州の平和は再び破られた。




