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第二話「胎動する大戦の火種」

 4日後 1908年4月14日 オーストリア=ハンガリー帝国 帝都ウィーン 中央参謀本部作戦会議室

 

 「それで?例の報告書は本当なのだな?アイゼンシュタット。」

 

 口からキセルを離し、白い煙を吐き出した帝国中央参謀本部長――フリードリヒ・フォン・ヴァルデンブルクは、鉄製の円卓に向けて報告書を放り投げ、その眼差しを陸軍大臣 ――カール・フォン・アイゼンシュタットへと向けた。

 

 「はい。数日前からプロイセン王国国内で大規模な部隊の移動を確認しました。また、夏前までに新たに師団の編成・動員を進める模様です。諜報部はこれを諸外国に対する戦争の前準備と断定しました。」

 

 ヴァルデンブルクは卓上の地図に目を向ける。中央ヨーロッパの地図の何箇所かに、赤い丸が記されていた。彼は人差し指で地図の一点を指し示して言った。

 

 「この赤の印はなんだ?」

 

 陸軍大臣は大きな声で答える。

 

「その印はプロイセン軍の夏前の動員箇所です。地名を申し上げますと、ベルリン、ケーニヒスベルク、ダンツィヒ、ポーゼン、いずれも鉄道の要所です。」

 

「編成後の早期配備のためか、それで、彼らはどこ向けて移動すると考えられる?」

 

 眼差しを再びアイゼンシュタットに向けた。

 

「諜報部の情報と照らし合わせた結果、二国ほど考えられます。ひとつは我らが盟友フランス帝国です。」

 

「ほう……」

 

 その言葉を聞いたヴァルデンブルクは目を閉じ、キセルを再び口元に運んだ。

 

「そしてもう一カ国は我らがオーストリア=ハンガリー帝国です。」

 

 アイゼンシュタットが断言すると、円卓を囲む将校たちはどよめいた。

 

 二度目の普墺戦争。その東には不凍港を求め南下を画策するロシア帝国。プロイセンと戦争になれば、ロシア帝国は間違いなく敵として介入してくるだろうことは、誰の目からも明らかだった。

 

「これは避けられぬことなのか……?アイゼンシュタット。」

 

 ヴァルデンブルクはアイゼンシュタットに尋ねる。なにかの悪い夢であることを願っていたが、そんな浅はかな希望はすぐさま打ち砕かれた。

 

「はい。これはもはや決定事項であり、プロイセン王国が我らオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告した際には、フランス帝国は帝国同盟憲章第五条に基づいてこちら側で参戦するでしょう。その場合、極めて高い確率でロシア帝国が参戦し、ナポレオン戦争以来の欧州全土を巻き込んだ戦争になります。」

 

 その答えを聞いたヴァルデンブルクは白い霧を吹き出し、上を見上げてしばらく黙り込む。将校たちのどよめきが落ち着いてきた頃、アイゼンシュタットは地図の一点を指した。

 

「そこで、先の二国と開戦する際には、我々はここから攻め入ります。」

 

 ヴァルデンブルクは指の指す先を見て言葉を漏らす。

 

「旧ポーランド領の……プロイセン・ロシア国境か……」

 

 ヴァルデンブルクの答えにアイゼンシュタットは静かに頷いた。

 

「先の普墺戦争で私達が敗北した最大の要因はケーニヒグレーツでの大敗でありますが、その根底には彼らの優秀な参謀システムがあげられます。」

 

 その場の誰もがアイゼンシュタットを見つめる。将校たちは動揺を抑え、耳を傾けた。

 

 「一方、まず間違いなく参戦してくるであろうロシア帝国は、同地を統治するロマノフ家が徹底的な反動政策を行ったがためにまだまだ識字率が低く、軍の質も我が国やプロイセンと比べてもかなり脆弱です。」

 

 ヴァルデンブルクはアイゼンシュタットの意図に気づいたのか、口を挟んだ。

 

