消失の兆し
放課後の教室は、妙に静かだった。
夕方の光が窓から差し込み、机の影を長く伸ばしている。
「……まただ」
俺は自分の手のひらを見つめた。
さっきまで持っていたはずのペンが、ない。
机の上にも、床にも落ちていない。
探すというより、最初からそこに無かったみたいに感じた。
これで三回目だ。
最初は偶然だと思った。
次は気のせいだと思おうとした。
でも、もうそれは無理だった。
「……なんなんだよ、これ」
小さく呟いた瞬間だった。
視界の端で、黒板消しが一瞬だけ“途切れた”。
揺れたのではない。
そこだけが、ほんのわずかに抜け落ちたように見えた。
次の瞬間には、何事もなかったように戻っている。
(今の……)
胸の奥が重く沈む。
そして直後、胸が一瞬だけきゅっと痛んだ。
(……まただ)
理由の分からない不快感だけが残る。
⸻
翌日。
授業中、隣の男子が消しゴムを落とした。
「落ちた」と思った、その瞬間――
その手が一瞬だけ薄くなった。
消えたわけじゃない。
ただ、存在の輪郭が曖昧になる。
「……っ」
思わず息が止まる。
「どうした?」
隣の男子がこちらを見る。
「いや……なんでもない」
慌てて視線を逸らす。
男子は何も気づいていない。
ただ普通に笑っている。
(俺だけが……見えてるのか?)
胸の奥に冷たいものが広がった。
⸻
放課後、帰り道。
夕焼けがやけに濃く見えた。
その時だった。
胸の奥が一瞬だけ、きゅっと痛む。
「……っ」
視線の先で、前を歩く女子生徒の姿が一瞬だけ“抜けた”。
消えたというより、そこだけ穴が空いたような感覚。
すぐに元に戻る。
「今の……」
声にならない。
彼女は普通に歩いている。
周りも誰も気づいていない。
(でも今、確かにそこに“いなかった”)
背中が冷たくなる。
⸻
その夜。
スマホが震えた。
知らない番号。
『観測対象確認』
『適性:あり』
『接触準備に移行』
「……なんだよこれ」
指先がわずかに震える。
その瞬間、部屋の明かりが一瞬だけ落ちた。
停電ではない。
光そのものがそこだけ消えたような暗さ。
「……っ」
胸がまた一瞬だけ痛む。
⸻
翌朝。
通学路の途中で、黒いスーツの男が立っていた。
まるで最初からそこにいたように自然に。
「……君だね」
静かな声だった。
「最近、“消える現象”を見ているのは」
「……誰ですか」
声が少しだけ震える。
男は落ち着いたまま続ける。
「安心していい。君は異常じゃない」
一拍置いて、静かに言った。
「君は普通の枠から外れてしまっただけだよ」
その言葉は責めるものでもなく、淡々としていた。
むしろ当然の事実のように。
「……外れてる?」
意味が分からない。
男は続ける。
「そのための場所がある。君のような存在が集まり、学び、制御する場所だ」
「学ぶって……」
現実感がない。
⸻
その時だった。
視界の端で、電柱の影が一瞬だけ歪んだ。
まただ。
あの感覚。
「……やはりか」
男はそれを見て、静かに呟いた。
「このままだと、いずれ人が消える」
「……え?」
喉が詰まる。
言葉の意味がすぐに入ってこない。
でも、胸の奥だけが先に理解しようとしている。
⸻
「怖いかい?」
男の声は変わらない。
優しくもなく、冷たくもない。
ただ静かだった。
「……怖いです」
それだけはすぐに出た。
男は小さく頷く。
「そうだろうね。それでいい」
⸻
「君の見ている現象は、気のせいじゃない」
「そして異常でもない」
「ただの“力”だ」
その言葉が、逃げ道を少しずつ塞いでいく。
⸻
一歩、男が近づく。
「安心していい。君はまだ手遅れではない」
⸻
男は続ける。
「だからこそ、向き合う必要がある」
「この力と、ちゃんとね」
⸻
その言葉が、胸の奥の痛みと重なって離れなかった。




