第一話「南方への赴任」
1908年4月10日 フランス帝国 リヨン 帝国陸軍南部作戦本部
「失礼します。」
列車に揺られて丸一日、長旅の末、南部作戦本部に到着した。石造りの質素な建物で、豪華な装飾のされた他の政府関係の建物と比べても、いかに南部作戦本部が辺境の部署であるかが見てわかる。
モローは建物二階の大部屋、「南部作戦本部」と書かれた看板のぶら下がる、鉄の扉をノックした。
「入ってよいぞ」
重厚な扉を押し開く。部屋の中央には大きな円卓が鎮座し、フランスの地図が大きく拡げられ、その上には大量の駒と付箋が貼られている。また、壁には大量の書類とアフリカ大陸の地図が画鋲によって貼り付けられ、それぞれが線によって繋がれていた。
「あぁ!人事課からきいてるよ。」
白髪が特徴的なその老人は右手を差し出す。咄嗟にモローも右手を差し出し、握手を交わした。
「アンリ・ド・ラヴァリエールと申す。ここでは作戦本部長補佐をやっているよ。」
朗らかな笑みを浮かべて話すラヴァリエールは、優しい口調で自己紹介をした。
「ジャン・モローです。よろしくお願いします。」
軽くお辞儀をして挨拶を済ます。部屋の中へ歩み入ろうとすると、奥の方から一人の軍靴の音が近づいてくるのに気がついた。死角から男が歩み出てくると、すぐにモローと目が合った。
「君が例の新人か。人事課の方から伝え聞いているよ。ところで、前の所属はどこだ?」
おそらく50代ぐらいの男性がじっとこちらを見てそう言い放つ。モローは臆することなく答えた。
「前の所属ですか……総参謀本部の戦争省作戦部でした。」
答えた途端、その男は顔色ひとつ変えずに言い放った。
「ということは、君、左遷か。」
「おいガルニエ――」
「私は構いませんよ。使える人材なら誰でも。」
回答に満足したのか、ガルニエと呼ばれる男は通り過ぎてしまった。ラヴァリエールは困ったように溜息をついた。
「申し訳ないモロー君。彼が作戦本部長のルネ・ガルニエだ。性格には多少難があるが、あれでも元は君と同じ総参謀本部に配属されていたんだ。できれば仲良くしてほしい。」
「えぇ……頑張ってみます。」
変わった仕事仲間に困惑しつつも、口では同意した。
*
「おおっと、君は確か……モロー君だったかな?こっちに来たまへ」
あれから十数分後、挨拶を済ませ、自分の仕事机に荷物を置き終わったモローは、本部内を見て回ろうかとしていた矢先、作戦本部長に呼び止められた。
「どうしましたか?」
席に座れ。とでも言うように掌で椅子を指す。モローは何も言わずに椅子に腰掛け、円卓を挟んでガルニエと対面する。
「この配置を見てくれ。」
言われるがままに円卓へと目をやると、いつの間に置かれたのか、先程のフランス本土の地図に大量の駒が置かれている。そのうちのひとつに目をやると四角い駒の横に付箋で”帝国陸軍第一軍”と記載されていた。
「君はこの戦力配置についてどう思う?」
「はい?」
突拍子もない質問に思わずモローから腑抜けた声が飛び出す。
「あの、こちらの配置は……?」
「ラヴァリエールから聞いただろう、私も元は総参謀本部で働いてたんだ。その頃の伝手でね、この戦力配置を秘密裏に教えてもらった。」
ガルニエは人差し指で机をトントンと突きながら、モローの顔を見て言った。
「さぁ、この配置についてどう思う。上の連中が考えたからと言って遠慮しなくてよい。思ったことをそのまま話してくれ。幸い、ここに憲兵は来ないしな。」
ガルニエ冗談交じりに笑いつつも、その目はモローを捉え続けていた。モローは若干の圧を感じつつも口を動かす。
「ご覧の通り、現在の総参謀本部はプロイセン王国による復讐戦争を恐れ、本土軍の大半を北部に集中させているようですが、この判断は少し短絡的です。」
「続けろ。」
面白い。とでも言うようにガルニエは不気味な笑みを浮かべ、身体を前のめりに起こす。
「ご存知だと思われますが、フランス軍の戦力はそれぞれ第一軍から第七軍に配属されています。ひとつずつ配置を説明いたしますと……」
モローは駒をひとつ指差す。
「首都近郊を防衛する第一軍。」
次に人差し指で円を描く。
「そして北部に固まっているこれら第二、三、四、五軍が北部防衛用部隊。」
今度はスペインとイタリアを指さした。
「スペイン王国とイタリア王国国境の警備が主任務で、我々南部作戦室に指揮権が認められている部隊、第六軍。そして……」
最後にモローはガルニエの頭上――背後の壁面を指差す。彼の背後には大きく描かれたアフリカの地図があった。の指の動きに合わせて、ガルニエも後ろに振り返った。