「なるほど、だからこそ二国間の陸路を断つことで連携を弱めるというわけじゃな?」

 

 アイゼンシュタットは再び静かに頷くと、将校たちの顔を見回して言い放った。

 

「この”ポーランド平原攻勢作戦”を成功させ、今度の戦争において必ずや華麗なる勝利を収めてみせましょう!」

 

 アイゼンシュタットはヴァルデンブルクの目を真っ直ぐ射抜いて自信満々に言い放った。

 

 *

 

 数カ月後 1908年7月24日 オーストリア=ハンガリー帝国 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ モスタル


 「ここがモスタルか。いい街だな、ここは。」

 

 のどかな風景に馴染まない、勲章だらけの豪華絢爛な軍服を身に纏った男は、黒い車から降りると深呼吸して言った。

 

「シュタインベルク中将、気をつけてください、ここは旧ボスニア領で、独立派が多く潜んでいるがゆえ、いつどこから凶弾が――」

 

「おいお前!止まれ!」

 

 別の護衛が声を張り上げる。十代半ばであろう青年が中将の前に立ちはだかっていた。護衛の恫喝にも屈せず、ただただそこに立っていた。

 

「おいそこのガキ!止まれ!これ以上近づくならこの場で射殺して――」

 

 銃を構え、声を張り上げる護衛に対し、シュタインベルクは片手を銃口の前に出して制止する。

 

「まぁまてまて。そこまでムキになるな。相手は子供だぞ?」

 

 やがて青年の前まで歩みを進めたシュタインベルクは、青年と同じ目線になるため、両手を膝について前かがみの姿勢になる。

 

 「どうしたのかな少年?ご両親はどこかな?」

 

 青年はシュタインベルクを睨みつけた。周囲の観衆は何事かとざわついている。数秒して、青年は口を開いた。

 

「……お前がオーストリア=ハンガリー帝国陸軍中将、シュタインベルクか?」

 

「いかにも。私がシュタインベルクだ。しかしよく知っているね。新聞をいっぱい見漁ったのかな――」

 

 バンッ――

 

 刹那、乾いた発砲音と、鮮血が散らばった。すぐに通りは人混みと叫び声、そして硝煙の匂いで満ちた。

 

 シュタインベルクはその場で崩れ落ち、青年は護衛に取り押さえられた。


 *


 事件から1ヶ月後 1908年8月24日 フランス帝国 リヨン 帝国陸軍南部作戦本部

 

 「『オーストリア=ハンガリー帝国陸軍中将、セルビア人青年に銃撃され死亡』か……」

 

 雨の降る正午、椅子に腰掛けたガルニエは、左手でコップを掴み、コーヒーを啜りながら言った。

 

「”ヨーロッパの火薬庫”は伊達じゃないな……これでオーストリア=ハンガリー帝国はどう動くか……」

 

「ラヴァリエール、そんなのは考えなくてもわかる。」

 

 憂うラヴァリエールに対しガルニエは答えた。

 

 「セルビアはスラヴ人国家だ。背後にはロシア帝国が控えている。二重帝国の奴らもそれを理解してか、陸上侵攻の代わりに様々な要求をしているのが現状だ。欧州大戦を避けるべく、ロシア帝国もセルビアに要求の大半を飲むように圧力をかけるだろうな。」

 

 ラヴァリエールはコーヒー粉の入ったカップにお湯を注ぎ入れたのち、手に持ったポッドを置き、溜息を吐いた。

 

「今まで以上にバルカン情勢は緊張状態になるな……」

 

 ラヴァリエールは淹れたてのコーヒーカップを片手に、自室に戻ろうと歩みを進める。

 

「失礼します!」

 

 その時、モローが部屋に一枚の紙を持って飛び込んできた。

 

「どうした?」

 

 息を荒くするモローとは対照的に、ガルニエは落ち着いた様子でコップを置き、視線をモローに向けて尋ねた。

 

