第3話
フィリアが自室の布団をかぶり、もう商売ができないなら干からびてやるとばかりに日に日に元気を失っていくのと同じ頃、竜都の最高中枢に異変が起きていた。
世界を統べる絶対者であるはずの竜王が、突如として原因不明の高熱と凄まじい衰弱に襲われ、ベッドから起き上がれなくなったのだ。巨龍としての威厳はどこへやら、苦しげに息を荒らげ、冷や汗を流す姿に宮殿中が混乱に陥った。この状況を、権力者たちが黙って見過ごすはずがない。
直ちに招集された緊急上層部会議の席上、黄金の祭壇の前で、神官長が声を張り上げた。
「見よ!あの人間界の平民崩れの女がこの宮殿に来てからというもの、竜王様がこのような重体に陥られておる!」
神官長は杖を床に打ち鳴らし、側近や貴族たちを見回した。計画がうまく運び始めたことへの笑みが漏れ出ている。
「間違いない、呪いだ。あの下賤な平民の穢れが、気高き竜王様の精神と肉体を内側から蝕んでいるのだ。このままでは竜都全体が不浄に染まってしまう……!」
神官長が心の中でほくそ笑むと同時に、それに便乗して声を上げたのは、排除派のリーダー格である美姫だった。彼女は悔し涙に濡れていた美しい顔を歪め、一歩前に進み出る。
「あんな強欲で、私たちの好意をガラクタ扱いするような平民の女が、竜王様の番などおおがましいわ!竜王様をこんな目に合わせた大罪人として、今すぐあの女を国外追放すべきですわ!そして、心身ともに清らかな私こそが」
「異議なし!直ちにあの平民を牢に繋ぎ、人間界へ叩き出すのだ!」
神官長に同調する神官たちが次々と手を挙げ、会議室はフィリアを追放し、自分たちの息がかかった美姫を竜王の側に据えようという思惑で染まっていく。
竜王の体調不良という危機を、権力闘争と保身の道具にしか使おうとしない者たち。だが、彼らは誰も気づいていなかった。竜王が倒れた本当の理由が平民の穢れなどではなく、愛しい番のストレスと絶望が、精神的な繋がりを通じてそのまま竜王の体に流れ込んでいるからなのだという真実を。
宮殿が神官たちの陰謀と保身のための大合唱に沸き返る頃、地下深くにある暗い書庫では、たった一人の男が煤けたランプの光を頼りにページをめくり続けていた。
執政官である。
普段の彼は、ただひたすらに冷や汗を流しながら規定を唱えるだけの頼りない木っ端役人にすぎない。しかし、今の瞳に宿っているのは、徹底的なプロとしての執念だ。
(お上の仕事は、ただ上の顔色を窺うことではない。正確な処理と、目の前で起きている事象の因果関係の究明こそが、この私の職責だ)
誰に命令されたわけでもない。神官たちが平民の呪いだと騒ぎ立てる中、彼はその言葉に強烈な違和感を覚えていた。物事には必ず原因と結果がある。原因の特定を怠ったまま下される処分など、事務処理の観点からして論外だ。
地下書庫にこもり、分厚い王国法、魔物および竜族の生態に関する古文書、そして数千年におよぶ歴代竜王の婚姻と精神状態の記録を片っ端から読み漁る。山のように積み上げられた羊皮紙の中で、彼の指が古い一冊の歴史書で止まった。
「これだ!」
インクの滲んだ一節には、かつての竜王と運命の番に関する特異な記録が残されていた。
『竜王とその番の精神的繋がりは、対等にして絶対的である。番が歓喜すれば竜王の力は無限に満ち、逆に番が理不尽な環境によって抑圧され、その本質や生きがいを奪われたとき、そのストレスはそのまま竜王の肉体を蝕む毒となる』
点と点が、恐ろしいほどの精度で一本の線につながる。
竜王が倒れたのは、フィリアが呪いをかけたからではない。むしろ逆だ。商売道具を取り上げられ、換金できないガラクタを押し付けられ、広大な宮殿の鳥かごの中で商売人としての生きがいを奪われ続けたフィリアのストレスが限界を突破した。その強烈な絶望感が、精神的繋がりを通じて直接竜王の体を内側から破壊していたのだ。
(原因は、番殿の穢れなどではない……)
執政官は静かに立ち上がり、眼鏡を押し上げた。その表情に、いつもの頼りなさはない。
(真の原因は、彼女に不要な宮殿の構造、そして彼女を過剰に抑圧し、あまつさえ罪人に仕立て上げようとする神官たちや排除派の愚行そのものだ)
神官長たちが国外追放を叫んでる陰謀の裏側。その腐敗と責任の所在を、執政官は完璧に弾き出していた。
(私の仕事は正確な処理の執行。……ならば、この理不尽を、今すぐ法と証拠で完全に潰してやろう)
分厚い調査書類の束を脇に抱え、執政官は静かに地下書庫をあとにする。冷たい夜気が、白亜の回廊の窓硝子を静かに揺らしていた。




