第5話
「……ちょっと待って。これ、全部本物なわけ?」
竜都の一角に新しくオープンしたバーンズ商会竜都支店の真ん中で、フィリアは目の前にそびえ立つまばゆい山を見上げて固まっていた。それは店舗の半分を優に占拠する、ワゴン車いっぱいの竜の秘宝である。一粒で人間が一生暮らせそうな大粒のルビー、古代の魔力を宿した黄金の燭台、人間の頭ほどもある美しくカットされたダイヤモンドが雑然と積み上げられていた。
開店初日の朝だというのに、客ではなく我が物顔で店内に鎮座しているのは、世界を統べる竜王その人だった。
「ああ、気に入ったか、フィリア」
竜王は眩しいほどの美貌を綻ばせ、胸を張って言い放つ。
「我が愛する番の初仕事だ。この国の富の半分でもくれてやろうと思ったが、まずは倉庫の肥やしになりそうなガラクタ……いや、ささやかな手始めの品を持ってきた。さあ、これで店を大きくするがいい。私をもっと愛してくれ!」
「誰がガラクタよ!……って、そういう問題じゃないでしょ!」
フィリアは計算機を放り出し、額に手を当てて天を仰いだ。現実主義な彼女の脳内では、すでにこの異常すぎる寄贈品が引き起こすであろう大赤字の未来が鮮やかに映し出されていた。
「こんな巨大なダイヤ、王都のどこへ持って行っても買い叩かれるか、偽物だと思われるわよ!」
大声でツッコミを入れるフィリアの背後で、青い制服に身を包んだ執政官が、大量の書類を抱えたまま冷や汗を拭い、やれやれといった様子で息をついた。彼の顔には、いつものように深い胃痛の影が滲んでいる。
「フィリア様、お怒りはごもっともです。一般の市場経済において、これほどの流動性のない高額商品は、個人の商会が抱えるには危険が大きすぎます」
執政官は眼鏡の位置を直すと、淡々とした声で竜王を振り返った。
「竜王様、残念ながら番様にとっては、これらは換金性の低い不良在庫に過ぎません。もう少し硬貨や、王都の商業ギルドで換金できる手形に換えて差し上げるべきかと……」
「なんだと?この世界の財宝が不良在庫だと?」
「はい。このままでは店が潰れます」
(この人、こういう時だけすごく頼りになるわね……)
執政官は一歩も引かず、実務的な正論を叩きつけた。その完璧すぎる事務処理の鬼っぷりに、フィリアは思わず遠い目をするのだった。
「おいフィリア、今日は極上の空の旅に連れていってやろう」
そう言って竜王が変幻させた巨大な黄金の竜の背中に、フィリアは渋々といった様子で腰掛けた。隣には、風圧ですっかり乱れた髪を直しながら、ずっしりと重い書類の束を抱えた執政官が別の小ぶりの竜にしがみついている。
地上から見れば、世界を統べる竜王と愛しい番による、この上なくロマンチックな空中散歩デートのはずだった。だが、肝心のフィリアの脳内は、ロマンスの欠片もなく商売と経費計算でフル回転していた。
雲の上を優雅に滑空しながら、竜王はうっとりとした表情で隣のフィリアの肩をそっと抱き寄せた。
「ほら見ろ、フィリア。我が領土の美しき夕日だ。世界で一番美しい君と、こうして同じ空を見られるなんて私は幸せ者だぞ」
甘い囁きに、フィリアは真剣な顔つきで持参した巻物を広げ、周辺の空域を指差した。
「うわあ綺麗……じゃなくて!ちょっと竜王様、この雲の上って物資の流通経路に使えないかしら!?王都からこの竜都まで、地上の険しい山道を通ると馬車で三週間かかるけど、この空路を使えば直線距離で二日よ!輸送費用が劇的に下がるわ!」
「……は?流通経路?」
ロマンチックな雰囲気を一刀両断された竜王が、ポカンと口を開けて固まる。しかし、フィリアの商売脳は一度回り出したら止まらない。
「そうよ!しかも魔物の襲撃も地上に比べて格段に低い。空輸特化の配送ギルドを立ち上げれば、我がバーンズ商会は一代で大陸一の物流王になれるわ……!ねえ執政官、今の経路の気圧変動と風向き、ちゃんとメモした!?」
名指しされた執政官は、ビュービューと吹き付ける強風に眼鏡を飛ばされそうになりながら、必死の形相で羽ペンを走らせていた。
「は、はいっ!って、空中輸送の安全と、万が一墜落した際の損害についてですね……っ!む、無理です、そんなの理解してくれる所は現在の人間界にも竜界にも存在しません!そもそも私はなぜこのデートに同行してメモを取っているのですか……!」
絶叫しながらも、長年染みついたお上の事務処理の習性から、空路の事業計画書をまとめ上げていく執政官。
「素晴らしいわ、執政官さん!あなた、うちの本店に引き抜きたいくらい優秀よ!」
「お断りします!私の定時と平穏を返してください!」
大空の上で繰り広げられる、愛の告白とは程遠いガチガチの新規事業プレゼン大会。
巨大な黄金の竜の背中で、竜王は遠い目をして頭を抱えた。
「……私の財宝は不良在庫扱いされ、デートの最中に商売の販路を拡大され……私とフィリアの距離は、いつ縮まるのだろうか……」
世界の頂点に立つ竜王の切ない呟きは、強烈な向風にかき消されて、雲の彼方へと消えていくのだった。