 「諜報課より緊急入電!セルビア政府がオーストリア=ハンガリー帝国から提示された条件を拒否しました!」

 

 その瞬間、ラヴァリエールは歩みを止め、ガルニエは目を少し大きく見開いた。


 *


 数時間前 1908年8月24日 セルビア 首都ベオグラード 在セルビア オーストリア=ハンガリー帝国大使館

 

 「改めて申し上げます。我がオーストリア=ハンガリー帝国が貴国に要求する内容といたしましては……」

 

 セルビアの外交官は、淡々と書類を読み上げるオーストリア=ハンガリー帝国大使を睨みつける。

 

「1つ、貴国政府からの公式な謝罪」

 

「2つ、犯人を我が国の法廷で裁くことを認可すること」

 

 次々と発せられる熾烈な要求に、外交官は息を呑む。

 

「3つ、貴国内の反オーストリア=ハンガリー組織の即時解散」

 

「そして4つ、我が国の警察が貴国における国内調査を実施することを認可すること。以上、4項目を貴国政府に受諾して頂きたい。」

 

 全てを聞き終えた外交官は振り絞るような、か細い声で答えた。

 

 「いずれの要求も、我が国の主権を著しく侵害するような内容ばかりであり、我がセルビア政府としては到底容認できない……」

 

 紡ぎ出された返答を聞いた大使は、鋭い眼差しを向けて低く脅すように言った。

 

「殺されたのは我が帝国の将校です。主権を語る前に責任を果たしてください。」

 

「しかし……外国警察を我が国に入れるなど……」

 

「受け入れられないと?」

 

 ありえない、とでもいうかのように大使は言った。

 

「全ては到底無理だ……」

 

 二人の間に長い、永遠かのような沈黙が流れる。やがて見かねたのか大使は帽子を手に取り立ち上がった。

 

 「残念です。次は外交官ではなく軍人が話し合うことになるでしょうな。ではこれで。」

 

 突き放すように言い、軽くお辞儀を済ませると、大使は重厚なドアへと歩み寄った。

 

「待て!」

 

 外交官は叫んで勢いよく立ち上がる。

 

「……まだなにか?」

 

 大使は外交官の方へ振り返ると、溜息をついて軽蔑するような眼差しを向ける。外交官は声を張り上げた。

 

 「我が国は()()()()()()ではないぞ。」

 

 その言葉を聞いた大使は鼻で笑い、そして冷徹に答えた。

 

「それは我が国も同じことです。」

 

 大使が部屋を出ると、室内には一人の男と静寂だけが残った。


 *


「そんな……そんなことがあり得るのか……」

 

 ラヴァリエールは狼狽し、冷静にコーヒーを啜るガルニエの眉が少しつり上がった。

 

 「……それで、オーストリア=ハンガリー政府の動きは?」

 

「諜報課によれば、まもなく国内において兵士の動員を開始するだろう。とのことです……」

 

 モローの答えを聞いたラヴァリエールはコップを卓上に置き、静かに言った。

 

「……ついに始まるのだな」


 「あぁ……」

 

 ラヴァリエールとガルニエは二人揃ってため息をついた。

 

「モロー君、例の作戦(北イタリア打通作戦)の立案はできたのか?」

 

 新聞に向けていた鋭い眼差しを、今度はモローへと向ける。

 

「もう数日で完了します。」

 

 ガルニエはソファから立ち上がり、的確に指示を出す。

 

「よし、私はパリの連中に南部により多くの師団を割り当てるように打診する。モロー君は作戦の立案が完了したらすぐさま複写し、パリの連中に送りつけろ。ラヴァリエールはモローとともに作戦に穴がないかの確認と、予想される反論への回答を用意しておいてくれ。」

 

 そういってガルニエは新聞を卓上へ放り投げ、電信機へと歩みを進めた。

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