聖女リリン
「お疲れ様です」
目の前に出された紅茶をロベルトはゆっくり飲んだ。今日の仕事はひと段落が付き、エジェスがお茶を淹れてくれるのが仕事終わりの習慣になっていた。窓の外を眺めると日が沈み、どっぷりと夜闇がオリエント領を包み込んでいる。テラスに出れば街を一望できるが、夜の街は家々の明かりが頼りで、街の街頭はまばらだ。それはそれで幻想的な景色なのだが、帝都のように明るく夜でも人々が外を楽しく出歩けるほど光溢れる光景もすごいと思ってしまう。帝国の繁栄を象徴しているようで、北部との違いを見せつけられている気分にもなって、悔しいような切ないような気持ちを持ったことがあった。
それも何年も前の話だ。ここ数年は帝都に行くこともなく北部を中心に生活している。
毎年貴族の出席が義務付けられているパーティーなどがあるが、北部は帝都から距離があることと、魔物の侵入を防ぐため領地を離れられないという理由をつけて欠席しているロベルトだ。
「そういえば、数日前にリリン=サフィアが騎士の怪我を治したことで、城の中は噂が広がっていますね」
急にエジェスがそんなことを言ってきた。
「噂?」
「聖女が怪我を治したのに、見返りを何も求めず、すぐに帰ってしまったようです。後から何かを言われると思っていたようですが、リリンは自分の仕事をしただけだと言ったそうです」
それが普通だと思えた。だが、オリエントにいる者たちは聖女に対してあまりいい感情を持っていないのだ。正確には神殿に所属している聖女だ。神殿と関りを持っているということがオリエントの者たちには引っかかることになる。
その考えが浸透している中で、神殿から追放されたとはいえ、もともと帝都の神殿にいたリリンに不信感を持っている者たちも多い。口には出さなくても、あまり関りを持ちたくないと思っている者もいるだろう。
「彼女はみなし聖女として雇われているからな。自分の立場を弁えているのだろう」
そう言いながらも、ロベルトもリリンの行動に少なからず驚きがあった。
リリンが自分の仕事を全うしただけなのだが、不思議な気分にもなる。
ただ、見返りは求めなかったが、今後何かを要求される可能性も捨てきれない。そんな風に勘ぐってしまうのは仕方がないことだが、本当にリリンが何も求めていないのであれば、少しだけ申し訳ない気持ちにもなってしまう。
彼女がただ怪我を治してくれる聖女だと認識されるようになれば、リリンの立場も少しずつ変わっていくかもしれない。ここでは魔物との戦いが当たり前になっている。怪我をする人間が帝都と比べても多いだろう。リリン=サフィアは重宝されることになるはずだ。
「リリンの態度が騎士たちにとっては衝撃だったようで、なぜか彼女のことを天使だと称している者がいるそうです」
話には続きをあった。
天使はさすがに言いすぎなように思うが、見返りを求めない聖女が相当衝撃だったのだろう。
「その後から怪我をするとリリンを頼るようになっているそうですが、あまりにも医務室に騎士が出入りする者だからベルトとルークが騎士の出入りを禁止しようかと相談しているとか」
「仕事に支障が出るほどなら考えないといけないな」
そこまでリリンの影響力を誰も予想はしていなかったことだろう。当の本人はあまり気にしていないようで、怪我人の治療をしているだけだという。
このまま何事もなくリリンが馴染んでくれればと思ってしまう。
怪我を治してもらっただけで騎士たちが心を許しているのなら、懐柔され過ぎている気もするので、今後騎士団長と話し合いをしたほうがよさそうだ。
そんなことを考えていたロベルトの耳に突然大きな笛の音が響いた。ハッとして窓の外を見る。大きな音は城にいる全員が気が付けるほどだ。
「エジェス、後は頼む」
「承知しました」
急激に城の中がざわつく。笛を音が何を意味しているのかロベルトだけではなくエジェスも理解していた。だからこそ、冷静に動くことができる。
ロベルトは立ち上がるとすぐに騎士団へと向かうことになった。




