表情
「平和ね」
食堂で昼食をとっていたリリスは、ここ数日の何事も起きていない日々を振り返って感想を漏らした。
リリスの周りには誰もいないため、ただの独り言になってしまったが、そんなリリスの声を聞く者もいない。皆それぞれのテーブルで昼食を食べていて、リリスを気にしている者がいないのだ。
最高聖女だった時は常に周りに気を配り、最高聖女としての立ち居振る舞いを周囲から見られていた。リリスは孤児院出身だったため、何かあれば余計に突かれる可能性もあったのだ。
だが、ここでは誰もリリスのことを気にしていない。それが新鮮で面白くもあった。
「あ、リリン」
会話する相手もいないので、黙々と食事を進めていると急に声を掛けられた。聞き覚えのある声に顔を上げれば、ここで初めて声をかけてきたティテルがリリスを見つけて早足に近づいてくるところだった。昼食を盆にのせて来たことから、今食堂に来たのだろう。
「ここでの生活に慣れた?」
「まぁ、まだ5日だけど、それなりには」
ここで仕事を始めて5日が経った。医務室と自室の往復のような生活ではあったが、リリスにとってはすべてが初めてのことばかりだ。慣れる時間は取れたと思う。
「辛そうとも、楽しそうとも言えない表情ですね」
そう指摘されリリスはきょとんとした。
最高聖女だった時に、あまり感情を顔に出さないようにと指導を受けていた。楽しいことならいいのだが、辛かったり苦しいことを最高聖女が表情に出してしまうと周囲に不安という影響を与えてしまう可能性があった。そのため、感情を表に出さないようにと訓練を受けた。そのせいで、神殿を追い出された今でも喜怒哀楽を上手く表現できない状態であった。
リリスの中にはちゃんと喜怒哀楽の感情は備わっている。それが表に出づらいだけなのだ。
「帝都にいた時から変わらないの。周りのみんなは気にしていなかったみたい」
リリスが何を思っていようと、神殿の聖女たちは気にすることはなかった。最高聖女の顔色を窺うようなことをしても無意味だとわかっていたからだろう。
「でも、ここでそんな風にしていたら、いつも不機嫌な人だと思われるわよ。楽しい時は笑顔で、悲しい時は辛そうにしたりしないと変人扱いされるかもしれないし」
一般の人はそう思うのかとリリスは感心してしまったが、それも表情には出なかった。
「ありがとう。心がけてみるわ」
感情を外に出すということが必要だと知れたことは貴重なことだった。だが、今まで無表情を貫いてきたリリスにとって、喜怒哀楽を表に出すことが上手くできるのか疑問でしかなかった。
「それじゃ、私は戻るわね」
食事を終えてリリスは医務室に戻ることにした。その途中、感情を表に出す方法を考えて、頬に手を添えてみたが、表情筋を動かせる気がしなかった。ぷにぷにと頬を突きながら歩いていると、すれ違う人たちが不思議そうにリリスに見ていたのだが、考え事をしていて気が付くことはなかった。
「戻りました」
医務室に戻るといるはずの2人の医師が不在だった。
昼食は順番にとることにしていたので、リリスが戻るまではいるはずなのにと首を傾げていると、奥の部屋からルークが荷物を抱えて現れた。
「戻ったのか」
短い言葉にいつもの落ち着きが感じられなかった。
「何かありましたか?」
抱えている物は薬だ。怪我人が出たのだろうと思ったが、部屋には怪我をした人もベルト医師もいない。
「騎士団の方で怪我人が出た。運んでくるより、こちらから出向いたほうが早いということで師匠が先に行っている。俺も薬を持って今から行くところだった」
「それなら私も一緒に行きましょう」
怪我ならリリスの治療が使える。
「いや、君は他の患者が来た時のためにここで待機していてほしい」
リリスが出しゃばるほどではない怪我なのか、ルークはリリスの同行を断ってきた。
「そうですか・・・」
リリスは少し考えてから、頷くのではなく両手をルークに差し出した。
「なんだ?」
その行動を不審に思ったルークが部屋を出ようとして立ち止まる。
「やはり私が行くべきかと。まだ、私の治療を見せていませんでしたし、この機会に治療をさせてください。それに、私がここに残るより、ルークさんが残った方が、他の患者さんへの対応もスムーズだと思います」
ここに配属されて5日。薬の位置や患者の対応はわかってきたが、いつも誰かが一緒だった。1人でも対応できるだろうが、慣れているルークがいたほうがいいと思ったのだ。それに、リリスの力を見せるチャンスでもあると考えて、薬を持っていく役目を引き受けることにしたのだ。
「いや、しかし・・・」
「ルークさんには見せられませんが、ベルトさんには私の力を確認してもらえます。怪我人の治療もできますし、私に行かせてください」
差し出した手をさらにルークに伸ばすと、彼は少し悩むそぶりを見せてからため息をついた。
「わかった。騎士団の訓練場の場所はわかっているのか」
「大丈夫です」
抱えていた荷物をすべて受け取って、リリスは足早に医務室を出た。目指すは騎士団の訓練場。そこを目指して歩いていくリリスの背中を見つめていたルークが心配そうにため息をついたことには気が付くことはなかった。
「騎士たちの中には聖女を快く思わない者もいるのに、騎士たちの中に入って大丈夫なのか?」
その声さえリリスには届くことはなかった。




