36-2.
工房に戻って買い込んだものを収納する。
チロは出かけずミオとメイが帰ってくるのを待ち構えていた。
「チロちゃん、ハチミツと果物を買ってきたよ」
「なん!」
「今日はお昼を軽めにして、今からパンケーキを焼いちゃおう」
「にゃうん!」
チロの待ってましたと言わんばかりの鳴き声の他、ついさきほどのいら立ちのためにやけ食いしたいというメイの気持ちもわかるので、ミオは卵とミルクを用意する。
「アガサさんはすごくきれいなひとだったね。ミステリアスな感じで、物語に出てくる錬金術師みたい」
「あ!」
メイが唐突に声を上げる。
「どうしたの?」
「姉さんが言うとおりのキャラクターが出てくる本があったじゃない!」
「ああ、あったわね。だから、アガサさんを見てそんなイメージを持ったのかもしれないわ」
妖艶な美女が錬金術を駆使する物語で、多くの人間を魅了する。もちろん、読み手のミオやメイも心をつかまれ、錬金術師はミステリアスで素晴らしい力を持っていると植え付けられた。
現実とは少々、いや大分事情が異なる。だが、読み物として十分に楽しめる。
その日の夕方、食卓を囲むジェイクも関連する情報を掴んでいた。
「市庁舎の方はどうだったんだ?」
「おほめの言葉をいただいたわ。今年の年末申告はほとんど税金を納めなくてもよさそうなの」
それだけ、リージュ市への貢献度が高いと認められた。
チロにハチミツたっぷりのパンケーキをやったと続けると、ジェイクはそりゃあ、良かったな、と功労者に視線を向ける。
「なうん」
チロは自分の深皿から顔をあげ、昼間のぜいたくなひとときを反芻するかのようにぺろりと口周りをなめた。
「それでね、市庁舎を出たところで、最近越してきたという人と出会ったの。なんと、錬金術師よ!」
メイがスプーンを握る手に力を入れる。
「そういえば、事業を畳んだ工房に工人が入っていると聞いたなあ」
あれはどこの区画だったか、と思いだそうとするジェイクはさすがにベテラン冒険者らしく、情報収集に努めている様子で、関連する事柄を知っていた。
「きっとそれがアガサさんの新しい工房ね」
「へえ、女性か。どんな人なんだ?」
ジェイクも新しい錬金術師に興味があるのだろう。
「それがね、謎めいた美女なの!」
メイがスプーンを握りしめたまま上半身を乗り出す。
ジェイクはちらりとミオを見やる。
どうしてメイはこんなに興奮しているんだ。ちょっと、いろいろあったのよ。
そんなやり取りを無言のうち視線でかわす。
「そうか、」
それきり、言葉が続かず、ジェイクはパンをかみちぎることで口を封じた。
「そうなの! でね、お付きがすっごい感じ悪いのよ!」
「お付き?」
聞きなれない言葉を繰り返しながら、メイが怒っているのはこの部分だなと察する。
「従者よろしく付き従っていたの。弟子ですって!」
なるほど、とうなずきつつも、新しい工房は少々離れた区域だったことを思い出したジェイクは言う。
「まあ、工房は離れたところにあるから、そうそう会うこともないだろうさ」
リージュは大都市だ。それに、ミオとメイは顧客が定着しつつある。聞くところによると、アガサという錬金術師とはランクも違うようだし、会う機会はないだろう。
ジェイクはそう思っていたが、それはなにもしなかった場合だ。
相手から働きかければ当然そうはならない。
カリスタに客だと呼ばれて行ったら、傾いた太陽が茜色に染める店内に、アガサとコンラッドがいた。
「良い工房ね。手間を惜しまない美しいディスプレイだわ」
棚のひとつひとつに視線をやってアガサが言う。そこにはこの時間特有の暖かな色合いの陽光を弾くガラス瓶が並んでいた。ひとつひとつに鉱物や植物が閉じ込められ、小さな世界を作り出している。
「ありがとうございます」