「最後に、植民地防衛として第七軍が各地に配備されています。これらの説明を聞いて分かる通り、我が軍は総戦力のうち6割弱を北部に展開しています。」
ガルニエは身体をモローの方へ向け直すと、白々しく言った。
「各軍の配置は理解したが、なぜ短絡的と言えようか?普仏戦争で敗北したプロイセンが復讐主義を引っ提げて我が国に攻撃を仕掛ける可能性を考えれば、北部に軍を集中させるのは自然であろう?」
声は白々しくも、依然としてその鋭い眼差しはモローを貫いている。モローは狼狽えることなく答えた。
「はい。『プロイセン王国が復讐のために戦争を挑んでくる』のは私も同感です。ですが次の戦争はフランス帝国やプロイセン王国のみではなく、極めて高い確率で欧州各国を巻き込む可能性があります。」
モローを貫き続けたガルニエの眉が、ピクリとだが初めて動いた。ガルニエは太ももに肘をついて顎に手を乗せた。
「我らフランス帝国が築き上げた仏墺同盟もとい”帝国同盟”に対抗しようというのか?」
帝国同盟――ロシア帝国の南下と強大化を恐れたオーストリア=ハンガリー帝国とフランス帝国の間でつい数年前に設立された陣営。加盟国は先述の二国に、南ドイツの統一国家である南ドイツ連邦の計三カ国が加盟している。
「プロイセン王国一国では間違いなく不可能でしょう。しかし、ロシア帝国が高確率でプロイセン王国側にて参戦すると考えられます。そこにイタリア王国や大英帝国、スペインやスウェーデンなどの列強が介入してくれば戦局は全く予測不可能なものになります。」
ガルニエは予想以上だとでも言うように深くため息を吐き、背もたれに深くもたれかかった。
「では、君ならこの配置をどのように修正する?」
モローは自分の顎に手を当てながら思考する。数十秒のち、やがてモローは四角い駒を数個移動させ、口を開いた。
「北部から二個軍をイタリア戦線に再配置します。」
「イタリア王国に?我が国とイタリアの関係は良好ではないか。」
またもや白々しい声で質問する。
「我が国とイタリア王国の間に特筆すべき問題はありません。が、オーストリア=ハンガリー帝国となると話が変わってきます。」
「”未回収のイタリア”か。」
ガルニエはそう呟くと、その鋭い眼差しをイタリア・オーストリア=ハンガリー国境に向けた。モローは続けて口を開く。
「ご明察でございます。イタリア王国は統一国家の建国の際に南チロルやトリエステを筆頭としたオーストリア=ハンガリー帝国の領土を『未回収のイタリア』として、同国に何度も返還を要求しています。」
モローは赤いペンで"未回収のイタリア"に斜線を描いた。
「ですがその都度要求は退けられ、現在における両国の関係は開戦寸前レベルまで悪化していると言われております。」
ガルニエは椅子に背中を預けたまま、コーヒーを一口飲み、モローの説明を黙って聞いていた。広い作戦本部室に、ただモローの声が響く。
「イタリア王国がオーストリア=ハンガリー帝国に対して、先述の問題を理由に開戦した場合、帝国同盟憲章第五条に基づいてイタリア王国と戦争状態に入りますが、もしそうなれば、プロイセン王国もロシア帝国も便乗してくるのはまず間違いないでしょう。」
モローは地図の端に寄せてあった駒のうち、数個を手に取り、地図の上――イタリアとオーストリア=ハンガリー帝国の国境付近に置いた。
「もし我々が、オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊する前に戦況を立て直せなければ、やがて訪れるプロイセン、ロシア、イタリアとの戦争に敗北するでしょう。」
回答を聞いたガルニエは俯き、満足そうに口角をつり上げた。
「……はっきり言って、想像以上に優秀だな、君は。パリの連中はいつも優秀な人材を食い潰している……あんな奴らが普仏戦争に勝ったとは本当に信じられないよ。」
「身に余るお言葉です。」
モローが謙遜すると、ガルニエは椅子から立ち上がった。
「では準備をしておくれ。」
「準備……?何の準備を……?」
脈絡のない発言にモローは困惑する。
「決まっているだろう。北イタリア打通作戦の立案だ。来たる大戦争で僻地であるここ帝国陸軍南部作戦本部は一気に激務になるぞ。」
「っ……承知しました。」
モローは椅子から立ち上がって敬礼をすると、早速自分のデスクへと戻り、イタリア王国の地形や陸海戦力、諸外国との関係や条約を調べだした。




