「重力の檻を越えて」
夜だった。
静まり返った住宅街に、子どもの泣き声だけが響いている。
「やだ……来ないで……」
小さな体が震えていた。
後ずさる足はもつれ、地面に崩れる。
その視線の先には、倒れている人影。
そして——
空気が、歪んだ。
いや、違う。
空間そのものが、軋んでいる。
次の瞬間。
周囲のすべてが、一点へと引き寄せられた。
砂利が、ガラスが、声さえも。
「やめて……やめてえええええ!!」
その叫びは、暗闇に飲み込まれた。
⸻
目を開ける。
朝。
——現在。
青年はフードを深く被り、人混みを避けるように歩いていた。
誰にも触れない。
誰とも関わらない。
(俺は、人を傷つける)
その事実だけが、頭から離れない。
(近づけば、壊す)
⸻
この世界では、人は“星の力”を持って生まれる。
空にある天体と結びついた能力。
炎、水、風、光。
それは当たり前で、日常の一部だった。
だが——
青年は、それを使わない。
使えないのではない。
使わないと決めている。
その時だった。
遠くで、爆発音が響く。
「何だ!?」
「事故か!?」
人の流れが一斉にそちらへ向かう。
青年は一瞬足を止め——
そして、走った。
⸻
現場は混乱していた。
崩れた建物、散乱する瓦礫。
その中で、一人の男が叫んでいる。
「火が……出ない……!」
何度も手をかざすが、何も起きない。
「なんでだよ……!さっきまで普通に——」
⸻
その隣で、水を操る男が眉をひそめる。
「いや、俺は普通に使えるぞ?」
手のひらに水を浮かべながら、不思議そうに言う。
「お前、ふざけるのもいい加減にしろ」
⸻
「は?ふざけてねえよ!」
火の男が苛立ちをぶつける。
「マジで出ねえんだよ!」
⸻
周囲がざわつく。
「おかしくねえか……?」
「能力によって違う……?」
⸻
火の能力者たちが、次々と声を上げる。
「出ねえ……!」
「なんでだよ……!」
「おい、さっきまで普通だっただろ!?」
⸻
その中の一人が、顔を歪めて呟く。
「……火星が、おかしいんじゃねえか……?」
⸻
——同時刻、宇宙。
赤い惑星。
火星。
その表面が、わずかに歪んでいた。
空間がねじれ、輪郭が揺らいでいる。
まるで、存在そのものが不安定になっているかのように。
⸻
——地上。
「あ、出た……!」
一人が叫ぶ。
手に炎が戻る。
「戻った……?」
周囲にも同じ現象が起きる。
さっきまで使えなかった力が、徐々に戻っていく。
⸻
だが——
それは“元に戻った”わけではない。
ただ、一時的に繋がりが回復しただけ。
⸻
視界の端に、映る。
赤い装束の集団。
何も言わない。
ただ、こちらを見ている。
一人が、わずかに口元を歪めた。
——笑っている。
理由は分からない。
だが、本能が告げる。
関わってはいけない存在だと。
⸻
次の瞬間。
瓦礫が、音を立てて崩れた。
「あっ……!」
小さな子どもが、下敷きになる。
悲鳴が上がる。
だが、誰も動けない。
能力は戻り始めているが、間に合わない。
⸻
青年の足が止まる。
(やめろ)
心の中で声がする。
(関わるな)
あの夜の記憶が蘇る。
(また壊す)
⸻
「たすけて……」
小さな声。
その一言が、すべてを壊した。
⸻
気づけば、手が伸びていた。
震えている。
怖い。
それでも——
「もう……」
歯を食いしばる。
「失いたくない」
⸻
足元の空間が、わずかに歪む。
黒い点。
極小の重力。
暴走させない。
必死に抑え込む。
瓦礫だけを、狙う。
吸い込む。
音もなく、崩れたコンクリートが消えていく。
やがて、子どもの姿が現れる。
無事だった。
⸻
静寂。
視線が、突き刺さる。
「……今の、何だ」
「吸い込んだ……?」
ざわめきの中に、知った声が混ざる。
「……あいつ、あの時の……」
⸻
青年の呼吸が乱れる。
視線を逸らす。
怖いのは、敵じゃない。
人の目だ。
⸻
ふと、視線を上げる。
空を見る。
そこには、何も変わらない空が広がっている。
だが——
どこか、違和感が残っていた。
⸻
少し離れた場所で
赤い装束の集団は、すでに姿を消していた。
⸻
空には、太陽がある。
ただ、それだけなのに。
妙に、強く感じられた。
⸻
青年は、何も言わない。
ただ、立ち尽くしていた。
⸻
物語は、静かに動き出した。