ちょうど今現在、自身の工房を作り上げているアガサとしては他人の工房の外観内観に関心が高いのだろう。
「今日はどんなご用ですか?」
メイが警戒してたずねる。主に弟子の方に視線が向いている。
「特にないんだけれど、近くを通ったら、ここにあなたたちの工房があると聞いてね。せっかくだから寄ってみたの」
錬金術師だと名乗ったらここにも工房があると教わったのだという。
「知名度が高いのね」
工房を運営する者としては有能だと言われたも同然だ。
アガサの言葉にメイがいくぶん気持ちを上向かせたとたん、また鼻を鳴らす。やったのはやはりコンラッドだ。
ミオは師匠が同業者を褒めるのが面白くないのだろうかなどと冷静に分析していたが、メイは違う。
「なによ、あんた、この間から態度が悪いわね!」
「ふん、年下のくせに、お前の方が生意気だ!」
コンラッドも食って掛かり、言いあいが始まる。ミオはあわてるも、カリスタもアガサも傍観の姿勢だ。
「なんですってぇ?! わたしはもう十五よ!」
「な、なんだと! 同じ年?!」
「えぇっ!」
メイもコンラッドも、互いが相手のことを年下だと思っていたようで、事実を知って衝撃を受けている。
おかげで、口げんかは一時停止となる。
打って変わって黙り込むふたりをよそに、アガサはまだ工房ができていないので、街を見物しているのだと話す。
「うちの弟子は実は年不相応にこまっしゃくれていてね。どうしたものかと思っていたの。でも、こちらの妹錬金術師さんには年齢相応になれるみたいだわ」
この工房へ顔を出してよかったと笑う。
「流行っている工房も見学できたしね」
「以前はどちらにいたんですか?」
「王都よ」
「わあ、文化の都アントウェル!」
リージュも大都市だが、やはり王都は規模が違うと聞く。錬金術師組合の本部もある。他に、魔術師組合の本部もある。錬金術師組合の引き合いによく魔術師組合が引き合いに出される。なぜかというと。
「あの、じゃあ、Sランク錬金術師とはお会いされたことがありますか?」
ランクはFからAまでとされている。だが、まれに、突出した魔力、知能、力、技術などを持つ者が現れる。Aランクの凄腕という範疇に収まりきらない者にはSランクの称号が与えられた。
そして、現在、錬金術師にひとり存在するのだ。Sランクの者が。
さらに言えば、魔術師にもSランクを持つ者がひとりいる。そのため、なにかと両組合は引き合いに出される。
この国の国都に同時期にふたりも存在するのだ。
錬金術も魔術もこのふたりの天才によって、目覚ましい発展、発見を成し遂げていると聞く。
なお、当代、Sランク保持者はもうひとりいて、それが剣聖と称される冒険者だ。
Sランクという稀な存在が三人もいることから奇跡だとも言われている。
「いいえ。でも、工房にお伺いしたことがあるわ」
「工房に!」
「【神秘のアルルーン】を育てているというのよ。これはなんとしてでも見たいと思ってね」
押しかけたのだという。
「【神秘のアルルーン】!」
ミオは目を輝かせる。
薬草関係に携わる者ならば一度は耳にしたことがある植物である。ただ、諸説あり、薬草でありながら、不思議生命体だとも聞く。魔力を多く内包し、多様な薬効があるという。それは薬草でありながら、採取することすら命がけだとかいった様々な話がまつわる。いわば、伝説の植物である。
「あら、わかってくれるかしら」
「わかります、わかります。【神秘のアルルーン】は一生に一度は取り扱ってみたいですよね」
勢い込んで言うミオにアガサが嫣然と笑う。
「そうなのよ」
そんな伝説の薬草を育てている。さすがはSランク錬金術師である。アガサは残念ながら伝説の錬金術師に会うことも【神秘のアルルーン】を見ることも出来なかったのだという。
「神秘の薬草だから、隠されているのは当たり前ね」




